無我夢中でタキと共に走り抜けた先には、莉哉が降り立った砂漠が拓けていた。ミウカはすでに対峙する魔物に剣撃を繰り出していた。
「ガーメイか!」
 舌打ちと同時に抜剣し、臆することなくタキは無数のガーメイが群がる輪の中へと飛躍した。
 巨大サソリの姿をしたガーメイは、大きなはさみと四対の足で薙ぎ払い、腹部の末端にある毒針を貫こうと縦横無尽に振り回している。
 二人の剣士は隙間ない攻撃を軽々とかわし着実に敵を壊滅へと導いている。
 砂塵の舞う中に赤銅と銀が、剣舞のように動いている。
 動けないのは莉哉のみで。足に根が生えたように、その場から一歩も動けなくなっていた。
「…くそっ!!」
 なんの役にも立てないのか!?実践で闘うことが出来なければ、剣を持つことになんの意味がある!?
 ぎり、と歯噛みした。
 あの中に入っても足を引っ張るだけだ。なら…今の俺に出来ることは…!
 混戦の最中より、一つの影が離れていく。シェファーナを巨大なはさみにはめ込んで。
 ごちゃごちゃ考えるのを止め駆け出す。今の自分に出来ること。――シェファーナを救わなければ。
「シェファーナ!」
 飛脚し、剣を頭上に構えた。重力を味方に、速度をつけて脳天から振り下ろす。が、莉哉の刃はガーメイにかすりもしなかった。脇腹をはさみで殴られ、衝撃のままに飛ばされる。顔から砂へと突っ込み、激痛にうずくまった。短く息が吐き出される。
 ゆらりと莉哉の上に影が蠢いた。空気を切り裂く音が耳に届く。咄嗟にかざした剣に、口を開いたはさみが咬み合う。
「くっ…!」
 ぎりぎりと詰められていく間合いに、堪えるのがやっとだった。だがそれも数分ともたない。振り上げられた毒針が、月光に照らし出された。
「リイヤ!!」
 最後の一匹を討ったミウカが、地を蹴った。
 先端が莉哉に狙いを定めた。ザン、と突き刺さる。
「…つぅ!」
 寸前で身を翻した腕をかすめて、服が裂けた。赤い血が滲む。
 莉哉の耳に、鋭い刃音が二つ。タキの刃は的確にはさみを切り落とし、その腕にシェファーナをしかと抱き留めた。同時にミウカの刃が頭部を切り落とす。ガーメイの断末魔が砂へと吸い込まれていった。
「見せてみろっ!」
 躯をよじり、声の主を見ようと目を開いた。視界は霞んで輪郭さえもふやけて見えた。
「リイヤ!聞こえるか!?」
「毒にやられてるな。早く処置しないとマズイよ、ミュウ」
 いつになく真剣なタキの声が、妙に可笑しく思えた。頭がくらくらする。指先が痺れていた。
「わ…るい、な。俺…役立た、ず…だ…」
「なに言ってる!リイヤがいなかったら、シェファーナは連れ去られていたんだぞ」
「そ…か…」
 意識は朦朧として、まともに喋れなかった。が、その口元には笑みが浮かんでいた。
 気持ちを汲み取って、僅かに呆れ、笑い返そうとして――ミウカの瞳が鮮やかに、再び真紅へ変化する。
「ミュウ。安心するのはまだ早いみたいだね。グロンのお出ましだ」
 呑気な口調の裏に警戒を潜ませ、タキは広大な砂漠へと目を向けた。視線を外さぬままシェファーナを莉哉の傍らに降ろす。
 低く応じたミウカもまた、立ち上がりタキと同方向を見据えた。
「ここから動くなよ。すぐ戻る」

 自力で上半身を起こした莉哉の僅かに残る視界に飛び込んできたのは、泥のような塊と剣を交える姿だった。
 ギョロリと大きな一つ目と裂けた口。凶暴なまでに尖った不揃いの歯。アメーバのように形を変える。
「…んっ」
 覚醒したシェファーナが身じろぎした。
「…良かった。…痛む、ところは?」
 口がうまくまわらない。拙い話し方になっていた。
「大丈夫、です」
 躯を起こしながら、一瞬顔を歪めた。はさみで挟まれていたところが痛むのだろう。それでも手を借りずに姿勢を変えると、気丈に笑顔を作った。
 座っていてもどこかふらついている莉哉の様子に気づいて、シェファーナの腕が支える。
「リイヤ様!?この怪我は…」
「毒に、やられた…みたいでさ」
 努めて明るく言い放つ。心配しているのが見えなくても手に取るように判る。シェファーナは自分の着衣の裾を破き、傷口を塞いだ。
「私は…」
 申し訳なさそうな声色に、慌てて言葉を遮った。
「グロン、って?今…闘ってる、奴ら?」
「そうです。剣が効ないのです」
 苦いものを噛み潰したような言い方だった。
「なん、だ…って。それじゃ、どうやっ、て…」
 莉哉は、すでにほとんど意味を成さなくなった視界を懸命に見開いた。
 鍛錬するミウカの姿を見つめながら、まるで自身のことのようにタキは言った。
『ミュウは、ナラダの剣聖だ』と。
 公に称されているのは彼の兄であるコウキなのだが、彼にとってその称号はミウカにも与えられて然るべきものなのだ。
 誇らしげな顔が目に浮かんだ。だが今は、
 たとえ剣が優れていようとも、敵に効かぬのであれば――
「地の精霊を味方にできるコウキ様であれば、対抗も容易いのですが…」
 だがそのコウキはいないのだ。ならばある戦力だけで何とかするしかない。自分が戦力と呼ぶにはあまりにもおこがましいことは重々承知していた。それでも傍観しているだけなど出来る筈もなく。
 剣を突き立て支えに立ち上がろうとして失敗した。膝から崩れ落ちる。全身を激痛が走り、呻いた。
「リイヤ様、毒が廻ってしまいます。動いてはいけません!」
 指一本動かすことすらままならないことが悔しかった。少しでも役に立ちたいと願うのに。強くなりたいと、願っているのに。

