帰りたいか。と問われれば、「帰りたい」と答えるだろう。だが、「今はまだ」ここにいたい、とも答えるだろう。
 自分勝手と言われればそれまでなのだが、正直な気持ちなのだから仕方ない。


 素路莉哉。常汪高校に在籍する二年生。天文部に所属。フランス人の母をもち、容姿端麗、成績上位。一部のやっかみ等はあるものの、取るに足らない心配事だった。
 性格はいたって明るく、誰とでも打ち解けられると周りには豪語していた。――それが努力の上に成り立っていると気づく者はいなかった。
 天文部の部長、麻居諒に出逢うまでは。
『俺はだな、莉哉。人間の価値なんて見た目じゃないと思うぞ?』
 あっさりと、莉哉が奥に隠した『本物』を見抜いた諒は、そう言って屈託なく笑った。一つ上の先輩が、子供っぽく見えた瞬間だった。
 幼少期の苦い思い出を知らないくせに、判ったようなことを言う。と、腹立たしく思った。完璧だと思っていただけに、本当の自分を見つけられたのが恥ずかしかったのだ。
「そういう先輩だって、ずいぶんとモテるって聞きましたけど?」
 と、言い返した。口ごたえする子供みたいだと思いながら言った記憶がある。
『お前は掴み所がないって言われてるけどな、俺からみれば判り易いくらいだ』
 そう言われたのはいつだったか。いつしか莉哉は、この先輩のことが好きになっていた。反発したところで当てられた事実が変わるわけではなく、いっそ共有してくれる人が近くにいるのが心地いいくらいで。
「先輩は彼女作んないんすか?」
 今までにも何度か聞いたことのある質問だった。ずっと不思議で、理想が高すぎるとか、そんな原因ではないのだとは思ってきたのだが。その度に巧くはぐらかされて。
 今莉哉の隣に座るこの先輩は、数多の告白を断り続け、まことしやかに囁かれる変な噂を笑い飛ばす、ざっくばらんな性格の持ち主だった。また誤魔化されるだろうかと思いながら口にしていた。
 天文部では年に数回、合宿を行っていた。決まった時期は特になく、いわば生徒のさじ加減次第だった。現三年生で部長を勤める諒はいわゆる『お祭り男』で、彼が部長になってから歴代最多を誇っているらしい。
 合宿といっても真面目に観測する者を捜す方が困難なくらいで、幽霊部員も多く所属するこの部も、合宿の時ばかりは普段の二倍は人数が集まる。要するに泊まりでみんなで集まって楽しめればいい。
 三年はたいていこの時期には引退しているものなのだが、未だ部長の座に居座り続けている。
 本人曰く「以前入院していた期間の穴埋め」とのこと。そのために一緒になって引退できずにいる彼の親友である倉橋優輔は、ある時こう言っていた。
『諒は待っているんだ』と。
『失った何かを捜している』と。
 なにを、と問うと、俺には判らないんだと、困ったように笑った。人かもしれないし、モノかもしれない。本人にも判らないものらしい、と言って。
 莉哉が入部して何度目かの合宿。観測という名の自由時間に、望遠鏡ほったらかしで天を仰いでいた。隣には諒がいて、天には星の川がゆったりと流れていた。
 自然に癒されるこんな時間ならば、素直に打ち明けてもらえるかと思って、毎度お馴染みになってしまった質問を投げ掛けてみた。
「安心しろ、俺はノーマルだ」
「は?答えになってないですが?」
 噂を立てる輩以上に当人が面白がっている節がある。今度はどんな噂が立ったのよ?と嬉々として尋ねるさまは子供みたいだった。そんな彼と、裏も表もない性格の彼といるのは楽しかった。
 また流されるのかよ、と少々辟易しつつ、返事をしないでいると、諒は突然大袈裟なくらい逃げ腰の態度をとった。
「なんすか?」
「もしかして、俺のこと好きとか?」
「馬鹿、じゃないっすか。俺は、ちゃんと彼女いますし」
 馬鹿、と、俺は、に力を込めてそう言うと、負けないくらい大袈裟に冷ややかな視線を向ける。二人同時に吹き出し、笑った。
 こんな馬鹿みたいな会話はしょっちゅうで、馬鹿馬鹿しい話が楽しくて仕方なかった。
 合宿所の近くには川が流れており、川辺の大きな岩の上に腰掛けていた。他に部員はいない。
「学年一の美女、朝香ちゃん。羨ましい限りだな」
「先輩なら選り取りみどりでしょーが」
「お前に言われたかないね」
 諒に並ぶほど、告白なら何度も受けてきた。
 理由の大半を莉哉の『見た目』が占めているのだろうけれど、どこが好き、と聞けばたいてい、明るく快活なところと言われる。表面で笑顔を作りながら、胸中ではこの子もか…と考えてる醒めた自分がいた。
 同時に、自分は最低だな、とも思う。
 自覚していても、表面しか見られていないのであれば、こんなことは一生続くのだ。外見が原因で受けてきた心の傷は、今だ癒えずに膿んでいた。
 ――自分の価値は、どこにあるんだ?
「彼女を好きか?」
 つと真面目な声色に諒の方を見た。真剣な双眸が莉哉を射抜く。奥の真を覗く為に。
「も、勿論。じゃなきゃ付き合いません」
 まともに顔を見て言い放った。微妙に速度を上げた鼓動を悟られぬよう、平静を装った。若干つっかえてしまったとはいえ、充分誤魔化しきれていた。…筈だった。
 本当は、煩わしさを一掃したかったのが一番の理由だった。誰かと付き合えば、見た目につられて寄ってくる者は減る。しかも相手が自分には敵わないと思えるほどの容姿であれば、熱も冷める。そんな単純な理由が大きく割合を占めていた。
 謂われ無い中傷の代わりに手にしたものが、疎ましかったから。
 朝香のことは、いい子だと思う。好感も持てる。彼女は本当に自分のことを好きでいてくれる。
 ――だから、こんな自分では申し訳ないと思う。『本当』を知ったら、離れていくのだろうか。
 心の中で思ったことを、またも見抜かれたと判っていた。諒は続きを紡ごうとはしなかった。
「そうか」
 と言ったきり黙ってしまい、急激に後ろめたくなった。
 この先輩であれば自分を理解してくれると思う半面、離れていかれるのが怖くて素直になれずにいた。
「で、質問に答えてませんけど」
 わざと声の調子を上げた。
「理想が高いんだよ、俺は。…運命の出逢いを待ってるからなー」
 ふざけた語調。だが星を映す目には真剣な光が宿っていた。
「捜しているのは、なんですか」
「……」
「…それとも、誰か?」


[短編掲載中]