深夜の刻が近づいて、まだまだ騒ぎ足りない者が続々と大広間に集まっていた。顧問の目があるので、いったんは解散したのだけれど、約束したかの如く結構な人数が車座となっている。声のトーンを落としつつも、楽しそうな雑談が続く。夜更かしメンバーの中にリアたちも紛れ込んでいた。
「そろそろ、行けるか」
 背後から近寄ってきた諒が耳打ちする。近っ、と反射で逃げ腰になりかけをどうにか留める。諒は平然としたもので、外を指差していた。買い出し指図発令だ。
「りょーかいです。えっと…川野先輩は、」
 隠密行動隊は二人と相場が決まっていた。明確な理由はない。たぶん、たいした理由もない。言うなれば、昔からの旧套といったところ。もう一人の係はくじ引きで決め、二年の川野が負けくじを当てた。
 諒と同じ動作で部屋の中をぐるりと見渡す。二人の視線が同時に川野を見つけ、「あ」と声が揃った。隅の方ですっかり爆睡組に入っている。
「あのやろ。起こしてくるわ」
 立ち上がり掛けた諒の袖を掴む。
「起こすのも可哀想だし、他の人と行ってくるよ」
「他って、誰がいんだよ。みんな嫌がってんのに」
 諒はあっけらかんと言い放つ。呆気にとられ、続いて思い切り唇が尖った。
「有無を言わさず任命された、こっちの身にもなって発言してくれません?」
 噛み付く勢いで諒を睨み上げる。対して向けられていたのは見慣れた揶揄顔で。
「しゃーねーな。それなら俺が一緒に行くか」
「俺、行ってきますよ」
 面倒臭そうな諒と、別角度からの声が揃った。同時に見遣ると、城本カイリが笑顔で顔を寄せてきた。
「けどな…」
「任せて下さい。俺、入ったばっかだし。こういうのは、年下が行くもんです」
 すっぱりと諒を遮ったカイリは、さわやか笑顔で追加する。
「それに、先生に気づかれた時、部長がいなかったらまずいじゃないですか」
 にこやか笑顔に押し切られ言葉に詰まった諒を見て、笑いを噛み殺す。爽快なくらいの返しだ。お見事。
 じゃあそうしてくれ、と言って諒は了承した。手渡された軍資金を手に立ち上がる。
「じゃあ、行こっか。店って駅まで戻んなきゃなんだよな?」
 頷くと、うえーちょっと早まったか、と言いつつも、ぼやき発言とは真逆な笑顔が咲いた。少し大人びた、達観するような双眸を湛える笑顔は、《夢》のそれと重なる。心臓が大きく脈打った。




 大量買いを終え坂道に差し掛かる手前で、足が勝手に動きを止めた。これからの道のりを思ってうんざりする。前回の疲労感を見事に思い出してしまった。といって駄々を捏ねたところでどうにかなるわけでもない。レジ袋を持ち直し、気合いを入れた。
「決心ついた?」
 うわー、恥ずかしい。ばれてた。ほんの一瞬立ち止まっただけなのによく見てる。
 窺い見たカイリは鷹揚に微笑していて、――やっぱり《夢》とだぶる。
「行こうっ?」
 笑顔から視線を剥がし足早に踏み出た。すぐさま隣に並んだカイリは、リアの早歩きの速度に余裕な風情だ。
 突きつけないで。《夢》は幻影じゃないと知らしめないで。
 クラスメイトで席が隣で部活まで同じであれば話す機会も多くなるのは自然の摂理だ。普段であれば周囲に人がいるおかげでどうにか繕えていたのだと、今更ながらに知る。二人きりになるのがこんなにも神経を磨り減らすものだと、思いもしていなかった。
「観測の時さ、手ぇ空にかざしてたよな」
 空を仰ぐカイリの口調はこれまでと変わらない。柔和で、抑揚のある、滑らかな口調。充分に耳馴染みしている筈なのに、違和感があった。背筋を正体不明の異物が這い廻るような。眉根に力がこもる。
 視座が天にあるカイリはリアの様子に気づかない。人好きのする笑みを口元に刻んだまま続けた。
「こんだけ無数に星あったら、落っこちてきそうだよな。でもって受け止められそうな気になってくる。すごいよな。数時間の移動距離でまるで別物の空が見られる。天文学はあんま詳しくないんだけどさ、部があるって知って、絶対入ろうって思ったんだ」
 無邪気なくらい、無防備な笑顔が不意に向けられた。同意を求める瞳がひたとリアを捉えた。油断すると間が空きそうになって、慌てて口を開いた。
「城本くんって運動神経いいんだし、体育の時なんて生き生きしてたから体育会系だと思ってた。変わってるなぁって思っちゃったよ。しかもさ、入学してそれなりに時間経ってんのにいきなりなんだもん」
「んな、変人みたいに。先に入部してる明石はどうなんだ、って話だよな」
「や。あたしの場合、動機が不純だし」
 進路を決めたのだって、はっきり言って不純だ。
「なんだよ、それ」
 可笑しそうにすると子供みたいな笑顔になる。《夢》の中のカイリは鷹揚に、大人びた笑顔だった。やっと人心地つけた気がして、そんな自分を自覚して、自嘲した。
 ほ、とできたのは、数秒もなく。
「明石はさ、星好きなの?」
 何気ない言葉を放ったカイリの声音に、身が竦む。耳に届いた響きが、蒼銀色の――《夢》と同じに聞こえた。弾かれたように隣を見上げる。
 カイリは、《夢》と同じ色を湛えていた。瞳が綺麗な蒼銀色だった。心臓が大きく跳ねる。
「なんて顔、してんのさ」
 困ったようにカイリは表情を崩す。声も瞳も、元通りだった。幻だった…?
「あ、…ははっ。変な顔してた?ごめん」
「謝ることでもないけど。それより、荷物重くない?持つよ」
 言い終わらぬうちにペットボトルの入った袋を取り上げられた。2リットルものとはいえ一本しか入ってないのを持っていかれると、リアの手には菓子類の軽いものしか残らない。
「大丈夫だよ。それだと城本くんばっか重いのになってるって」
 取り返そうと伸ばした手に、スナック菓子が詰まった方の袋が差し出された。
「こう見えても力はあるよ。平気、平気。明石の方こそバテんなよ。坂道はこれからが本番だし」
 痛いところを衝かれ詰まっている隙にカイリは進んでいく。一緒には歩き出すことができなくて、背中を見つめる格好となってしまう。カイリが振り返る。立ち止まったままのリアを見て、「もうギブ?」と噴き出した。
「冗談。へばんないっての」
 負けん気の強さを押し出すと、カイリは「はいはい」と流しつつも笑みを深くした。
 単なる幻だ。不安に思ってなどいるから、変な風にだぶったりするのだ。そう、必死に思い込む。



[短編掲載中]