城内は血の匂いが充満していた。着飾った貴族や皇族の姿は見えず、女官と軽症の騎士だけが走り廻っている。
 予想していたよりも各人の損傷はひどくはなかった。それでも動けぬ者は数十名にのぼり、診療室に収まりきらない者は廊下や中庭に置かれるという有様だった。
 その中を足早に通り抜け、開け放たれたままの診療室のドアをノックをする。忙しなく診察にあたっていた典医は、入口に立つミウカの姿を見つけると僅かに安堵した顔を見せた。
「必要な物を持ってこよう。コカの葉以外に要望はあるか?」
「コクラの実はございますか」
「熱を出している者もいるのか。では泉の清水もあった方がいいな」
「頼みます」
「判った。すぐ戻る」
 素早く遣り取りを終えるとミウカは自室へと向かった。


 同じ頃、薬品棚の前で莉哉は腕を組み眉間に皺を寄せていた。
 じっと睨み付けたところでこちらの世界の文字が読めるようになるわけではないが、泉のほとりで少女が塗ってくれた薬の入れ物は覚えている。少々匂いが難だが、効果は秀抜していた。皮一枚切れただけの傷はほとんど治りかけている。
 俺には関係ない。けどやっぱ見て見ぬフリはなぁ…。
 言い訳するみたいに心の中で呟く。何となく恥じ入った気持ちになって、誰が見ているわけでもないのに棚の探索に夢中になりかけた時だった。
「ここでなにをしている」
 突然の声に背中が凍りついた。意識として悪いことをしてはいないのだが、咎めるような口調に硬直した。そろりと声の方に視線を動かす。入口に背をもたせかけ、銀髪碧眼の少年が立っていた。コウキと同じ色を纏う少年。歳はミウカと同じくらいに見えた。
「…名は?」
 碧眼が遠慮なく突き刺さる。口調はコウキとは真反対に軽いものだが、底冷えするほど冷たい碧の視線は彼と親類なのだろうと容易に想像できた。
 つくづく思う。ラスタールに飛ばされてきて以降、面と向かって名前を問われる時は必ず、ただならぬ威圧感をぶつけられてきた。こちらではそれが当たり前なのかもしれない。
 三度目ともなれば慣れてしまうものなのか、多少うんざり気味に口を開いた。
「素路莉哉だ」
「ああ。お前が」
 銀髪の少年は納得顔で熟視する。飛ばされて以来、何も判らないまま時間だけが経過していく苛立たしさからか、軽んじて見られてる感じがして癇に触った。
 むっと眉をひそめた莉哉に、少年は口端を持ち上げた。
「で?ミュウの部屋でなにをしている?」
「ミウカの部屋なのか?ここ」
 昨日最初に通された簡素な部屋。数えきれないほどの薬品が並んだ棚が二つ並んで置いてあり、寝台があって、診察室かそういう類のものだと思い込んでいた。
 生活感がまるでない。しかも、年頃の女の子の部屋とは到底思えなかった。
「薬でも探していたか」
 近づいてきながら、莉哉の手に握られた瓶に目を留める。
「なんて書いてあるのかが判らない。傷の手当てに使えるのはどれだ?」
「昨日リイヤに使ったものなら、そっちの平べったいガラスの入れ物になる」
「ミュウ!」
 弾かれたように振り返り、部屋に入ってきたミウカに駆け寄るさまを、犬のようだと莉哉は思った。ミウカは軽く少年を受け流して莉哉を見た。
「まだ傷が痛むのか?」
「俺じゃなくて…」
 莉哉の首に手を添えて傷口を覗き込んでくるミウカの体温に心臓が跳ねた。
「…騎士達にか?」
「あの薬、すげー効果あるみたいだから」
「そうか」
 目を細め嬉しそうに少女は笑った。が、
「…て、なにを不機嫌になってる?」
 訝しげに問う少女を横目に、いかにも面白くないといった様子で銀髪の少年は莉哉ににじり寄った。まじまじと見つめられ、上半身を軽く仰け反らせる。
