タキ、ミウカ、シェファーナ。そして莉哉。二頭のホスーは幌車を繋ぎ、命の下った夕刻には四人を乗せてフィーゴスへと向かっていた。
 ナラダの東に位置する小国へは、ほぼ一直線の道があるという。道なりに進めば迷うことなど皆無で、危険を伴う近道を使用するよりは数日余計に掛かるが、商人も利用するほど安全な道だった。
 気が急いていたミウカとしてはホスー単騎で行きたいところだった。タキは勿論、莉哉もホスーに乗れるようになっていた。けれどシェファーナとコウキ直令の荷物が一緒となれば、そうもいかなかった。
 本来ならコウキについて行くシェファーナが城に残っていたのはコウキの命によると聞いて、ミウカの焦慮は益々濃くなった。苛立つのは自身に対してなのだろう。肝心な時に足を引っ張っているのだと。
 そんな心情を察してか、幌車を操縦するタキはいたってのんびりと歩を進めている。出発してすぐに、二人が口論になりかけて、莉哉が取り成したことがあった。手綱の取り合いを抜剣しそうな勢いでぶつかっていた。立場上おろおろするしかなかったシェファーナが気の毒なくらいに、しばらくは険悪な雰囲気が続いた。
 タキは自分に素直と言えば聞こえはいいが、やはり歳相応の感覚なのだろう。ミウカに対する態度は、小学生が好きな女の子には意地悪してしまうのと通じるところがあった。
 自分達を呼ぶという意味に急を要するのだと判断したミウカに対して、兄であればそう心配するようなことにはなってないという楽観的な見方の弟とは意見が食い違うのは仕方のないこと。
 勿論、ミウカとてコウキには信頼を置いているので、取り越し苦労であることを願っているのは充分判るのだが。いらぬことでも考え込んでしまうのは、彼女の性分だった。
 莉哉でもミウカの危惧は判るし、焦る気持ちも判るのだが、正直なところ若干の苛立ちを覚えた。ミウカの心を波立たせる原因が、タキの揶揄する言葉によるものだと感じたからだ。
 そして、その自身の苛立ちの明確な理由があやふやで、余計に苛々するというはめに陥っていた。


