「まーいっさかっ」
 節づけした能天気な声に身体をびくりと揺らす。ぐらぐらぶれていた視界が焦点を結んだ。
「……入沢…くん」
 入沢の笑顔が怪訝そうに曇る。フェンスの出入口をくぐって隣に並んだ。顔を覗き込まれそうになって、僅かに逸らしてしまった。
「どした。元気ないな」
「っ、う、ううんっ。それはない」
 笑顔を繕ってみたけれど、巧くできた自信はなかった。畳み掛ける要領で続ける。こんな場合は言葉で濁すのが一番だ。
「ぼーっとしてた。綺麗だなーって」
「綺麗?」
 入沢はますます訝しげになる。
 口走ったものをどうにか筋道を通す為にグラウンドの方を指差した。
「ほら。美男美女って立ってるだけで画になるんだなーと思ってさ」
 さきほどと変わらす、二人は並んで何やら話し込んでいる。誰と誰を指しているのか、入沢にも判ったらしい。華保を振り返る表情は、複雑なものになっていた。
「彼女の言う台詞じゃないよな」
「呆れてる?」
「呆れ半分。面白いな、が半分」
「別に、面白くはないんだけど…」
 入沢を斜に見上げてから、『画になる二人』を見遣る。悔しいくらい、似合いすぎだ。彼女たちの言う通り。
「客観的な意見、ってやつです」
「へぇ。東郷のこと、客観的にみれんだ?」
「………なんか、意地の悪い言い方だね」
 もとはといえば、自らが招いたこと。いくら誤魔化す為だったとはいえ、自分をへこませる展開にしてどうするんだ、と呆れた。
「意地悪くなんかねーっての。いつだって優しい入沢くん、だろ?素朴な疑問をぶつけたまでです」
「そうでした」
 入沢の明るい調子にいつも救われる。あんなことがあった後でも、なかったことのようにして、友人として入沢は接していてくれた。
「適当に流すな。てゆーかさ、客観って言ったって、こんな遠目じゃ似合いかどうかなんて判らんべ?」
「この前偶然ね、会ったんだ。綺麗な人だよね。しかも、こーんな遠目でも、美人オーラ出まくりだし。…ちょっと羨ましい。――って、どうしてそんな怪訝そうな顔?」
 怪訝、というよりは、半ば睨んでいると表現できるほどの険しさがある。華保の声に取り繕った笑顔が向けられた。
「…別に?」怪しさを覆い隠すように紡ぐ。「麗香って名付ける両親もすげーよな。あれで美人に成長してなかったら苛められてたろうな」
「入沢くん、口悪いよ。まさに名は体を表す、ってことでしょ」
「舞阪だって、たいしたもんだと思うけど?」
 華を保つ。跳ぶ姿には華があった、そしてそれは今も記憶に鮮明に残されている。そう、良尚は言った。
 何度思い返そうとも、やっぱり恥ずかしくなる。同時に、誇らしい気持ちにも。
「うわぁ、あたし名前負け?」
「どうしてそうネガティブなんだって」軽やかに笑う。華保をからかう時に見せる笑い方だ。
「一般意見です」対して華保はむくれた態で応えた。
 勿論本気でむくれているわけじゃない。身の丈は重々掌握している。人並みの容姿だと自覚している。釣り合いがとれてないことも、判ってる。
「どうしたってむくれてる感じにしか見えませんが?」くつくつ笑って華保の頭をわしゃわしゃ撫でる。「負けてないない」
「子供扱いしないでよ」と、今度は少し本気でむくれてみせた。
 髪がぐちゃぐちゃになっちゃう、と入沢の手を避けようとした矢先、ふっと離れた。良尚が入沢の手を持ち上げて、有無を言わさぬ勢いで払い除ける。無言で一連の動きをされると、ちょっと迫力があった。
 入沢から華保に視線を向けると、普段の良尚が対面する。邪険にしすぎ感は否めないけれど、当の入沢に気にした様子はないので二人には合っているのかもしれない。
「もう少し待っててくれる?あと少しで掴めそうなんだ」
 ここ最近、フォームの調整が難しくて、と話していた。あれほど完璧に見えても、本人には納得がいってないらしい。
 良尚はきっと、どこまでも追求していくタイプの人間だ。甘んじてしまうことを、よしとしない。自分に厳しく、とても強い人。
 そうでなければ、あんなにも過酷なリハビリを乗り越えられるわけがない。
「あたしがいるから時間気にしちゃうなら今日は帰るよ。邪魔したくないし」
「なら、俺帰ろっかな。駅まで送ってくよ、舞阪。だから東郷は心置きなく没頭するがいい」
 良尚は、ぽむと肩に置かれた入沢の手を煩わしそうに払う。根本的に良尚の機嫌が悪いわけでもないので、やっぱりこれが二人の間では普通の応対なのだ。
「入沢が馬鹿なこと言ってても聞き流していいからな。なんの話してたんだ?」