「ミュウってば、コイツには優しいじゃないか。特別扱いはよくないよ」
「なっ…。訳の判らんことを言うな!」
 …なんだ。単なるヤキモチかよ。呆れ半分、納得半分。どうやら彼はミウカに想いを寄せているらしい。
「自分の所為でついた傷だからな。普通気に掛ける」
「にしても、よく剣止めれたよねー」
「実を言うと際どかった」
「…だろうね。この程度で済んでよかったな、リイヤ。ミュウに抜剣されて首と胴体がくっついてた者などいない」
 陽気な口調だが、喋ってる内容に慄いた。二人に挟まれる形で恬然と繰り広げられる会話に唖然とするだけで、割って入る気にもなれなかった。
「視界の端に目の色が入った。それがなければ躊躇しなかったな」
 受け答えするミウカも淡然と言う。
「だよね。…命拾いしたな」
 目の色がなんだって、と莉哉が問い掛けを口にする前に、少年はミウカに向き直り「でも、それだけ?」と問う。
「もしかして惚れちゃった?」
「なななななんっ…!?」
 少年の言葉に耳まで一気に真っ赤に染まる。この手の話題には免疫がないらしい。小動物を慈しむ時のような感情の波を何とか押し止めて少女を見つめた。
「リイヤ、許さないからな」
「え?」
 唐突な言葉に疑問符を浮かべる。真っ赤になったミウカから名残惜しげに目線を移した。莉哉よりも若干低い位置にある碧眼とかち合った。
「ミュウは僕の正室になるのだから」
 ぴっと指を差され、ぽかんと少年を見つめ返した。すかさずミウカの手刀がそれを打ち落とす。
「馬鹿言うな!」
「だったら側室でも…」
「どっちもない!」
 懲りずに粘る少年は今やミウカに抱きつく勢いで、思いっ切り腕を突っ撥ねられていた。二人の関係も状況も呑み込めず、面白くない思いだけが沸き起こる。
「やっぱり…兄様と…?」
「冗談言うな!自分は誰とも…っ!!」
 とうとうぎゅうっと抱き締められ、言葉を切った。逸らした顔に辟易した色が垣間見える。
「と、とにかく!今はこんなことをしている場合ではないだろうっ」
 碧眼はつと真面目な顔つきになって、パッと少女を解放した。
「そうだったね」
 少年を脇に押し退けて、莉哉に向かい直ると真摯な顔を向けた。
「では、リイヤ。手伝ってくれるか」
「…おう」
 展開に置いてけぼりをくっていた莉哉は、何とか意識の舵を取り戻して頷いた。
 赤銅色と銀色の影は慣れた手つきで棚の中身を振り分けていく。ただ立ってるしかないので莉哉は下がって二人を静観していた。
「コクラの実は必要?ルルドゥは…火傷はないか」
「コクラを頼む。あと、ルーリの花を。…あるだけ、全部」
「全部?」
「そうだ」
「けど全部使ったらミュウが…」
「構わない。用意して」
 ちら、と莉哉を気にしてミウカは少年の言葉を遮った。
 テキパキと必要なものを揃え、先頭きって部屋を出ていくミウカの後に続いた少年は、くるっと振り返った。すぐ後にいた莉哉はぶつかりそうになって、たたらを踏む。
「な、なんだよ」
「ミュウに手ぇ出すなよ。これは命令だからな」
「は?」
 返す言葉も見つからず、睨み付けてくる碧眼を見た。
「タキ!!馬鹿なこと言ってないでさっさと行くぞ」
 廊下に出ていた筈のミウカが少年の真後ろに立っていた。銀髪の少年は肩を竦めて、飄々とした足取りで部屋をあとにした。
 取り残された二人は顔を合わせる。
「変なところを見せた。あれで皇族だというのだから困ったものだな」
 日常茶飯事の遣り取りもひとまず落ち着き、ミウカはそっと溜め息を吐いた。
「皇族って、コウキの弟とか?」
 少女はそう、と頷いた。
「タキ=リラーチェス=ナラダ。この国の、第二皇子だ」


[短編掲載中]