建物の灯りが見える位置まで登った頃には、足はかなりだるくなっていた。顕著に遅くなっていく歩調にカイリは合わせてくれている。
「みんなまだ起きてるのかなぁ。灯りは点いてるみたいだけど」
「起きててくんなきゃ、買ってきた意味ないよな」
 飲み物類の入った袋を軽々と持ち上げて笑う。
「ほんとだね。てゆーか、きつかったぁ。体力なさすぎだ、あたし。城本くんは平気?」
「へばってるように見える?」
「全く見えない」
「だろ」満更でもなさそうだ。「鍛えてんだ。この世は何が起こるか判らないからな」
 達観した台詞を吐いておきながら、茶目っ気たっぷりに片目をつぶる。
 カイリは、見た目だけだと少し近寄りがたいものがあるのに、周囲から一線を引かれていることは無い。こんな風にふざけたりを普通にやってのけるから男子に疎まれたりしないのかもしれない。
 正面玄関から大広間までは顧問の部屋の前を通らなければいけない。なので、抜け出す時も調理場の勝手口から外へ出ていた。窓よりも姿勢を低くするのは念のための用心だ。足音を忍ばせ裏の勝手口を目指した。部屋のカーテンはぴっちり閉まっているが、用心して損することはない。
 建物の角が近くなって、窓も途切れたところで上体を起こした。声がして、動きを止める。
 ひそめて話しているので内容は聞き取れない。充分すぎるほど聞き覚えのある声に、ぽんと顔が浮かぶ。反射的に壁へと貼り付き、半顔だけ出して覗き見る。諒と、こちらからでは後ろ姿を向けている優輔が向かい合って立っていた。青白い月光に照らされた諒の真剣な顔が浮かび上がっている。
「どうかした?」
 後続だったカイリは突然の静止に戸惑った様子で、それでもリアの態に合わせてくれた。
「えっと…。あの、」
 どう説明したもんかとまごついてる間に話し声が聞こえたらしく、「誰かいるんだ」と納得顔になる。
「真剣っぽいんだよね」
 カイリと対峙していながらも意識は最大限に諒たちの方に向かっていた。ちらりと先をみて、カイリも頷く。
「みたいだね。どうしようか。ここ通らないと中に入れないし」
「とりあえず離れよ」
 本当は気になって仕方ない盗み聞きでもいいからここにいたい、とも言えず、折り返し戻ろうと身を屈めた。数歩も進めぬうちに足が動かなくなる。
「俺は真剣だから。ちゃんと言おうと思う。……いいよな」
 優輔の宣言は夜気にしっかりと響いた。確認の疑問符をつけていても、そこに伺いの色など存在しない。
 誰に何を言うのか。リアには情景すら思い浮かべられた。
「だから、なんでいちいち、改まって俺に言う必要があんだよ」面倒臭げに、一言一句区切るようにして諒は返す。「構わねーよ」
 平静を装っていた。隠し切れない苛立ちが孕まれている。諒の近しい交友関係の範囲内に入っているリアには手に取るように判って、胸の内がきつく締め付けられた。
「だけどお前っ」
 喰い下がる優輔の言葉尻を、諒は遮って跳ね返した。
「さっきも言ったけど、それは単なる勘違い。勝手に俺のこと決め付けんなっての」
 二人の間にある緊張感がひしひしと伝わってくる。しばらくの拮抗状態は、優輔の小さな溜息に崩れた。
「判った。なら、勝手にさせてもらう。…一応、伝えておいたからな」
「りょーかい」
 優輔は裏口方向へと歩き出す。顔だけ横に向け見送っていた諒は、見えなくなると深く息を吐き出した。俯くかに見えた顔の正面は落ちず、一瞬目が合ったような気がして、リアは慌てて顔を引っ込めた。
 心音がひどく騒いでいた。
 目蓋の裏に諒の表情が鮮烈に残像を刻んだ。諒の感情は、リアには痛いほど判っていた。


[短編掲載中]