君が泣ける場所を、自責のない空間を、作ってあげたいと思った…――


「ねえ、まずいよ。行っちゃ駄目だよ。やめようよぉ」
 小さな二つの影が路地の隙間に寄り添うようにしゃがみ込んでいた。
「なんだよ。セトにだから話したのに」
 齢十にも満たない二人の少年。勝ち気な目をした少年はふんっと鼻を鳴らした。
「だってさ…。ミュウ姉が知ったら怒るよ?絶対危険なことしないでって、いつも言ってるじゃないか」
 弱腰でぐじぐじとセトは話す。性格は真反対といっていいほどの二人だが常に一緒にいる親友同士だった。
「危ないことがあるもんか。今までだって何度も会ってるんだぞ。僕は無事じゃないか。それにこれ見てよ」
 勝気な瞳の少年は、服の内側に忍ばせていた短剣を取り出した。
「どうしたんだよ、これ」
 目を見開いたセトに自慢気に笑う。
「もしハルの奴が現れたら僕が退治してやるんだ。ミュウ姉は僕が護る」
「そんなの…無理だよ。あいつ滅茶苦茶強いんだぞ」
「やってみなくちゃ判んないよ。とにかく、これは護身用にも使えるし」
「でも…」
「あーもうっ、いいよっ!僕一人で行くよ。絶対誰にも話すなよっ」
「待ってよ、マトゥーサ。僕も行くよ」
 先に駆け出したマトゥーサを追い掛けて走り出す。セトが隣に並ぶとマトゥーサは嬉しそうに笑った。

「お、なんだマトゥーサ。今日は相棒が一緒か」
 門を通り抜けようとした時、門兵が気軽に声を掛けてきた。家が近所ということもあって顔馴染みだった。
「うん。今日はいっぱい薬草を摘んでこれるよ」
 屈託ない笑顔に門兵は表情を曇らせたがすぐに違う顔を作った。
「少しはよくなってるかい?」
 マトゥーサの母親が病に倒れ、街の医者さえ匙を投げたという話は周知のことだった。知らないのはおそらく、この無垢な子供達だけだろう。
「最近はずっと落ち着いてて、躯を起こしていられることもあるんだ」
「そうか。きっとマトゥーサの薬草が効いてんだな。気を付けて行ってこいよ」
 へへへ、と得意気にマトゥーサは笑う。
「うんっ」
 元気に手を振り走りだした少年の背中を見送りながら、門兵は長く息を吐き出した。




「どこまで進むんだよぉ」
 半べそ状態でマトゥーサの後についていたセトは堪らなくなって呼び掛ける。
 街門を出て右に行くと比較的背の低い木が生い茂る森がある。魔物が出ることはなく、深入りしなければ危険はないとされる場所。薬草が沢山あるのでよくミウカが子供達とくる森でもあった。
 しかし二人は今、ミウカと訪れるよりも更に奥へと進んでいた。
「マトゥーサってば」
「あとちょっとだよ。約束したんだ、今度はルーリの花をくれるって」
「信用できんの?」
「今までだって貴重な薬草分けてくれたんだ。よく見つけたなって街の大人は誉めてくれただろ。ルーリの花持っていったらミュウ姉喜んでくれる。笑った顔見たいもん」
  トゥーサの母親はルーリの花を好んでいた。それを知ったミウカは採取の間隔を縮めたのだ。ついでだと言い張るミウカだったが、ついでで行くような場所には咲かない花だ。危険を冒してまで自分の母親の為に動いてくれるミウカを、いつでも自分達の為に動いてくれるミウカを、少年達は心から好いていた。
「そんなのっ…僕だって同じだい!」
「だよな!?」
 少年達は互いに顔を合わせ笑い、手を取って駆け出した。


