暗い、暗い空間の中を、落ちていく。纏わりつく砂の呪縛から放り出され、底へと落下していた。速度は緩慢で、止まっていると錯覚しそうなくらいに。
 視力はなくとも、光は感じられた。微細な、粉雪のような光が、莉哉のまわりで煌めいている。
 不思議と、恐怖はなかった。
 呑まれる直前に微かに見た赤銅色。今だ腕に感じる力強い感触。――自分は、一人じゃない。
「ミウカ…?」
 返事はない。自分の声も聞こえない。声にならなかったのかもしれない。確かなのは、彼女が傍にいるということだけ。
 一瞬、目蓋を閉じていても眩しいくらいの鮮烈な光が一閃した。それは周りを照らし出し、莉哉を包み込んだ。――柔らかく、優しい光。
 頭に直接、映像が流れ込んでくる。声が響く。

 ――リイヤ様…。
「誰だ」
 莉哉を導いたのとは違う声。清涼な、透明な声。
 ――『波紋を投げ掛ける者』よ。古の桎梏を貴方に…。
「なんのことだ。おい。誰なんだよ」

 意識は、急速に闇へと吸い込まれていった。



 人々から喜悦の声が湧き起こる。
 ナラダの皇室を護る側近の家より、赤銅の色を持つ者が産まれた。
 立国の時より伝えられし古伝。
『赤銅は皇族を護り、その瞳開かれし間、国は安泰である』
 不思議な力を持って産まれた赤銅の瞳。皇族を護る為にその生を費やし、国と共にその親族にも安泰が約束された。
 その瞳は国の生命を永らえた。その瞳が無き代――赤銅の連鎖が途切れた時、混乱と共に皇帝は失墜した。言い伝えられる、気まぐれな色。
 ――赤銅色は遺伝ではなく、突然変異でしか産まれない。

「双子、と?」
 驚愕に目を見開いた皇帝は、床にひれ伏した占者のまるまった背中を見つめた。周囲に備える騎士にも動揺の風が伝播した。
「は。赤銅色の双子でございます」
 床にぴったりと額をこすりつけている為声はくぐもっていたが、はっきりとした物言いだった。
 かつて赤銅の瞳を持つ者は、その時代には一人しか生まれず、その者が生を終えると同時に次代へと繋がっていた。一時的にも複数が存在することは決して無く、まして双子など前例がなかった。
「なにか、問題はあるのか」
 皇帝の危惧は手に取るように伝わった。家臣も固唾を呑んで、占者の言葉を待った。
「…いえ。その…」
「無いのだな?」
 歯切れの悪い占者を畳み掛ける。
「なんとも、明確なことは申し上げられません。何度占っても様々な色が渦巻くだけで…」
 この占者は、皇帝が幼少の頃より城に仕えており、信頼は揺ぎ無い。その《透察眼》は幾度も未来を垣間見、助言を呈してきている。
「不吉なものであるか?」
「…それも、なんとも…」
 苛立ちは露骨に声へと反映された。だが、どうこうできる問題でないのは皇帝も承知なのだ。双子が不吉であるとは言い切れない。その逆も然り。どちらにせよ、赤銅色の者が絶命し次がすぐさま紡がれなければ、己の代もそこで終わる。しかもその終焉は一様に惨たらしいものであったと伝えられる。それだけは動かし難い事実だった。
 深く息を吐き出すと、低く言い放った。
「もう、よい。…下がれ」
 皇帝がぞんざいな言い方をするのは珍しいことだった。占者はビクリと身を硬くすると、呟くように返答をした。顔を上げた占者の瞳が、揺れていた。


 兄はシア、妹はリーテと名付けられた。
 赤銅色に宿ると言われる不可思議な能力は、産まれ落ちて備わっているものではなく、種類も様々だった。成長過程のいずれかで突然花開く。中には成人しても覚醒しない者もいたという。
 双子の能力は、幼子の歳で開花した。

