職員室に連行され、こってり絞られた。
 とにかく俯き加減に、ひたすら反省の色を全面に遣り過ごす。ノセと侑希がこういう類で問題を起こしたのは初めてということもあって、引き際はあっさりしたものだった。
 当然の手順として、親が呼び出された。侑希の保護者の方が到着が早く、ノセは水原夫妻に優しく受け入れられ帰宅していく侑希を見送った。――いつか、を思い出す。
 やっぱ、過保護や。皮肉な突っ込みをあえてした。相手に届かないよう内心で。自分自身を嘲る為に。
 ノセは自分の内側がギュウッと締め付けられるのを感じていた。
 水原夫妻は共働きだった。なのに、こんな日中に子供が引き起こした不祥事に、どこの家庭よりも早く、夫婦揃って迎えにすっ飛んできた。これは過剰な気遣いではなく、純粋に侑希を心配し、このスタイルは水原家では通常なのだ。と思った。
 心配と不安をない交ぜにして、一頻り侑希の無事を確かめ終えた後に、安堵に笑み崩れたおじさんの目元は、やっぱり侑希に似ていた。またぞろ、内側が強く締め付けられる。
 ようやとノセが近くにいたことに気付き、ノセのことも心配してくれた。
「すんませんでした」水原夫婦に向かって、ペコリと頭を下げる。
 侑希、水原夫妻共々から、戸惑いの声が零れた。とにかく頭を上げて、とおじさんに促され、鈍重に持ち上げる。
「ノセ?」
 顔中痣だらけになっていた侑希が眉をひそめる。
「この喧嘩の発端、俺なんです。侑希を巻き込んでしまって、すんませんでした」
 再度頭を下げようとして、肩を掴まれ止められた。夫婦揃ってかぶりを振る。
「井ノ瀬くんも無事で何よりだよ。また遊びに来なさい」
 そう言って、侑希に似た目が綻んだ。


◇◇◇


 二日間の自宅謹慎処分。それがノセと侑希に課せられた処罰だった。
 ことを起こしたのが火曜日で、あと一日ずれていたら思わぬところで四連休になっていたのに、などと不道徳なことを思いながら、ノセは外をぶらついていた。自宅謹慎なのだから目的も無い外出は以ての外なのだが。ばれたら延長だろうか、と馬鹿なことを考える。
 あまりの天気の良さに、誘われてしまっていた。と誰ともなしに言い訳をしておく。
 平日の日中ともなれば人影の殆ど無い、川に沿うように設けられたサイクリングロードを歩いていた。しばらく経ってから、ウォークマンを持ってくるべきだったと気付く。自宅までそう離れていない地点だが、引き返すには少々面倒臭い距離だ。たまには音楽無しの自然音を楽しむのもありか、と思い直し歩を進めた。
 風がほどよい調子で頬を撫でていき、草木の香りが鼻腔をくすぐった。葉の揺れる心地良い音色に耳を傾け、両手を広げる。降り注ぐ太陽光を全身に浴びる。指の間を風がするりと抜けていった。
 奏でられるそれらに混ざり、途切れ途切れに、微かに、歌声が聞こえてきた。どうやらノセが向かっている方向かららしい。遠いからか音量が小さいからか判然とはしなかったが、生で唄っているのは間違いがなさそうだった。
 足を止めず、のんびりと発生源を捜して歩いていると、姿が視界に入った。
 傾斜に寝転がり、草に埋もれるようにして空を仰いでいた。否、目蓋を下ろしているので、歌声が無ければ眠っているように見える。
「ほんま好っきやな、その曲」
 ぎりぎりまでそろりと近づき、頭側に仁王立ちする。空を隠すように相手を覗き込んで声を落とした。
 唐突な声掛けに慌てるのを予想してほくそ笑んでいたのだが、思いっ切り裏切られた。ノセの足元に寝転がる形になっていた侑希はひどく億劫そうに目蓋を持ち上げ、相手を確認するや即行、元の体勢に戻ろうとする。
「おいおいおい」
 ちっとは構え、と文句を述べてから横に移動し、しゃがんだ。
「自宅謹慎中の学生が、こんなところにおったらあかんやろ」
 自分のことは棚上げだ。
「どっちが」
 今度は突っ込みありだ。ノセは満足げに笑う。
「何してん?」
「何かしてるように見えるか?家にいても暇だったし、」
「天気に誘われた」侑希の続きとノセの声が重なった。「だろ?」更に満足する。
「こんなん、見つかったらヤバイやろな」やばい、と本気で思っていない語調になった。
「期間延長になったら五連休だ。それはそれで、ラッキー」
 同じようなことを考えてる、と可笑しかった。「不謹慎や」と真面目口調をぶつけてみると、侑希は見透かしたように据えた目を向けて「言ってろ」と返してきた。
「俺ら、ボロボロやな」
 再び目蓋を下ろした侑希を見、見える部分のあちこちに無数の傷を見、自分自身も一通り目を通して、ノセは堪らず笑音を洩らした。口端が切れているので笑うと痛みが走る。
「…だな」
 侑希も苦笑し、「ってぇ」と顔をしかめた。互いにくつくつと笑い、それが収まると侑希は歌を再開した。
 自然の音に混ざって旋律を弾く侑希の歌声は、決して不愉快ではなかった。ラストを迎え、ふつりと途切れる。
 そしてぽつりと呟いた。風に紛れそうなくらい小さなそれは、風に運ばれて確かにノセに届いた。
「僕、どうかした?」
 どこか、幼さのある言い方だった。意識して、そういう風にしている。そもそも侑希は、自分を『僕』とは呼ばない。
「なんや、突然」
 平然と返す。深刻な響きを持つ空気には、その対応が一番しっくりくる気がした。
「病院で目覚めて、俺が最初に発した言葉。――記憶を失ったふりをした」


[短編掲載中]