独白を聞く態勢はすでに完了していた。無言で先を促す。
 転校初日に見つけた、侑希の抱えている“闇”部分を、ずっと訝しんできた。その上でずっと、知りたいと、望んだ。
 侑希が自分を必要とするのなら、話してくれると信じていた。その『いつか』を、待っていた。
 両親の死因を、忘れたふりをしたのだと、侑希は言った。その光景を、経緯を、ノセに語った。
「俺は、自分が要らない人間なんだと、思ったんだ。病院で目覚めた時、蘇る記憶よりも怖くて仕方なかったのは、不要だと、また切り棄てられることだった」
 語られた侑希の過去に、かけられる言葉は見つけられなかった。納得がいき、羞恥心が込み上げた。初対面で自分が抱いていた『自分だけが不幸』などという甘ったれた思考に、怒りすら覚える。
 目元が似ているなどと軽々しく口走り、嬉しそうに笑む輪の中で、のうのうと浸っていた自分の愚かさに腹が立った。あの瞬間、あの場にいた自分以外の人間を、傷付けた事実。なのに、変わらず温かく迎え入れてくれた。これからも、そうしようとしてくれている。
 記憶を失くしたふりをする。というのは、並大抵の努力では到底貫けるものではない。と想像した。
 必死に自分を護る為に、侑希は闘ってきたのだ。一生消すことの叶わない記憶を抱え、根拠なき恐怖に怯え、必死に偽ってきた。
 ――総ては、自身の保身の為。嫌われないよう、また、棄てられることが無いように、と。
 だから侑希は笑っていた。どんな時でも、笑うことを最優先にした。ノセは理性ではないところで、それを感じ取っていた。
 偽りのものだと。“貼り付けた笑顔”なのだと。

 ノセは言葉を完全に失っていた。
 機能という機能をフル活動させて、一言でいい、言うべき言葉を懸命にさぐるのだけれど、焦るほどに頭の中は真っ白になっていく。己が唐変木に思えて、ひどく落ち込んだ。
 と、急に空気が解けた。侑希は笑顔を零す。音量を押さえて、笑っていた。
「俺さ、巧く“ふり”が出来てたと思ってたんだ。ずっと、こっちに住むようになってからずっと、さ」
 でも本当はバレバレだったんだ、と可笑しそうにしている。
 夕べ、三人で食卓を囲みながら、本当に久し振りにゆっくりとした時間を過ごした。水原夫妻は侑希に、喧嘩の理由を問い掛けてこなかった。喧嘩したことを、咎めもしなかった。
 だから侑希は自主的に、話し、謝り、打ち明けた。
 嘘を吐いてきたこと。誤魔化す為に幾度も“両親がいない”のを疑問に思うふりをして、二人を困らせる質問をぶつけてきたこと。結果として欺く形になったこと。畏れていたこと。ずっと、苦しかったと。
 ――知っていたよ。
 静かに凪いだ、水面のような回答だった。あまりにあたたかくて、あたたかすぎて、泣きたくなった。そして、「怖かったよ」と言った。
 学校へ辿り着く前に、連絡を受けた時点ですでに、おおよその概要は知らされていた。引き金となった要因も。
 侑希の心が落ち着くまで、侑希が悲惨な記憶を受け止められるまで、侑希がそうすることを最善だと信じているのなら、どこまでも付き合うつもりでいたのだと、言った。
 それが総崩れしたのだと、真っ先に恐怖が襲った。
 何も知らない連中が聞きかじった程度のものを振りかざし、必死に護ってきたものを、いとも簡単に、土足で破壊したのだと。
「敵わない、って思った。有難い、って」
 清々しい顔だった。大気に溶け、頭上高く広がる蒼穹のごとく、清々しさだ。
「俺、ちゃんと護られていたんだなぁって、実感した」
「……すげぇ、な」
「な。すごいんだよ。――俺は、幸せ者だ」
「せやな」
「ノセだから、話したんだ」侑希は少し照れ臭そうだった。
 つられそうになって、唇を引き結び耐えた。男二人が揃って照れ入ってる図など、キショイじゃないか。
「……そら、おおきに」
 緩みがちな口元を厳格に保つのは骨が折れる。下らないことに苦心していながらも、込み上げる優越感は全身を駆け巡った。単純に、嬉しいと思った。
「ついでだから、謝っとく。悪かった」
 雰囲気に便乗したのがありありと判った。侑希らしい物言いだ。ついで、は接続語として正解なのだが、続けられた単語に疑問は拭いきれない。
「なん謝っとるん?」
 きょとんとして侑希を見遣る。珍獣を見る目付きになってしまった。ノセに対して、しおらしくなっていた。
「黙ってたこと、怒ってないのか?」
「なんで怒るん?」
 成程な。そりゃ、ちょっとは寂しく思ったけどな、とは口が裂けても言うものか。
 流石にこんな侑希だと調子が狂う。
「阿呆、下らんことぬかすな。侑希は侑希だ。関係あるか。ど阿呆」捲くし立てるように一気に吐き出す。
 照れ隠しみたいになってもたやないか!と自分突っ込み。
「アホ連発すんな。成績俺よか下のくせに」ふ、と笑音と同時に侑希は零した。
「そーゆんとちゃうやろ、この場合」
「さんきゅー」
「やめぇや」
 男相手に照れまくり。キショイの二乗、いや無限乗だ。
 後半の方は、侑希は楽しんでいる節が見受けられた。嬉々としている。「二度と言うか、ど阿呆」
 侑希の笑顔にはもう、翳りは見当たらない。


[短編掲載中]