 小川のほとりに、その人物は立っていた。小さな二つの気配を感じ、口元に笑みを浮かべる。親しみとは程遠い笑みだった。
 マトゥーサは目的の姿をとらえると大声で呼び掛けた。男は冷笑を消し、偽りの笑顔を張りつける。
「今日は友達が一緒なんだね」
 優しい声色だった。しゃがみ込んだ男に笑みを返す。
「僕の親友なんだ」
「名前は?」
 マトゥーサから自分へと向けられた視線に小さくビクついて、セトは半歩下がった。男は柔和の笑みを崩さない。
「セトは人見知りだからなぁ」
「うっ…うるさい!」
 顔を真っ赤にして反論するセト。からかっていたマトゥーサが感じていなかった違和感に、セトの本能が反応していた。本人も気づかぬ、危険信号を。
「私はザドーという。宜しくな、セト」
 笑顔と共に差し出された手を、おずと握り返した。
 セトが感じた違和感は、時間の経過と共に薄れていった。否、もともとハッキリとそれと判るほどに少年の中には根付いていなかった。
 だから親友のマトゥーサが、ミウカと話す時のような表情をザドーに向け、本当に楽しそうに笑っていれば気に留めることもなくなるのは至極当然だった。
 時を忘れ、三人で談笑する時間はあっという間に過ぎ、夕刻の風が吹いて初めて、長居を認識した。見上げた空は仄かに夕暮れに染まりつつある。
「ねぇ、マトゥーサ。もう帰らなきゃ」
 セトはさっさと立ち上がってマトゥーサの腕を引っ張った。話が盛り上がってきたところでの中断にマトゥーサは口を尖らせる。
「まだ平気だよ。もうちょっとだけ。な?」
「駄目だよ。暗くなったら帰り道判らなくなっちゃう」
 それでなくてもだいぶ奥まできてしまってるのだ。通ってきた道はすでに薄暗くなっていた。
 帰ろうよ、と無理矢理立たせようとするセトの腕をザドーが柔らかく掴んだ。
「心配性なんだな、セトは。ミウカ殿にそっくりだ」
 二人の目が、一斉にザドーに注がれた。その勢いのよさにザドーは苦笑してみせる。
「ミュウ姉を知ってるの!?」
 声を揃えて、微苦笑するザドーを見上げた。
「知ってるもなにも、仲良いんだ。君達のこともよく聞いてるよ。…二人とも良い子だって、いつも話してる。ミウカ殿は君達が大好きなんだな」
 少年達は顔を見合わせてニンマリ笑った。
「嬉しいね!」
「ああ!嬉しい!」
 手を取り合って、その場でピョンピョン跳ね回る。三人は大きな一枚岩の上でお喋りをしていたのだが、あまりのはしゃぎようにマトゥーサが足を踏み外した。ガクンと体勢を崩し、セト諸共重力に引っ張られる。
「っ!わあぁっ!」
 ぎゅっと目をつぶった少年二人。落ちる空気抵抗も、衝撃もなかった。
「間一髪、だな」
 両手で少年それぞれの二の腕を捕まえて、安堵顔でザドーは息を吐いた。ちょこんと座り直されお礼を言う。
「君達もミウカ殿が好きなんだな」
「うん!」
 そうか、と言ってザドーは尚も柔和な笑みを浮かべる。だが、つとその表情を曇らせた。
「ザドーさん?」
「…彼女が困っているのは知っているかい?」
 同時に少年達は首を横に振る。
「話してないのか。…そうか。そうだな」
 ザドーは一人納得顔で益々陰りを濃くした。
 街にきてはせがまれるままに笛を吹き、いつでも護ってくれる強く優しいミウカ。大人達は嫌な顔をする者も少なくないが、大人がつける理由など彼らには関係なかった。目の前にいるミウカが、子供達はみんな大好きだった。
 そのミウカが困っているという。小さな胸中を波立たせるには充分な一言だった。
「なに?教えてよ」
 縋るように二人はザドーの腕を掴んだ。純粋な瞳が不安に支配され揺れている。
「僕達に出来ること?」
「…ああ。だがミウカ殿が話してないことを、私が言う訳には…」
 小さな手に力が入る。
「僕達、ミュウ姉の役に立ちたいんだ!それをしたら喜んでくれるんだよね?」
 ザドーが頷くのを見て、二人の声が揃う。
「だったらなんでもするよ!」




