今日の部活動は観測日が決定した日からずっと楽しみにしていた。目覚めと共に天気予報のチェックをし、降水確率が低数値なことに喜んだ。自分でも呆れるくらい楽しみにしていたのだ。登校して、席替えが完了するまでは。
 彼は実在していた。
 可能性を考えていなかったわけではない。充分に有り得ることだと思っていた。唯衣の言う通り、どこかで逢ったかすれ違ったかして、記憶の奥底に沈んでいただけだったのかもしれない。というくらいのことは思っていた。でも、唐突すぎる。否、状況を合わせてみれば突飛と表現しても過剰ではなく。周囲に溶け込んでいる彼に、違和感を覚えているのは自分だけだった。
「天気よくってよかったよねぇー」
 能天気な唯衣の声がして意識を戻す。学校の屋上にビニールシートを敷いて座っていた。二人揃って天を仰ぐ恰好でいても、リアの視線は天に向いてなかった。あれほど楽しみにしていた時間だというのに心ここにあらず。曖昧に笑んで頷く。
「それほど気温おちてないし、心地いいくらいだよね。観測日和ってやつ?」
 続けて明るい声音を放ち、窺うように顔を傾げた。唯衣のわざとらしいくらいのテンションの上げ方が心に沁みる。
 先よりもしっかり頷くと唯衣は満足そうに口端を持ち上げ、ばしんとリアの肩を叩いた。思いの外強い衝撃にひりひりとした痛みが残る。
「痛いっての。手加減してよっ」
「辛気臭いの吹き飛ばしてあげたんじゃない。感謝こそされ、文句言われる筋合いないもーん。せっかくの部活だよ?リア、楽しみにしてたでしょー」
 本当にすっかりお見通しだ。内心で苦笑を漏らし、表面では素知らぬふりをとった。含まれる冷やかしに気づかなかったことにする。
 ついと顔を上向け、ようやと夜空を視界に収める。すっかり夜に突入した時刻でもそれほど肌寒くはない。天気予報はばっちり的中して晴天が広がっている。街灯や家々の灯りのために真の夜空色に満天の星とはいかなくても、充分に見応えのある空だ。
 意識が戻れば耳が音を拾うようにもなる。首を巡らせ周囲を見渡した。のらりくらりのだらけた感が漂ってはいるものの、合宿以外の部活動にこうして集うのはそれなりに興味を持つ者たちだ。顔ぶれも大体決まっている。
 部活開始早々は真面目に観測していても、時間の経過と共にそこかしこで談笑の輪が出来始める。今では観測する者はなく、望遠鏡がぽつねんと佇んでいた。
 リアは唯衣と並んで塔屋の裏手に座っていた。日中の太陽を存分に浴びていただろうコンクリート材も熱は残されていない。おしりの下はひんやりと冷たい。
「あたしって物覚え悪かったんだねー…」
 ぽつり愚痴が如く呟きを落とす。すかさず拾った唯衣が保たれたままのテンションでにんまり笑った。リアにはその底意が汲み取れる表情で、人によっては依怙地の悪い笑顔の種類なのに、唯衣にかかれば可愛いとしかならない。それずるい、とぼやく。
「あれだけの容姿なのに今まで目立たなかったのは不思議だよね」唯衣の楽観口調は続く。「眼鏡とかしてたかなぁ?外したら実は美男子でした、みたいな」
 少女漫画的設定だよね、などと楽しそうだ。
 《夢》に登場する人物――城本カイリに関する話題で唯衣が怪訝な顔をしたのは一瞬だけ。一限目終了直後、教室を出て二人で人気の無い場所で話した時だけだ。当然のように入学してからクラスメイトだったと唯衣は言い、返す刀で反駁せずに合わせた。目立たない存在だったもんね、と唯衣も小首を傾げただけに留まった。
 単純に目立たない存在だけだとは、到底思えなかった。例え眼鏡に隠された顔だったとしても、あれだけ頻繁に《夢》にみる相手と、似てるとも思わないものだろうか。ましてクラスメイトの名前を耳にしたこともないなど有り得るだろうか。
 誰にも言及の叶わない疑念が渦巻いて不安に陥れる。
「怖いな、って、思う」
 少し、声が震えた。渦巻く疑念が畏怖すらも巻き込んで、強大な底なし沼でも形成しそうだ。囚われてしまえば二度と抜け出せない。
「記憶力のなさが?」
 わざとらしい見当違いな返答に、こちらもわざとらしく不貞腐れる。
「それプラス、これは《夢》の暗示なのか、とかね。あたしは何度もあの中で城本くんに逢ってる」
「予知夢とかじゃないの。あ、運命の出逢いの方が素敵だねっ」
 少女漫画的設定から外れる気はないのか、との突っ込みを孕ませ斜視を送った。「楽しそうだね、君は」
「だってぇ、深刻に考えたって答え見つかるもんじゃないんだし、だったらポジティブに考えた方が楽しいでしょっ?」
 一理ある。《夢》の細部を知らないからこその発言とも言える。仕方ない。余計な心配をさせない為にリア自身が望んだ形じゃないか。
 詳しくなど、話せない。単なる夢だと一笑に伏すには生々しくて。隠している部分があることを唯衣はそれとなく悟っている。その上で、リアから口火をきるまで待ちの態勢でいてくれている。
「はいはい、おっしゃる通り」
 溜息混じりに呆れ調子で言うと、今度は唯衣がむくれっ面になった。


[短編掲載中]