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明けきらない早朝の空気の中、長身の銀色の影は空を仰いだ。
重く垂れ込めたぶ厚い雲に覆われ、光源は姿を覆い隠していた。それでも薄明るくなりつつある大気が、朝の訪れを示していた。
コウキは数名の臣下を従え城門を出た所に立っていた。門の真下にはタキと莉哉が並んで立つ。他に城の者はいなかった。
昨夜ミウカは倒れた後高熱を出し、シェファーナは夜通しで看病にあたった。朝方になって熱は下がったがとても起きられる状態ではなく、本人の意志をもってしても躯を動かすことは出来なかった。
無理に起きだそうとして寝台から転がり落ち、意識を失った。そのまま今の時間に至る。
「ミウカに気をつけていろ」
正直見送りよりもミウカが気になってそわそわと落ち着かずにいた莉哉と、頭の後ろで手を組んでいたタキに、コウキの低い声が向けられた。
空に向いていた碧眼が今は二人に向けられていた。
だったら見送りなんかさせんなよ、と内心で毒づく。
シェファーナにミウカの様子を聞いてからずっと、傍にいたいと思っていた。看病はシェファーナに任せておけば間違いないし、かえって自分は何も出来ないかもしれないが、それでも近くにいたかった。
不機嫌を隠しもせず黙って頷いた。横にいたタキは一歩前へ出る。
「僕がいるから大丈夫ですよ」
真っ直ぐにコウキを見て、チラリと空を見た。
なんだ?
さっきから兄弟は揃って空を気にしていた。今にも雨が振り出しそうな色だった。
城内へ戻りその足でミウカの部屋へと向かった。珍しくタキの顔に憂慮の色があった。が、それも扉をノックする瞬間に掻き消えた。
シェファーナの声が応じた。まだ眠っているのかと扉を開けると、少女はベッドで上半身を起こしていた。
一晩で急に痩せたように顔色はすぐれなかったが、瞳には強剛な光が戻っていた。
「コウキは発ったのか?」
「行かれたよ。婚約者の所へね」
若干、揶揄するような口調だった。ミウカは眉根を寄せて不機嫌な顔つきになる。
「政で向かったんだ。下世話な言い方をするな」
「怒ることないだろー。結果として同じじゃないか。気にしてるのはミュウの方だよね。僕がいるんだから、怒らないでよ」
うるさい、と突っ撥ねるミウカと懐っこくにじり寄っていくタキ。離れた位置にいた莉哉は何となくムッとしていた。
シェファーナは回復しきっていないミウカを心配して、止めに入らなければと思案に暮れていた。かといって使用人である彼女に皇子に向けられる言葉があるわけはなく、オロオロするばかり。
「兄様心配していたよ」
「余計なお世話だな」
「僕も心配してるんだよ?」
「だったら、休ませてやれよ。お前がいるとミウカが落ち着けない」
いよいよ寝台に腰掛けそうになったタキの首根っこをむんずと捕まえて引っ張り立たせた。背後に居たシェファーナは安堵に胸を撫で下ろす。
「離せよ、リイヤ。無礼だぞ!」
「ごめんな、ミウカ。ゆっくり休んで」
ミウカはぽかんと莉哉を見上げる。彼には皇族だの上下関係だのは関係ない。タキに遠慮をする必要など全くない。
ぐるんとタキを方向転換させると抵抗を無視してそのまま出口へと向かおうとした。と、少女はコロコロと笑い出す。
「傑作だな、タキ!コウキ以外にそんな態度をとられるとは思ってなかっただろ」
かぁっと顔を赤くしてタキは莉哉の手を思いっ切り払い除けた。その腕が顔に当たりそうになって躯を仰け反らせかわす。
かつんと音を立てて、何かが床に落ちた。
素早く拾い上げたタキがそれを顔の位置まで持ち上げる。ストラップを指先で摘んで、携帯電話をまじまじと観察した。
「なんだ、これ」
「返せ。俺んだ」
「面白いな。お前の世界のものは」
出された莉哉の手に見向きもせずひっくり返したり振ってみたり。いつもは飄々としたタキが見せる子供みたいな態度に可笑しくなる。棘々するのが馬鹿らしくなった。
「なにに使うもんなんだ?」
「通信機器だよ。これで遠くにいる人と話ができる」
部屋にいる三人共が感嘆の声を漏らした。
「自分にも見せてくれないか」
ミウカは携帯電話を受け取るとタキ同様外側を観察していたのだが、二つ折りということに気がついた。
しまった。電源切り忘れてた。
咄嗟に止めようとした莉哉よりも早く、液晶画面が光を放つ。
「すごいな、これ。莉哉がいる」
「どれ?」
シェファーナまでもがタキと一緒になって画面を覗き込んでいた。
「隣にいるのは誰なんだ?」
純粋な赤銅色の瞳。無邪気で澄んでいて。――妙に後ろめたく感じた。回答を躊躇っていた。
「恋人か?」
遠慮ないタキの声。莉哉の返答を待たず勝手に三人は盛り上がる。
画面の中で共に笑う笑顔。莉哉の彼女。名前を朝香といった。
始まりは彼女の方からだった。見た目は学年一の器量よしと言われ、性格も良かった。何より本当に莉哉のことを好きで、自慢の彼女。…その筈だった。
文句をつける所などなかったのだ。問題があるとすれば、それは莉哉の心の方で。
彼女を嫌いだったわけじゃない。羨望の的になるのは正直気持ちが良かった。彼女が望む事をそれとなく察し、上手く立ち回ることも出来た。
だけど、彼女が自分を想うほど、自分は彼女を想ってはいなかった。たぶん莉哉は、誰かを本気で好きになるということが、判っていなかった。否、怖かったのだ。
幼い頃の心の傷が、裏切られることへの恐怖心が、本人も知らぬうちにブレーキをかける。
ひどいことをしていると、自覚はあった。本気で好きじゃないのなら、付き合うべきではないのだと。だけどそうして遣り過ごしていないと不安に潰されそうになる。
まわりと同じでいれば、嫌われない。
まわりと同じでいれば、気色がられることはない。
まわりと同じでいれば、溶け込んでいられる。
身につけてしまった自身を護る術を、今更変えるなんてできなかった。怖いから。孤独になるのは辛いから。『違うもの』と認識されるのは、痛いから。

[短編掲載中]