「許さない!」
 すかさずガルクの前へ出て、仕掛けてくるグラザンを薙ぎ倒していく。怒りに揺れる瞳は、じっと一人を見据えた。ともすれば正気を失っているかのような形相。そこに一切の情けも、躊躇いもなかった。
 シアでさえ、目の前で繰り広げられる闘い方を見たことがなかった。リーテの中で一つのタガが外れているようにさえ見えた。
「リーテ、駄目だ!」
 ガチリと互いの刃が噛み合った。他の侵入を許さない空間。ガルクとリーテは睨み合ったまま、ピタリと動きを止めた。
「威勢がいいな、妹君」
 愉悦を含んだガルクの顔は、心底癇に障った。冷静に対応しなければ、と思う自分がいれば、構うものかと急かす自分がいる。
「それで?私を倒せても、このゲリューオンがいるぞ」
「判り切ったことを…!」
 少女の声が低く唸った。
「待て!」
 左足に重心を置いて立ち上がったシアが拮抗状態の二人を見据えていた。ゲリューオンがどう出るか判らない状況で、ガルクを倒すのはひどく危険に思えた。
 そもそも、ゲリューオンとはなんだ…?
 考えを読み取ったかのようにガルクはシアを見た。その目線で、記憶の一つが弾けた。
「それ、は…クエンで産まれた――お前達が崇めている魔の化身か」
「知っていたか」
 遥か昔より、クエン国では実体のない【魔】を崇めていると伝え聞いたことがある。砂漠を隔て、自然環境が苛虐になる北では、それがなければとうの昔に滅びていたと。
 不明瞭なそれに縋って生き永らえてきたクエン国の者。心は歪み、荒んでいくのは実に簡単だった。
 具現化したという噂は真だったか。
「時は満ちた。赤銅の者さえ消え去ればナラダを落とすなど容易い」
「僕達は、そう簡単にはいかないよ。護り抜いてみせる。相手が誰であろうと、絶対だ」
「結果はじき判るさ」
 シアは冷静に逡巡していた。右足はもう役に立たない。左足に頼り切っているとはいえ、立っているのは奇蹟に近かった。精神力の強さだけが、彼を駆り立てる。
 痛みはいたぶるのを楽しむように登ってくる。ひどい痛みに、だが顔には一切出さぬよう努めた。おそらくガルクは知っているのだ。この激痛がどれほどのものかを。そして這い上がってくる漆黒の痣がもたらす先を。
 悟られたくないのは、もう一人の自分にだった。
 ――護りたいもの、護るべきもの。
 天秤にかければ比重は歴然だった。何をおいても護りたいもの。――僕の半身。同じ色を宿す、大切な妹。
 感情が先走り気味なリーテ。思いのままに突っ走れば不意を討たれることも多くなる。判っていても尚、彼女は止まらないのだ。…止める気もない。
 だからずっと恐かった。立ち向かっていく背中を見る度、その瞳がこちらを向くことは二度とないのかもしれないと、一番に護りたい彼女が二度と振り返らないのではないかと、恐かった。
 鏡に映すよりも正確な対が、いつか、感情に駆られたまま帰ってこないのではないか。もう一人の自分が動かなくなるのだけは、見たくない。
 リーテの持つ【保護壁】の能力は一度に一ヶ所しか望めず、規模が大きくなればそれだけ弱くなる。かといって、決して現時点でナラダを囲う壁が侵入を簡単に許すほど弱かったわけではない。敵の力が勝っていただけのことなのだ。人間より遥かに勝った力。それだけゲリューオンが強剛だということ。
 シアが立っていられぬほど、自身を護れぬほどに削弱していると知れば、たちまち保護の対象を変えるだろう。傾倒は、総てを盲目にする。
 駄目だ。ナラダが滅びる。それだけは…!
 だが、この状況さえも回避できない。方法すら浮かばない。
 どうする…!?
