二次会へと移動する集団の最後尾にいて、回想から舞い戻ったときには、足は逆方向へと踏み出されていた。
 追いついてどうしようというのか、想像がつかなかった。頭の中を駆け巡るのは己の行動に対する不可解さだけだ。
 途中のコンビニでペットボトルの水を購入し、しばらく行ったところで二人の背中を見つけた。華保のちどり足に合わせているのだろう。ひどく遅い歩みだった。
 相手にしてみたらほぼ初対面な相手に苗字呼び捨てされるのもなんだろうということで、届く範囲まで近づいてからノックの要領で腕を叩いた。
「これ、舞阪に」
 急ぎ足だったため、少し息が上がっていた。手にしていたボトルを半ば押し付ける形で良尚に渡した。
「あ、りがとう…」
 戸惑う良尚に、この行動の意味を問われても、ちゃんと答えられそうにない。
 呼吸を整えるための最後の一息とばかりに大きく吸って吐いたら、良尚の向こう側から華保がひょっこり顔を出した。まだまだ酔いは醒めやらぬだ。
「とおか、くんだ?どうしたのー?」
「華保に水持ってきてくれた」
 キャップを捻って持たせる。欲しかった玩具を手に入れたみたいな子供じみた笑顔が広がった。ありがとう、とさっそく口に含む。
 喉を鳴らして飲むさまは本当に美味しそうで、購入してきた良かったと素直に思える。
「話、いいか?」
 気づいたら口走っていた。華保はきょとんと、良尚は少し鋭く、外岡を見た。彼は、なんとなく、で予感しているようだ。
 商業ビル出入口前のスペースにある、ベンチを兼ねたオブジェまで華保を連れていき座らせると、外岡の待つ歩道端まで戻ってきた。ガードレールに腰掛ける外岡からは華保の姿がばっちり見える。
 ひと一人分のスペースを空けて良尚も腰掛けた。流れる人波の向こう側にいる華保に目線を置いている。
「ぐだぐだ前置きすんの嫌いだから直入に話すけど」
 常に気を配っていた『人当たりのよさ』はどこかへいってしまっていた。必要を感じなかった所為だ。対話する空気が張り詰める感覚は、久しぶりだ。
「あんたじゃ釣り合わないよ。舞阪が辛くなってても、気づけない」
 口火をきっても、何故だ、はぐるぐる頭の中を巡っていた。己の行動なのに理解し難く、喧嘩腰になる語調も意味が判らない。混乱しながらも、言うべきことだけはしっかりと把握していた。
 反論を差し挟まない良尚に圧される前に次を紡ぐ。
「五体満足な奴に俺達が受ける感情なんて理解できない。せいぜい判ったふりをするくらいだ」
 本当に、余計なお世話だな。――だが、口にした途端、そうか、と思う。
 自分に重ねてしまうのだ。悲しい別れを知っているからこそ、二の舞になる者を、見たくないだけなのだ。心が痛いと泣く姿が、だぶってしまうから。自分が受けた傷口まで、容易く開いてしまうから。
 傷つきたくないのは、自分なのか?
「言われる筋合い、ないよな」良尚はゆっくりと深く息を吐く。「なんだって構う?クラスメイトへの親切心?それとも、歪んだ仲間意識か?」
 明らかな敵対心だった。先の、外岡の挑発的な物言いに対して、彼が気に留めていたという証拠だ。
「舞阪に傷ついてほしくない。俺なら、気持ちを判ってやれる」
 声は怯んでなかった。なにがしかの強い芯を体内に感じる。後押しする。
 彼にぶつける想いは、たぶん、八つ当たりに近い。自分が受けてきた辛酸を、舞阪華保が受けるかもしれない未来に重ね、吐露しているだけだ。この生きにくい世界にぶちまけたい胸中を、遣りどころの無い憤懣を、平滑に過ごしていける彼にぶつけているのだ。
「俺達は劣等感を持ち得てしまうんだ。あんたはそれを知っておくべきだ」
 心が軋む。思い出すのは、去っていく背中。コトバが、止まらない。
「舞阪は違う、とでも決め付けたいんだろうけど、度合いは人によるし、意識するしないも人による。自覚ないままに、という場合だってある。相手を気遣って言わないだけかもしれない」
 知っておくべきだ。目を逸らしている彼に、判らせてやりたかった。
「あんたと付き合ってて、舞阪が傷ついてないとでも思ってんのか?本気で思い込んでるんなら、めでたいよ」
「そちらの主張を解釈するなら、華保が俺と付き合うのは不幸だと?同じ境遇にいる者同士でなければ、付き合うことは許されないとでも、言いたいのか?」
「不幸じゃないと、言い切れるのか?自分は彼女を幸せにしてやれてると?たいした自信だな」
「我慢の上で成り立っている関係じゃない。無理してるわけでもない。決め付けんな。華保は俺の気持ちを受け入れてくれた。俺達は付き合ってる。それが事実だ」
 それだけが重要で、それだけがあれば問題ないのだと、断言された気がした。真っ直ぐに外岡を見つめる双眸が、苛つかせる。自分が一番に正しいのだと憚らない態度が鼻につく。
「無理していない、と、思い込みたいだけだろ。……最初は、いけると思った。問題ないと、思った。でもな、人の考えも気持ちも変化するものなんだよ。寸分変わらずにいることは、有り得ない」
 かつての彼女たちが、そうだったように。
 どう受け取ったのか、心情を読むことの叶わない無表情が向けられていた。
「過去にあったことを引き摺ってるんだろうけど、そんなものまでこちらに押し付けられても、迷惑なだけだ。想う相手が信じきれないのを、人の所為にするなよ」
 発せられた声色はやっぱり無感情で。
 足早に行き交う人々の喧騒とは違う世界に置かれている気分だった。気温が急に下がった気がする。きゅ、と息を飲み込み、負けじと見返した。
「ずれを突き付けられた時に絶望するといいよ。舞阪があんたの想いを受け入れるまでに、なんの障害もなかったなら、いいけどな」
 抱えているものの重さを理解できない人間には、響かない言葉。そういう者からすれば、負け犬の遠吠えと決め付けられても仕方のない言い草でも、言わずにはいられなかった。
「…話はそれだけか?」
 動揺が、垣間見えた。ほんの一瞬のことで、すぐさま消滅する。今度は無表情でも無感情でもなかった。
「傷の舐め合いがしたけりゃ他をあたれ。華保を巻き込むな」
 言い切り、腰を上げる。外岡を振り返ることなく、流れを巧く避けて華保の元へと向かった。華保に見せている顔はおそらく取り繕われたもの。平常の、何食わぬ顔をしているに違いない。外岡に見える遠ざかっていく背中は、怒りに満ちていた。
 痛いところ、衝いた…のか?
 視界から消えていった二人がいた場所をぼんやりと眺める。喧騒が耳に遠かった。


[短編掲載中]