黒板を滑るチョークの音が、にわかに騒然とする部室内に小気味よく響いていた。書記である唯衣は、熟練教師さながらの滑らかさで文字を書き連ねている。
 容姿と一緒で可愛い字書くよなぁ。ぼんやりと眺めながら、一番前の席でリアは頬杖をついていた。余った片方の手でくるくるとペンを廻す。すぐ目の前には、椅子を部員たちの方へ向けた諒が座っていた。
 部のミーティング中で、合宿の係を決める議題内容だった。
「リア」
「…ん?」
 諒へと視線を移す。据えた目がリアに向けられていた。
「ちったぁ集中しろよ。ほうけすぎだ」
 真正面からでこぴんを見舞われる。眉根を寄せて唇を尖らせた。
「だって、どうせあたしは買い出し隊なんでしょ。会計はそういう運命だって言い張ったの、諒先輩だよ」
 併せて、存分に不満げにぼやく。リアのはとうに決定事項だ。集中したところで変更にはならない。
「なら、外そうか」
「そんな気、ないくせに」
「ばれてたか」
 入部して以来会計を任されてるリアは、前回の合宿で誰もが嫌がる買い出し隊に、有無を言わさず任命されていた。どうやらイコールの係だというのは後から知った。
 最初の大量買い出しでは顧問が車を出すので、敬遠される原因はそこではない。問題はその後だった。部費とは別に、個々から徴収したお金で、夜にこっそり買いに行くのだ。これはもう、部立ち上げ当時から合宿恒例行事と化しているらしい。
 顧問は大概のことには大目に見るタイプの人間で、幽霊部員が合宿だけには参加することだとか、真面目に観測しないことだとかには、大らかに構えている。ただ、夜更かしするというのにはいい顔をしない。
 その目を盗んで宴会もどきをするという、いわばスリルを楽しむ的なのりもあるのだろう。部員たちにしてみれば、そっちを目的にしている人が大半を占めている。雑談用に飲食物の追加は必須だ、という意見が出るのは当然の流れで、買い出し隊なるものが編制される。
 抜け出して行くのだから大勢では行けない。故に、少人数で大人数分の欲求を満たす量を購入しなければならない。加えて、合宿の本目的は観測なのだから、現地はそれなりに田舎だ。店まではなかなかの距離があった。
 誰もが面倒臭がるのも無理はなく。好き好んで楽しく盛り上がってる場から離れたくはない、という身勝手な理由も隠れていたりする。
 拗ねたふりをしてはいるけれど、本音をいえば別に構っていなかった。団体行動が苦手というわけではないけれど、リアは昔から人とは少し距離をおいて接するのが癖になっていた。自己防衛の手段だ。例外は唯衣だけかもしれない。変な《夢》を細部まで話せないことを除けば、隠し事をしなくていい友達だ。
 小さい時からずっと一緒だった唯衣が、唯一、リアを受け入れた他人であったといっても過言ではなかった。人とは違う一面を持つリアを受け入れて、それまでと変わらずいてくれた。
 昔を思い出して、ふと気がつく。――違う一面?
 自分のことなのに、思い出せない。ぽっかりと抜け落ちている。
 こめかみを押えて唸りそうになった時、隣に座っていた優輔に腕をつつかれた。頬杖をはずして顔を横に向ける。
「入部者のこと、聞いた?」
「ううん。新しく入るの?」
 優輔の前に広げられたノートには、黒板に書き出している係名が、等間隔に綺麗な字で記入されていた。さすが、と呟き、視線を戻す。
「勧誘しに行ったら、入ろうと思ってたって、言われたらしいよ」
「また、勧誘?」
 また、という言葉に力を込めつつ、据えた目を諒に向けた。きっちりお返しだ。
「あんまり熱心にやってると、宗教だと思われるよ」
「部員増やさんと、部費減らされんだぞ。それでなくても、文科系は割り振り少ねーんだから。部長は大変なんだ」
 諒は大きくふんぞり返る。非常にわざとらしい。
 その結果、ほとんどが幽霊部員になってることは認識してるのだろうか。という突っ込みはしないでおく。どうやらこれは、天文部の昔からの体質らしい。
「にしても、珍しい。うちに入ろうとしてたなんて」
「だよな」
 諒を余所に、顔を見合わせて二人は頷く。
「って、在籍してるお前らはなんだっつーの」
 すかさず突っ込んでくる諒への返しが揃った。「天文学部なんて流行んない」
「息合っちゃったね」
 リアは優輔と顔を見合わせて笑うと、諒が面白くない顔でリアの頭を軽くはたいた。
「暴力反対」
 たいして痛くもないのに頭をさすり睥睨する。いつもと変わらない光景を、優輔は笑顔で眺めていて、諒へと目線を絞った。
「今日から来るんだったよな」
「の予定。もうそろそろじゃないか?用事済ませたらすぐ来るって、言ってたし」
「優輔先輩は逢ったの?」
 優輔は呆れ顔を作って「女子部員を増やしてくれそうなルックスだったよ」と首肯した。
 またですか、と諒を横目で見遣る。
 入学したての頃、あの時の二人が天文部に所属していると知って、リアも唯衣も即刻入部を決めた。職員室へ入部届けの用紙をもらいに行く途中で二人と鉢合わせし、顔を突き合わせるなり勧誘された。
 後から優輔に聞いたところによれば、一年生の中でも可愛い子――つまり唯衣を入部させて男子を釣る、という魂胆だったらしい。発案者は諒だ。
 それってどうよとリアは思うのだけれど、実際のところ部員が増えたのだからやったもん勝ちだ、と諒は胸をはる。
 性格の正反対な諒と優輔が、いつでも一緒にいるのが不思議に思えることが多々ある。やんちゃな諒を巧くあしらえるのは、優輔くらいなのかもしれないけれど。
「また、またって、うるせーよっ。そいつな、お前のクラスの、」
 諒の反駁の途中でノックが割り込んだ。開かれたドアから顔を覗かせた人物に、心臓が大きく跳ねる。
「おっ、来た来た」などとほくそ笑む諒とは対象的に、リアはその人物を凝視した。
 颯爽と腰を上げた諒は戸口に留まっている城本カイリを手招きし、黒板前を陣取る。ぱんぱんと手を鳴らし注意を引く。
「はい、ちゅうもーく。新入部員です!では、自己紹介をば」
 皆の視線を一手に引き受けるカイリが爽やかに口を開く中、リアだけが凝固していた。胸のざわつきを周りに悟られないように平静を保つので、いっぱいいっぱいだった。


[短編掲載中]