「風の術は使えないか!?」
 刃に食いついてきた一体のグロンを振り飛ばし、二体の魔物を一挙に両断したタキに向かって叫んだ。銀色の少年も思案を続けており、険しい表情がみえた。
 斬りつけても貫いても、傷口は何事もなかったように元通りになり、泥の躯を変形させながら執拗に攻撃してくる。砂地に足をすくわれながらの攻撃は数倍の速度で体力を奪っていく。
 なにか!なにか方法を…!
 薙ぎ払いほんの数秒退けるしかならない今の状況では倒すなど不可能だった。
「ミュウ!壁をあいつらに!」
「なにを…!?」
 真紅の瞳が捉えた銀色の少年は、真摯な碧眼に余裕すら滲ませていた。迷うことなどない。信じるのみだった。今までも、これからも、同じように。
 ――意識を紡ぐ。細い糸を手繰り寄せ、総ての源――生命の力を集結させる。
「タキ!!」
 強固な透明の壁がグロンを一纏めにした。タキの躯を中心に風が巻き起こり、目に見えぬ塊となって壁へと放たれる。衝突の鈍い音。空中へ高く舞い上げられ、タキの指示通り壁を消去した。同時に風の塊は解け、無数の刃となりグロンを粉々に切り裂いた。遥か遠くまで飛ばされ、見えなくなった。
 あれだけ刻まれれば再生までに時間が掛かる。しかも鈍重な速度でしか動けないグロンでは、これだけの距離があればまず追いつくことはなかった。
「要は、頭の使いようってとこだね」
 とんとん、と人差し指でこめかみを叩く。
「そうだな」と言って一息吐くと、剣を鞘に収めた。
 リイヤの様子を、と言い掛けて、短い悲鳴が二人の耳に届いた。

 莉哉とシェファーナの周りで、砂が動いていた。二人を中心にくぼみができていく。サラサラと砂が地中に吸い込まれていった。
「流砂だ!」
「まずい!」
 蟻地獄の巣にはまった虫同様、捕らえられたら逃げる術はなかった。砂と共に地中へと呑まれるのみ。
 ミウカとタキが駆け付けた時にはすでに、手の届かぬ距離にまで広がっていた。
「駄目だ、ミュウ!君まで呑み込まれてしまう!」
 寸前でミウカを止める。その爪先にも流砂は迫っていた。それでも前に進もうとするミウカを引き摺るように後退させる。
「ミウカ!タキ!そこにいるのか!?」
 流砂に膝まで呑み込まれていた莉哉は腕にがっちりとシェファーナを抱え、目蓋を閉じたまま声のした方向に顔を向けていた。彼は完全に視力を失っていた。
「待ってろ!今助ける!」
 見えなくても、状況は把握していた。流れる音。砂が足に絡みついてくる感覚。腕に抱えたシェファーナの震えが恐怖を伝達する。
 肩を優しく数回叩いた。
「大丈夫。助けるから」
「リイヤ様?」
 シェファーナの視線が感じられた。そちらへ顔を向けて微笑む。
 ミウカの声から、距離はそんなに離れていない筈だ。このままだと二人共砂に呑まれてしまう。だったら…。
「荒っぽくて、ごめん!」
 そう言うと、シェファーナの腕を力強く掴んだ。
「えっ…。っ…きゃあぁっ!」
 力の限りにシェファーナを引っ張り上げると、その勢いのままに彼女を流砂の外へ向かって投げた。タキは再びシェファーナを抱き留める。
「ももも申し訳ありません!」
 間近に美麗な少年の顔があって、一気に顔が熱くなる。
 じたばたと慌てて降りようとするシェファーナをそっと降ろして、タキは素早くミウカを見た。制止の手は、ミウカを掴むことなく空を切った。
「ミュウ!!」
 タキの声を背後に受けながら、ミウカはすでに流砂の中心へと飛躍していた。莉哉の躯は胸の位置まで砂に埋もれている。
 突如現れた壁に阻まれ、タキもシェファーナも留まることを余儀なくされた。
「くそっ!消去しろ!…ミュウ!!」
 【保護壁】を出せるのは一度に一箇所のみ。それを自身と莉哉に使わなかったのは、これ以上の犠牲を作らない為。タキに救助をさせない為。彼女はいつも、他を優先する。
 少女は頭まで呑まれた莉哉の腕を掴むと、タキとシェファーナを振り返った。笑みが浮かんでいた。いっそ穏やかなくらいの。
「ミュウ――――ッ!!」
 ミウカの総てが呑み込まれ、途切れた。壁も、掻き消えた。
 まるで目的のモノは取り込んだからというように、流砂は沈黙した。あとには余韻が中心に向かってポロポロと転がるだけだった。


[短編掲載中]