険しい表情だったとしても、会ってくれることにほっとしていた。
 勝手に宣言した待ち合わせ時間の数分前には姿を現した入沢を、自分がどんな顔で迎えたかは華保には判らない。おそらく、安堵が強く出ていただろうとは想像がつく。
 昨日、電話越しの入沢は、会いたくないと、はっきり言った。
 人から受ける拒絶に、手が震えた。怯みそうになって、無理矢理にでも己を叱咤し、ずっと待つからと告げた。入沢からの返事はないままに、電話は切られた。
「よかった。来てくれた」
 座っていたベンチから立ち上がり、距離をとって立ち止まった入沢に向かい合う。互いに、公園の外灯に照らされた淵に立つ格好となった。それ以上近づくことは、見えない壁に阻まれているようで、躊躇われる。
「人気のなくなる夜に、公園でずっと待つとか言われても、迷惑なんだけど。人が心配するような環境で待つって言えば、来るって狙ってた?」
 入沢の口調とは、思えなかった。隔意的で、攻撃的な。
 仕方ないのだと、唇を噛み締めた。厭だとは、口が裂けても言ってはいけない。嫌われても仕方ないだけのことを、してきたのだから。
 ずっと入沢を傷つけてきた。友達の顔で接してくる奥に隠されていたものに、気づけずにいた。そのことに触れなくなったからといって、無くなったと解釈するのは間違いだったのに。
 どれだけ無神経だったか。残酷な仕打ちをしてきたのか。
 敵意ともとれる入沢の態を、自分は甘んじて受けなければいけない。それが、人を傷つけたことへの、せめてものできること。
 それでも、辛かった。頭でいくら納得させようとしていても、気持ちは到底追いつかない。
「入沢くん、あたし、」
「舞阪は、勝手だよな。人の気持ち、なんだと思ってんだよ」
 背筋が凍る。身体の中心から震え出す。血の気が引くほどに、全身が強張った。深く、静かに、息を吸い込んで、吐き出した。
「そうだよ」凛と放つ。
 そうやって繕ってでも強く意思を持っていないと、すぐにでも背を向けて逃げ出しそうになる。もう一度、深呼吸した。じっと、入沢の瞳を見つめる。
「そうだよ。あたしは勝手な人間だから、好き勝手言わせてもらうの。入沢くんを、嫌いになりたくない。嫌われたくないとも、思ってる。――厭だけど…、嫌われるのは仕方ない、とも…思ってる」
 挫けては、駄目。逃げては、駄目だ。
 嫌われる結果が避けようのない現実なら、本音をぶつけて嫌われる方がよっぽどまし。これが入沢に対して辿り着いた答え。
 だから、人の庇護欲を突くような状況で待つと告げたのが、それを狙ってのことではなくて、指摘されて軽佻だったと気づかされていたとして、弁明する気はなかった。それよりも重要で大切なことを、シンプルに優先すべきで。
「ほんと、勝手だな」くっ、と入沢は空気を噛み殺す。
 苛立っていた。これまで友好的だった者から受ける剥き出しなそれに、泣きそうになって、ぐっと堪えた。
「勝手でもなんでも、正直な気持ちだから…。あたし、」
「知ってたんだ」低く、遮る。荒げたいのを、押え込んでいるのだと、判った。
「知ってた。付け入る隙なんて、コンマ1ミリだってないこと。……憎らしかったよ、舞阪が。憎らしくて、すげー好きだった。受け入れてもらえないのなら、目茶苦茶にしてやりたかった」
 暗がりで見た入沢の顔を思い出す。痛かったのは、心だけだった。華保に触れる手も、唇も、ぬくもりも、優しくあたたかかった。
「キスくらい、平気でできる。あんなの、どうってことないよ。好きだった子なんだから、ラッキーぐらいなもんだ。その先だって、俺はできた。造作ないし、実際…する気だった」
 傷つけようとしているのが、判った。華保に嫌われようと悪役を演じてる。
「違う、よ」
 無理矢理にでもできた筈だ。力でねじ伏せてしまうのだってできたのに、入沢は華保の声を聞き入れた。気持ちを無視しなかった。
「違わない。今この瞬間だって、目茶苦茶にしてやろうと狙ってるかもしれない。俺は最低な人間だって、言ったよな?信用すんな」
 唾棄するように言う。目をじっと見据えたまま、首を振った。しっかりと、自分の気持ちがちゃんと伝わるようにと、振った。頬に、あたたかいものが流れた。ぼろぼろと、溢れだした感情と混在して流れ落ちていく。
 拭いもせず、真っ直ぐに入沢を見つめた。目を逸らさないことで、どうにか気持ちが伝わればいいと、祈っていた。うまく紡げない、言葉の代わりに。
「しないよ。そんなこと、入沢くんは、しない。優しい人だから。誰かを平気で傷つけられる人じゃない」
「気に入られたくて優しくしてただけだ。本当の俺じゃない」
「あたしは、あたしが知ってる入沢くんを信じてる」
「いい加減にしろよ」
 怯んでは駄目だ。自分が見てきた入沢を信じるのなら、ここで引いては駄目だ。
「あたしの…あの時言ったことは、嘘じゃない」
 嫌いになりたくない。だから、やめてほしい。――その懇願を、入沢は受け入れた。キス以上を、しようとはしなかった。
「言ってもきかないなら、どっちが正しいか、思い知らせてやるよ」
 一歩、踏み出す。華保は動かなかった。動けなかったのではなく、意思を持って留まっていた。
 苛立ち、怒りに満ちた顔で、また一歩近づいてくる。
 二人の距離が縮まった。入沢の手が、伸びてくる。怖くはなかった。信じられる。入沢を、信じてる。じっと、見つめ続けた。見つめ返してくる入沢の瞳が、一瞬だけ、歪められた。
 華保に手が届き、柔らかく抱きすくめられる。
「信じるなよ。…そんな顔で、嫌いになりたくないなんて、…言うなよ。どうして嫌いになってくれないんだ。どうして俺は…っ」
 抱きしめる腕に、力がこもる。ぬくもりが強くなる。ひどく優しい腕に、胸が抉られた。
「想いが残ってないと、舞阪に思わせるように仕向けたのは俺だ。仕向けたくせに、本当は違うと判っててほしかった。勝手なのも、最低なのも、俺なんだ。…俺が悪いんだよ、全部。そこに、舞阪を巻き込んじゃいけなかったんだ」
 泣きそうな声だった。実際、泣いていたのかもしれなかった。
 入沢は囁く。自身の胸に華保を埋めて。謝罪を口にし、囁いた。
「東郷と一緒にいて幸せにしてるとこ見せつけられたら、ちゃんと諦めがつけられると思ってたんだ。友達として見れるようになれるって。……ごめん。俺が、悪いんだ…」


[短編掲載中]