「…え」
 柔らかい笑みをその愛らしい顔に浮かべて、ミウカは莉哉を一直線に見つめていた。
「リイヤの瞳は綺麗な色だ。スラ姉と同じ色。…自分はスラ姉の瞳が大好きだった」
 一瞬でも勘違いした自分を叱咤する。気を引き締めなおして、平常な声を作った。
「スラ姉って?」
「自分の姉だ。とても綺麗な方だった」
 過去形の言い方が気にならなかったわけではない。が、彼女の表情を見ていたら問うことは出来なかった。
「リイヤは人の感情に敏感だな」
 ふと表情を緩める。「その色を持つ者はみな、似ているのかもしれないな」
 彼の瞳も髪も、薄い栗色だった。
 陽に透ければ黄金に輝き、瞳は光の加減で翠にもなる。
「ミウカの色も、珍しいのか?少なくとも俺は、他に見たことがない」
 しかも、彼女の場合は忌み嫌われる色のようだった。否、色ではなく、彼女に纏わる何かが…。
「宿命を背負う色、とでもいうのか」
「宿命…」
 それが彼女に悲しみをもたらすのか。
「ナラダを護る宿命。…とても光栄なことだ」
 凛としたミウカの横顔が月を見つめる。月光が少女を美しく輝かせた。夜に囲まれていても尚、瞳までも闇色に染めることはなかった。
「自分には、掃滅しなければいけない存在がある」
 唐突な断言に莉哉は息を飲んだ。少女はくすりと口角を上げる。
「物騒なことだと、思ったか?一度とて、考えたことのない顔だな」
 笑音は、莉哉を嘲弄したものではなかった。己の境遇を嘲り、莉哉の住む世界を羨望する響きにとれた。
 真意を問うことは叶わない。それこそが、少女が剣を手にする事訳なのだと、想像するしかなかった。
 そっと吹いた風が花の香りを運んでくる。不意に、出逢った泉を思い出した。出発するまでの休憩時、ミウカが水を汲んでいた時に見つけたもの。
「泉のほとりに花が添えられてた箇所があったけど、あれって…」
 木の根元に小さな塚型の盛り土があった。頂点に乗せられた石には文字が刻まれていて。
「目ざといな」
「せめて、よく気がついたなと言ってくれっ」
「男のくせに細かいところを気にする」
 揶揄しているのではない。声を押し殺して笑うミウカは楽しそうに見えた。さっきまであった張り詰めた空気が消え、どこか安堵する。
 彼女が笑った。ただそれだけで嬉しかった。
「想像通り、あれは墓だ」
 誰の、と聞くのは躊躇われた。
 声色と表情が複雑な感情を織り交ぜている。それも数瞬のことで、ふ、と空気をほどいてミウカは続けた。
「昔、…能力の覚醒後だったな、城に紛れ込んでいた動物がいて」
 両手でその大きさを示す。今でもそこに抱かれているかのような、優しい手つきだった。
「プンティと名付けた。怪我をしてて、子供達だけで看病した」
 回復していったように見えたのは幻だった。小さな生命を、護りたかっただけなのに。それさえも叶わなかった。
 当時の思いが蘇り、喉を詰まらせた。何度も何度も思い知らされる無力さ。
 ミウカの顔が複雑な色に染まった瞬間、目の前の彼女も背景もグニャリと渦巻き状に歪んだ。
 この感覚…っ!
 天地が引っくり返る。ラスタールに召喚されてすぐ、迷い込んだ砂漠で襲ってきた感覚だった。

 そして、はっきりと見た。
 幼子の手に優しく抱かれた小動物を。その手に護られている蜂蜜色の毛。慈しみの視線を送る小さな少女――赤銅を纏っている。
 あれは…ミウカ…?

「怖いと思うか」
 一気に意識が戻される。唐突な感覚に戸惑い、慌てて繕った。
「なっ、なにが…?」
「この能力を」
 そう言って胸に手を当て自身を指した。間髪入れずに莉哉は首を振る。
「ミウカが無事でいてくれるなら、それでいい。…その方がいい」
 彼女の躯から血が流れるのを見た時、生きた心地がしなかった。彼女の回復が常人のそれと大きく違おうと、その力を与えてくれた神に感謝したかった。
「簡単には死なない」
「……」
「そんな顔するな」
 困ったように笑うミウカに言われて初めて、自分がどんな顔を見せていたのか想像ついた。羞恥心が込み上げる。
「今までだって無事でこれたんだ。なんとかやっていける。まぁ、致死に値するものだと無理だろうけどな。心臓一突きとか断頭とかでない限り、な」
 さすがにそれは経験ないからな、とあまりにも軽い口調に、呆気に取られた。
 だけど奥では、何故、と考えてしまう。その理由は驚異的な治癒力を過信してのことではないだろう。――何故彼女は、しなくてもいい、避けられる怪我でも受けようとするのか。
 やはりそこには宿命が関わってくるのだろうか。
「けれど、」
 唐突に変わった声色。闇を潜めた瞳。
「なんの役にも立たない」
「?」
「こんな能力、なんの役にも立たないんだ。転んだ子を起こしてあげられても、その痛みを取り除いてあげられない。…自身が回復できるだけの力なんて、無意味だ」
 そんなことはない、誰だって秀逸した治癒の能力なんて持ってはいない。と、声を大にして言いたかった。
 けれど違うのだ。
 彼女が言いたいのは、真意はもっと別にある。
「悪かったな。リイヤを巻き込んだ」
「謝んなよ。誰の所為でもないし、巻き込まれたなんて思ってない」
 他に行くあてなどない。投げ出されていたら途方に暮れていただろう。
「感謝してんだ」
「なにをだ」

「俺に、居場所を作ってくれた」
「……そうか…」
 しばらくして口を開いて出てきたのはこの一言だった。物思いに耽った顔つきから紡がれたそれをどう解釈すればいいのか考えていた。
 けれど口元に浮かんだ表情で彼女の心情は充分に伺えた。
「誰かの役に立てるって、大変なことだな…」
「ミウカでもそんな風に考えるんだな」
「当然だ」
「…そういえば、疑問に思うことがある。ラコスは…彼は何故、俺を敬う?」
 何度か一人で街へ行くようになって、自警隊の長――ラコスとも言葉を交わすようになった。初めて顔を合わせた時から莉哉の名を知っていた。ナラダの誰もが、莉哉を知っている。
「なにか言ってたか」
「この国に必要な御方だ、って。俺がここに来たのには、意味があるのか」
「…自分には、判らない」
 嘘か誠か判別出来かねた。ただ、今聞かなければ、この先二度と問えないような気がしていた。焦燥にかられ、喰って掛かろうとした時だった。
 静寂を、シェファーナの悲鳴が切り裂いた。
 二人の背後で寝ていた筈のシェファーナが、忽然と消えていた。
「ちぃっ…!!」
「ミウカ!!」
 林を奥へと進んでいく物影を追って、ミウカは木々の中へと飛び込んで行った。
「なにを惚けている!?続け、リイヤ!」
 タキが放り投げてきた剣を受け取ると、ミウカの後を追ったタキに続く。
「何者なんだ!?」
 肩を並べて走るタキに問う。遥か前を行く物影。それを追う赤銅の影。シェファーナは気を失っていた。
「人間でないことは確かだな。しかし魔物ならば何故、気配を消せた!?」
 怪訝な色を濃くし、タキは柳眉をひそめた。


[短編掲載中]