 ナラダ国における騎士の所属や階級は、遺伝や家系などは一切関係なく、実力のみを求められた。剣聖国と呼ばれる所以である。その中にあって双子の一族は、代々皇室付騎士団の地位に君臨し続けてきた。年一回行なわれる武闘大会で勝ち抜いた者だけに与えられる地位。常に首席を確保してきた。
 武官の血筋と言っても過言ではなく、この家に産まれた者は立ち歩きが可能になると同時に剣を握り、鍛錬を受ける。それが当然であり、慣わしだった。双子も例外ではなかった。
 双子は能力の目覚めと共に、無限に力をつけていった。数年後には確固たる実力を周囲に示威するまでとなる。
 どんなに強く成長しようとも、根底にある幼き日の約束は、双子の中に常に息づいていた。

 約束。
 それは、二人の運命――終わりを決定づけたもの。

「リーテは僕が護るからね!」
 うららかな日差しに包まれて、草の上に寝転がるシアは隣に座るリーテを見上げた。自分と同じ色を持つ、同じ顔の少女。陽に輝く長い髪が揺れた。この世界に、たった二つだけの色。
 一日の鍛錬を終え、二人だけの秘密の場所――街を見渡せる小高い丘にいた。風が心地よい冷たさを運んでくる。火照った躯が徐々に冷えていく。
「うん。あたしはシアを護る!あと、母様と父様と…」
「じゃあ僕は、家族とこのナラダもっ…」
「ならカルダナール大陸ごと、全部!せぇーんぶ、あたしが護る!シアにいい格好なんてさせてあげない!」
 互いに言葉尻を取りながら競うように言い合いをして、リーテは両手を目一杯広げパタパタと振った。顔を合わせ、一斉に吹き出す。
 大切なものはいくらでもあった。挙げていけば絶えないほどに。それらを護るのが彼等の宿命。双子は、ひしひしと肌で感じている。自分達を取り囲む、逃げることすら望めない宿命を。
 重責は二つの小さな肩に圧し掛かる。だがそれさえも彼等は誇りにできるほど、強い精神を持っていた。背を向けるという思考は、微塵も存在しない。二人だったから。二人が揃えば怖いものなんて何もなかった。
 少年と少女。双子の兄妹。家族であり、同胞であり、ライバル。
 性別は違うが容姿は親でさえも間違えるほどそっくりだった。鮮やかな赤銅色の瞳。流れるように艶やかで細い髪。そして、能力の大きさも実力も、同格だった。
 違いがあるとすれば、兄は攻撃を、妹は保護の、赤銅独特の能力をそれぞれが持つということだけ。
「僕達は二人で一つだ。ずっと一緒だよ」
 シアが差し出した手の、小指を取ってリーテは上下に揺らした。うん、と大きく頷きながら。
 衣食も、剣を鍛えるのも、いつも一緒だった。それが当たり前だった。二人で、一人。
 深く、確実な…絆。誰をもってしても、それを断ち切ることは不可能だった。


 双子の誕生以来、かつてないほどの平和が訪れていた。
 古くよりナラダ侵攻を目論んでいたクエン国の軍事力は事を起こす前にことごとく刈り取られ、ナラダ国周辺に不穏な動きが見られなくなった。
 双子が不吉であるという吹聴は囁かれることもなくなり、完璧なる守護神と言われるまでになっていった。
 背景の一つに、《透察眼》の明知な助言によるものが大きかった。この占者は、双子の能力の覚醒後に急死した占者の後任で、流星のごとく現われ、的確な助言を呈していった。
 初めこそ、時宜よく籍を置いた占者に猜疑心を露わにする者も少なくなかったが、度重なる功績に皇帝は元より、城の者がこの占者を信頼するのにそう時間はかからなかった。
 名を、レフローといった。
 国の外でいざこざが起きようとそれが城壁内にもたらされることは皆無で、次第に人々の心は弛んでいった。――平穏という名のぬるま湯に、どっぷり浸かってしまったのである。


[短編掲載中]