 会話に加わろうとする入沢と、それを阻止する良尚のせめぎ合いは、傍で見てると可笑しい。
 この空気感が好きだった。彼らといるのは楽しくて、雰囲気に飲まれるまま、問い掛けの答えを口走る。
「麗香さんってすごい美人だよね、って話。そーゆうのを釣り合うっていうんだなって」
 言ってから、自虐的だなと自嘲する。人の言うことなんて気にしない、と胸をはれるほど、自分に自信が持てたらいいのに。
「誰と誰が?」
 引っ込みがつけられない。素直に答えるしかなかった。
「良尚と麗香さん」
「本気で言ってんの?」
「二人とも背高くて、モデルみたい」
 二人並べばさまになる、っていうのは本心。釣り合うっていうのは、客観的に見られる目を持っているのならば言えること。だけど生憎、良尚がらみで客観的に見られる目なんて持ち合わせていない。
 不安になってしまうことを、悟られたくない。その一心で、冗談めかして言いたくもないことを唇に乗せていた。
「あのなぁ、華保」良尚は呆れた声を出す。
「客観的意見、なんだよな、舞阪」入沢はくつくつ笑う。
 なにをどう言っても墓穴を掘り続けていく気がしてならない。華保は押し黙り、良尚は「面白くないっての」と笑い継続中の友を睨んだ。
「例の広告の件、どうすることにした?」
 話題を引っ張れないと悟るや、入沢は脈絡なく違う話題へと転じた。例の、とは、CM撮影のことだと覚る。
「断った」
「まじで?勿体無い」
「勿体無い、ってのは理解に苦しむな」
「顔が売れれば得することだってあるだろ」
「例えば?」良尚は心底判らないという顔つきだ。
「もてる。よりどりみどり」入沢はぱっと両の掌を天に向けた。マジシャンが花吹雪でも散らすみたいな所作だ。
「言ってろ。バイト代くらいになるかなとは思ったけど、必要ないみたいだし」
 斜に見続けていた入沢から華保へと視線を移した時には、常と変わらぬ柔らかなものへと変化した。同意を求めているのだと、判った。本屋の時を示しているのだと。こくん、と頷く。
「なんだよ。二人だけで通じ合っちゃって」
 入沢は、やってらんねぇなー、とぼやく。
「羨ましいだろ」
「浮気の心配はなし、と」入沢は下唇を突き出す。
「当然」と良尚は言い、華保の「信じてるから」が揃った。
 照れ臭い。でも、嬉しい。
 けっ、と行儀悪く鼻を鳴らした入沢は、そのままの語調で続けた。
「面白くねぇの。けど、断りきれんの?ずいぶん熱心にアプローチされてんじゃん」
「熱心?」不安げに良尚を見上げる。
「そこは喰い付いとくんだ?」即刻、入沢は揶揄口調に戻る。
「う…だって、あんな綺麗な人に押されたら、嫌な気分ではないでしょ?」
「そりゃ、オトコノコだからねぇ」
 いくら良尚が答えたのではないにしろ、即答されたら不安も増大する。
 黙す華保の頭を、さっきと同じくぐりぐり撫でてくる。すかさず、良尚が入沢の手を払った。
「あ、あれか。バイト代って出演料のことか?あー、なるほどね。なんでも話してるってことか」
 何度ぞんざいに払われても頓着した様子はなく、入沢の陽気さは健在だった。
 話が少し戻ったことは判るのだけど。入沢の納得した点がよく判らない。
「渋るもんだから前回の倍は出すって言われた時さ、こいつ、なんて言ったと思う?俺、そん時一緒にいたんだけどさ、もともとは彼女に何かしてあげたくて、それの資金がほしくて引き受けたんだけど、物とかそーゆうのよりって言われてるんで必要ないんですよね、って言ってたの。そのことだろ?惚気すぎだよなぁ」
 自制しようとしても口元が綻ぶのを止められない。
「はいはい。仲がよろしいようで。――でも、施設使わせてもらってる手前、断りきれんの?」
 真剣な声音だった。急にがらりと口調が変わって、身構えたまま入沢を見上げた。真摯に、良尚を見据えていて、華保に口を差し挟む余地がない空気が流れる。
「気をつけろよ、東郷」
「耳たこ情報」
 良尚は受け流して面倒くさそうに振舞う。
 気をつけろ、の意味が判らない。問い掛ける勇気は、なかった。親切を仇で返すなよ、という意味だろうか。不躾なことをしない人だってことは入沢だって知っている筈なのに。
「断った、ってことは過去形ってこと。問題ありません。はい」
 この話題は打ち切りだと言わんばかりの良尚に、気にしていないと装って笑みを向けた。
 内側では、言い表し様のない黒々としたものが、胸の底に溜まっていく感じだった。


[短編掲載中]