 空が青から橙へと、夜を迎え始めていた。

 そろそろ交代の時間だな。
 マトゥーサとセトを見送った門兵は欠伸を噛み殺しながら街門の外側を見渡した。夕刻の風がひんやりと、街へと流れていく。
 そういえば、あの子達戻ってないよな。
 少年達が入っていった森の方を見遣った。木々の下地に生えていた草がガサリ、と動く。姿を現した一つの影。目を瞠った。
「セト!?」
 叫ぶと同時に門兵は駆け出していた。
 左腕はダラリと力無くぶら下がり、それを押さえる右腕の指の隙間から真紅の液体が滴り落ちる。少年の細い腕は真っ赤に染まっていた。顔面蒼白なのは、出血の量よりも精神的な傷が大きい。
「ミ、…ウ、は?」
 門兵に抱き留められ、薄く開かれた唇から吐息が洩れ落ちる。
「なんだ!?セト!…マトゥーサは!?なにがあった!?セト!!」

 セトはうつろに視界を眺めていた。門兵の顔が近くにあった。口がひっきりなしに動いていた。集まってくる人々の顔があった。一様に目を見開いて何かを言っている。
 ――だが、セトには五感の総てが無だった。何も見えない、何も聞こえない。自身の口から発せられる言葉も、聞こえない。
 ただ繰り返し、うわ言のように混濁する意識の中で呟き続けた。マトゥーサを救える、唯一の名を。


 コウキの執務室で定例の政をしていたミウカが知らせを聞いたのは、それから幾許も経っていなかった。
 瞳は鮮やかに色を変える――
 制止の命令など、耳に届くわけもなかった。




 夕日に染まるナラダの城下街。白亜の城が紅く浮かび上がるさまは、一日のどんな時よりも美しく映えた。橙から群青へ、そして漆黒へと変わっていく時間を、ミウカは好きだった。
 燃える太陽はゆっくりと彼方へ消えて行こうとしている。赤銅色の髪が、夕日に染まっていた。
「これはなんの戯れだ」
 少女特有の愛らしいトーンが低く奏でられた。激憤が陽炎のごとく少女の背後に立ち昇る。
 一点を穴が開くほど見つめるように、正面に立つ者を睨み付けた。顔が見えないよう深くフードを被っているが、ミウカには誰であるか判っていた。
 その斜め後ろに副隊長ザドーが従い、さらにその後衛に三人の男達が立っていた。
「答えろ!ハル!!」
 苛立ちを隠しもせず声を張り上げた。一蹴で相手に届く間合い。それは相手にとっても同じことで、拮抗状態は永遠にも思えるほどだった。
 逆鱗に触れてはいても、少女の頭の芯は冷め切っていた。齢十五の少女は数多の闘いでそれを身につけていた。感情に呑まれたものの負けだと。
 五年という年月が、あの日が、それまでの彼女を一変させた。否、加速させたのだ。
「その子を返してもらおう。人質など無意味!!この自分が相手だ!」
 空気を切り裂いて届いた言葉を、ハルは一笑した。嘲り、いっそ可笑しいと。
「ザドー、その子を離せ」
「私は仕える者にしか従いません。貴女様はまだ私の主ではありませんので」
 いちいち癪に障る!
 奥歯を噛み締めた。内心舌打ちをし、眉間に皺を寄せる。
 目深に被ったフードの奥から短い笑声があがった。
「人質が無意味だと?俺にはお前の動揺が手に取るように判る。ところで、ミウカ。俺はその瞳の色が嫌いだ。戻せよ。せっかく同じ色に産まれたというのに…」
 言葉尻に合わせて、ゆっくりとフードを払い除ける。姿を現した――赤銅色。
「俺達は、二人で一つだ。…なぁ、ミウカ?」

 ――同じ宿命を背負った、赤銅色の瞳。


[短編掲載中]