「…ヤ。…リイヤ!」
 唐突の声に、離れていた意識が一気に戻ってきた。幾重にも見えていた視界が急にクリアになって、自分を覗き込んでる赤銅色と目線が交差した。
「ぼうっとしてるな。具合でも悪いか?」
 記憶が混乱していた。白昼夢でも見てたみたいだ。
 だがあれは夢なんかじゃない。現にこうして、自分は異世界の現実に生きている。ミウカは幻なんかじゃなく、ここにいる。
 返答がないのを悪い方向に受け取ったのか、少女は莉哉の前にしゃがんだ格好のまま、あれこれ思考を巡らせていた。
「なんともないよ。ちょっと考えていただけだ」
 どう思う、と意見を求めてタキを見る。タキは肩を竦めるだけだった。そんなことは自分には関係ない、といったところだろう。
「稽古は終わったのか?」
 話題を変えるに限る。この世界にきて最初に出逢った責任感みたいなものなのだろうか、ミウカは常に莉哉を気に掛けている節があった。それは嬉しくもあり、申し訳ない気持ちにもなる。心配ばかりしてもらうわけにはいかない。人として――男として。
 自分がこのラスタールに、ミウカの元にきたことには、意味がある筈だ。まずは出来ることから始めるべきだ。
「終わってない。休憩を入れただけだ」
「…完全に回復してないんじゃないのか。無茶はかえってよくない」
「平気だ。自分のことだ。ちゃんと判ってる」
 判ってないから、もしくは気づかないフリをして無茶をしようとするから、コウキは心配してるんじゃないのか、とは口にはしなかったが、タキも同じ思いでいるようだった。小さく息を吐いたのが聞こえた。
 小言は聞きたくないとばかりにさっと立ち上がると、少女は伸びながら中庭の中央へと歩き始めていた。
「ほっといていいのか」
 離れていく細い背中を見つめた。
「あれでも軽くやってる方だよ。顔に似合わず頑固だからねー、ミュウは。兄様でも苦労するくらいだから」
 出発の前日にコウキに喰って掛かる姿を思い出すと妙に納得してしまう。
 誰に対しても頑ななのだろうか。一人くらい、彼女が寄り掛かれる人はいないのだろうか。
「ここでは剣を扱えないのは普通じゃないのか?」
「そんなことはないな。城下街にいれば剣など持ったことのない者が大半だ。城の中も然り。ミュウだって、本来は必要なかったんだ」
 女らしい格好してるのを一度でいいから見てみたいよ、と半ば愚痴るように口を尖らせた。
「宰相の娘というだけだったなら…」
 赤銅の宿命さえなかったなら、ミウカが剣を持つことはなかった。どうにもならない現実だと認識していても、込み上げる悔しさはどうにもならない。
「今でこそ皇室付騎士団の長なんかやるほどの実力を備えているが。…ミュウは自らの意志で剣を手にした。誰よりも強くなりたいと。運命を、自身の手で切り拓こうとして。それはもう、誰にも止められない」
 いつもの陽気さはなく、淡々と、ともすれば切り棄てるように言った。努めて他人事であるという風に話したくてそうしたのに、思い通りには話せていなかった。心情が震えているのが伝わる。タキはミウカの宿命を、共に背負いたいのかもしれない。
「そうか…」
 詳しいことを何も知らない莉哉としては、そう答えるしかなかった。重く沈みそうな沈黙が訪れる前に、ミウカを見つめながら、ぼそりと言った。
「俺は…。俺にも扱えるだろうか」
「なにがだ」
 できる何かを見つけたかった。意味を見出だしたかった。自分の存在価値を、ここにきた意味を見つけたい。だから、出来ることをやるべきだと思った。
「剣を、扱えるようになりたい」

 鍛錬を終え、中庭の大木の下で休んでいるミウカに、率直に意志を伝えた。
 驚いた様子はなく、納得してる風でもなかった。表情からは彼女の所懐を読み取れず、押し黙って待つしかなかった。
 そうしてミウカがようやと口を開いたのは、しばらく経ってからだった。莉哉の意図を受けて、ミウカは尋ねた。
「剣は、生命が消えゆく感触を、その手に残す。…それでも?」と。
 真摯な瞳はいっそ、冷たいくらいに澄んでいた。
 その覚悟があるのか、と。言葉なき問い掛けをする。
「それでも。…今の俺に出来ること。しなければいけないことだと思うから」
 少女の言葉の意味を呑み込んで、真っ直ぐに答えた。何故、と言い掛けて、ミウカは閉口した。
「…判った。用意しよう。時間の許す限り自分がみるよ。あと、約束してほしいことがある」
「なに」
「リイヤは自分を護る為だけに使ってくれ。生命あるものを…たとえ魔物であっても、斬るのは絶対駄目だ。どんな窮地に立たされても。なにを犠牲にしても」
 いずれ元の世界に戻る莉哉を憂慮してのこと。頷くしかなかった。一語一句総てに得心していなかったとしても。
 崖っぷちに立たされたら、然るべき行動に出ればいい。


◇◇◇


 もともと鈍臭い方ではないし、どちらかと言えば運動神経はある方だった。習い始めてすぐに筋がいいと褒められた。自分でも吸収しているのはひしひしと感じていたし、何より、打ち込めることがあるのは、余計なことを考える時間がなくなくなって有難かった。

 コウキがフィーゴスに発ってから、十日が過ぎていた。
 タキは公務に追われ慌しく過ごしていたし、ミウカは自分のペースで日々を過ごしていた。主であるコウキがいないのだから、少々手持ち無沙汰な感は否めなかったが。
 彼女と行動を共にすることも多くなり、城下街へ繰り出すことも珍しくなかった。ミウカが出られない時でも莉哉は一人で街へ出掛けていた。
 この間襲撃はなく、不気味なほどに平和な時間が流れていた。
 十日が経過し、何ら連絡がないことに業を煮やしたミウカが、自分もフィーゴスへ向かうと宣言し、タキは、
「兄様も色々あるんだよ。邪魔はいけない」
 と含みのある言い方をして、火に油を注いでいた。
 だがその宣言は選択の余地なしに、翌日には皇帝の命令として伝達が下った。タキ並びにミウカに、フィーゴスへくるようにと要請があったのだ。


[短編掲載中]