◇◇◇


 出発した日の夜、焚き火を囲んで野営となった。寝静まった静寂の中、火のはぜる音と寝息だけがあった。寝付けず寝返りを打つ。夜空を横切る天の川が目に入った。
「“光の橋”か…」
 どうしても、ふと時間ができてしまうと元の世界を思い出す。ホームシックに掛かるほどヤワな神経は持ち合わせていない筈だったのだが。異世界なのが通常とは違う精神状態にさせるのだろうか。
 戻れるのか戻れないのか、方法があるのかどうかさえも不明のまま。今の自分がするべきことを見つけたものの、先が全く見えないのはやはり不安だった。
 いずれ戻るつもりでいるからといって、ここでやろうとしていることを付け焼刃で済ますつもりは毛頭無い。真剣になっているからこそ、上達も望めているのだ。
「俺は、どうしたい?」
 声に出してみたからといって、答えを出すのは自分自身なのだ。誰も答えなどくれない。
 無事帰れた後に待っているのは、偽り続ける生活。あそこではそうすることが一番無難に過ごしてゆける。唯一、真物を見抜いた諒がいれば、遣り過ごしていくことは可能だろう。
 けれど仮に、このまま帰れなかったとしたら…?
 慣れないことも多く、大変なこともまだまだ出てくるのかもしれない。が、大抵のことは時間が解決してくれる。何より楽なのは、偽りの自分を作らなくていいことだった。
 飛ばされてすぐ、仮面を被れなかったのが結果として、今の状態を招いている。
 莉哉の過去を知るものは誰一人としていない世界。素の自分を、受け入れてくれる場所。
 ――それこそが安穏ではないのか?
 ゆるゆると首を振って、思考を強制終了した。
 眠れないのなら少し躯を動かそうか。
 脇に置いてあった剣に手を伸ばす。鍛錬の間は、沈思をしないでいられた。
 ここに来たのは、自分の意思ではないのだ。安穏が存在するわけはない。
 ――自分は望んできたわけじゃない。…呼ばれたのだ。
 弾かれるようにして躯を起こした。
「呼ばれた…?」
 今更になって気がついた事実に、思い至らなかった自分に、愕然とした。
 あの声の主を見つけ出す事ができたら、何かが変わるかもしれない。選ぶべき路ができるかもしれない。
「リイヤ?」
「っ。…起きてたのか?」
 少し離れた木の幹に寄り掛かり、片膝を立てて座っていたミウカは、大きな瞳を莉哉に向けていた。他の二人と一緒に眠りに落ちていたと思っていたので不意打ちだった。
 前に中庭で転寝していた時にも疑問に思ったのだが、彼女は熟睡することがあるのだろうか。あまりにも覚醒は明瞭で素早くて。本当は寝ていないのではないかと思うくらいだった。
「起こしちゃったか?」
「…いや」
 隣に行ってもいいか、との目配せに頷くと、少女は剣を取って莉哉の横に腰掛けた。少しでも躯を傾ければ触れてしまいそうになる距離。心音がざわめきだす。
 炎に照らし出される横顔は、どこまでも楚々としている。実年齢よりも上に見えるのは、彼女の経験からなるものなのだろうか。
「気が休まらないんだろう。同伴させて悪かった」
「ミウカが謝ることじゃない」
 これはタキから聞いたことなのだが、当然というべきか、フィーゴスにいるコウキからの要請に莉哉は入っていなかった。
 真っ先に莉哉を連れていくと決めたのはミウカなのだと、出発直前に零された。その時のタキが不満げだったのは言うまでもない。
「ナラダに置いてかれても、困るよ」
 言ってしまってから、寂しがる子供みたいな台詞だと恥ずかしくなる。間髪入れずに続ける。「だ、だから、気にすんな」
「…ん」
 あまりにも普通に返されてしまって、余計落ち着かない心地になった。
「もっ…勿論、遊びに行くわけじゃないって、判ってるからなっ…」
「そんなことは、承知してる」
 ミウカは薄く笑い、ついと天を仰いだ。
 何か想いを引っ掛けているようで、何も気にしていないようで。横顔からは読み取れなかった。
「“光の橋”、って?」振り仰いだまま、問う。
 呟きほどの独り言が聞こえていたことに驚いたが、不快というよりは何だか気恥ずかしかった。
「天の川の、別名なんだ」
「天の川?」
 莉哉の指差す方向を辿りながら空を見上げる。
「…ああ、星河のことか…」
「夜空は俺がきた世界と同じだよ。こっちでは星河というのか?」
 少女が頷いたのが気配で感じられた。
「星河は、恋人達が気の遠くなる時間を掛けて作った橋。…そんな言い伝えもあると聞いたことがある。街娘とか城の娘達の間で語り継がれる恋物語だな」
 まるで自分には関係ないと、無関心事のように話す少女。それを口惜しいと思っているわけではなく、自分とは無関係の位置にあることだと決めつけている。莉哉にも伝わるのだが、どうしても比べずにはいられない。日常にいた頃、自分の周りにいたミウカと同年代の少女達を思い出すと、切なく感じずにはいられなかった。たとえそれが、彼の傲慢にしかなっていなかったとしても。
「“光の橋”にも、想い合う二人の言い伝えがある。…共通点発見、だな」
 ほんの些細なことなのに、嬉しかった。こんな感情が湧くこと自体、よっぽど自分の方が女の子らしいかも、というのはこの際無視をする。
「他にもな、共通するところはあるんだ。…けど」
「なんだ。…リイヤ?」
 急に口を噤んで押し黙った莉哉の顔を、赤銅色の瞳が覗き込んだ。
「俺と同じ色は、いない」
 僅かに見開かれた少女の瞳。その動きを、目視せずとも感じ取っていた。
「ナラダに踏み入れた時から気づいてたよ。ここでは俺が異質なんだって。…ミウカは…」
 君は、何を知っている?どこまで知っている?
 言葉を、紡げなかった。口にするのが、怖いと。――しては、いけないと。
 間に落ちた沈黙は、とても長く感じられた。
 静かに、少女の声が夜気に響いた。

「自分は、好きだぞ」


[短編掲載中]