「シアは下がっててよ。コイツはあたしが倒す!絶対に許さない!」
 剣を弾いて後ろに飛び下がり、着地と同時に再び飛んだ。身軽さでいえばリーテが優っていた。ガルクの頭上を越え、その剣は真っ直ぐにゲリューオンへと向けられた。彼女の敵は最早、ガルクではなくなっていた。
 自分を飛び越え後ろの敵に向かう少女をほんの数秒見送った後、ガルクは愉色を濃くした。
 自身に向かってくる小さな影を、魔獣は確実に捕らえていた。真っ赤な瞳孔を縦に細め、腹の底から吠えた。耳をつんざく咆哮にひるむことなく、少女は幾度も絶え間なく剣撃を繰り返す。
 触れないように攻撃を仕掛けるのは想像以上に困難だった。だが早くシアの手当てをしなければ。せめて退却させることができれば。
 気が急くばかりだった。
「気をつけろ、リーテ!」
 シアは動けぬことにもどかしさを感じずにはいられなかった。苛々は募るばかりで。けれど今、この自分までもが冷静さを失ってしまっては、舵をなくした船同様、二人とも…この国ごと沈没してしまう。
「さて。私の相手は兄君ということになるな」
 支えにしていた剣を躯の前で構える。片足だけで闘ったことはない。まして相手はグラザン第一隊の隊長なのだ。極めて不利な戦況だった。
 だからといって、負けるわけにはいかない。
 シアの攻撃は剣だけではなかった。剣に長けているのは勿論なのだが。
 赤銅に与えられる特殊な能力。動かずとも、剣が届かぬ間合いであっても、攻撃を繰り出すことができた。
 人はそれを【遠当て】と呼んでいた。
 双子に与えられた能力は、この世界に生きとし生ける総ての生命から力を分け与えられ、紡いだ意識によって発動する。
 風の精霊や地の精霊…自然界の精霊を味方につけ、常人とは違う力を操る者もいるが、赤銅色には適わない。彼等はそれら総てを味方にする。
 軽やかに踏み込んだガルクは一気に間合いを詰めた。素振を見せないように『意識の糸』を紡いでいた少年は見据えたまま力を放った。
「くっ!」
 咄嗟に顔を覆ったガルクが目に見えぬ圧力に弾き飛ばされた。壁にぶつかってひびが生じる。重力に引っ張られ何とか体勢を整え着地し、ゆらりと立ち上がった。口端から流れ出た血を乱暴に拭う。
「何度仕掛けられてもかわしようがないな、それは」
「褒めてもらえるとは思わなかったよ」
 少年が浮かべるには時期尚早な笑みだった。数多の闘いに身を置き続けた彼等から自然に滲み出てしまうもの。傍らで見守り続けたマデラが憂えていたことなど気づかないほどに、通常になってしまった表情だった。
 ゆっくりとグラザンの将は少年に近づいてくる。
「僕はあんたを許さない。絶対に負けない!」
 くっと片頬を持ち上げてガルクは不敵な笑みをみせた。
「…確かに。不本意だがそれは認めざるを得ない。…だが」
 ふっと、ガルクの姿が視界から消えた。
「なっ…!?」
 瞬きほどの時間で移動したガルクが目の前にいた。目を見開き防御の姿勢をとろうとして、胸に衝撃がきた。実質片足で立っていたシアはまともにそれを受け、背中から落ちた。
 すかさず上半身を起こしたシアの目に、見下ろすガルクの姿が映った。
「それは今までの私であった場合、だ。さっきも言っただろう?今日はお前達の命日だと」
 頭の奥で警鐘が鳴っていた。動かなければ、この攻撃を避けなければ。だが躯が思うように動かない。右足がまともに機能しないだけで、こんなにも制限されるとは…!
 振りかざされた剣の陰が顔にかかる。狂喜に満ちたガルクの顔が見えた。空気を切り裂く音。
 くそっ…!
 咄嗟に腕を防御にまわした。細めた目に刃の光が落ちてきた。
 硬質な音が耳に届いた。痛みはなかった。
「【保護壁】!?」
 今度はガルクが目を見開く番だった。
 弾かれるように少女の姿を捜した。ゲリューオンの上部で闘い続けている赤銅の瞳が一瞬だけシアを見た。
 一度に一箇所にしか発動しない能力。それが今、ここにある。自分を包んでいる。
「駄目だ!」
 シアの叫びとガルクの高笑いが重なった。
「待っていたぞ!」
 まるで合図のようだった。
 薄く広範囲にあった壁が消え去ると共に打ち込まれた砲撃が容赦なく降り注ぐ。悲鳴、叫び、慄く声。そこここで爆発音が轟き、崩れ、瓦礫の山が築かれていく。
 ナラダは崩壊への音を響かせ始めた――


[短編掲載中]