数刻後、莉哉一人が座れるくらいの広さの平坦な場所を見つけ、一旦休息をとることにした。丁度半分くらい登ってきており、下を覗くと軽く眩暈を覚える。なめてかかっていたわけではないが、下から見た時よりも実際は結構な高さがあった。
 一番近いところにある花まであと少し。あまり時間を食っていては城を抜け出したのがばれてしまう。騒ぎになる前には戻らないと。
 気合いを入れ直して再び登り始めた。
 莉哉が元の世界にいた頃、友達とよく行っていた遊戯施設がある。多種様々のゲームや遊具が置いてあり、入場から退場までの滞在時間によってお金を支払うシステムだった。そこにあった遊具の中でとりわけ競ってやっていたのが、ロッククライミングだ。勿論本物の岩壁ではなかったし、ある程度登り易いようにでっぱりが多数ついているのだが。
 そんな体験が役立ってか、比較的容易く目的の物を手に入れることが出来た。無事地面に足を着け、一息吐く。が、
 気配に気づいた時にはすでに遅く、上半身を折った形のまま首だけを巡らせた。
「剣帯されるようになったのですね」
 忘れもしない姿。黒衣に身を包み、ゆっくりとフードを払い除けた男は、ゆるやかに笑みを作った。服の隙間から柄の先端が覗いていた。
「ザドー…」
「覚えておいででしたか」
 路地に連れ込まれ、いきなり刃を向けてきた人物を忘れるわけがない。警戒を剥き出しにして睨みつける。背後にもう一人、フードを被ったままの黒い影があった。顔は全く見えないが、威圧的な空気を纏っている。
「また連れていく気か?」
 ひとまず背後の人物には焦点を合わせず、ザドーを見据える。黒い影はそっと口元を歪めた。
「場合によっては。…それよりまず先に、」
 ザドーの言葉が終わらない内に前へと進み出たもう一人の影。莉哉は一歩下がって、柄に右手を添えた。いつでも抜剣できるように身構える。
「はっ…。俺とやろうっての?」
 嘲笑の声。歩みを止めず近づくと、数歩分の距離をとって莉哉の正面に立った。
「初めまして、だな」
 取り除かれたフード。自信に満ち溢れ、居丈高な空気を持つ少年。その顔に、髪に、双眸に、瞬きするのも忘れて凝視する。
 同じ…色!?

 信じたくない思考が巡っていた。
 まことしやかに語り継がれた【呪いの双子】――歴史の断片に存在したシアとリーテ。二人が辿った路。二人の、いく先。…結末。

「そっくり過ぎて声も出せないか?」
 くっくっと押し殺した声で嗤うも、少しも目は笑っていなかった。
 危険、危険、危険。警鐘が鳴り続ける。だが躯は動かない。目が離せない。
 同じ色、同じ顔。
 なのに醸し出される雰囲気は天と地ほど違っていた。同等でありながら対極の存在。相容れることのない真逆。
 赤銅色の瞳は、ふいと岸壁を振り仰いだ。そこに輝く乳白色の花に目を細めた。
「ルーリの花、か。…マトゥーサといったか、ミウカが好きなんだと言ってもらいに来ていたのは」
「…!?」
「せいぜい利用させてもらった。あっけない最期だった」
 目の前の冷笑を信じられない思いで見つめていた。ふつふつと湧き上がってくる激憤。薄茶の双眸が怒りに燃えた。
 玩具の様に扱われた小さな少年の生命。どんな人間であろうと、軽んじられてよい生命などあるわけがないのだ。
 ミウカがどれだけ苦しんでいるか、それが錯誤であっても――総て自身の所為だと、誰よりも自分を責め、後悔し、泣き続けている。
 それを知っても尚、こんな風に笑うというのか。
 同じである筈がない。ミウカと、同じ色なものか!ただの偶然だろ!?
「貴様は実に平明な男だな。花を取りに動くと、信じていたよ。ナラダの警戒の間をつくのは、少々面倒臭くてな。ところが、ここはどうだ?あまりにも緩い。多少魔物を散らしたくらいで、あのざまだ」
 ザドーを従えた少年は、愉快そうに笑う。
 人的な被害は無かったと、報告は聞いていた。けれど、人の心に傷を打つには充分な強襲だったとも聞いた。それを目の前にいる少年が故意に起こしたというのか?
「ミウカを呼び出せば、必ずや貴様も共になる。…まあ、仮にだ。ナラダに残ったとしたら、そこで襲撃したまでだけどな」
 ミウカは危惧して判断したんだろう。ご明答だ。――そう付け足す少年は、どこか自慢げに見えた。
「接見できて、嬉しいよ」少女と同じ顔が、妖艶に歪む。
 莉哉はそれを凝視しながら、思い出していた。
 魔物による物理的な被害も殆ど無かった。
 フィーゴスに着いてすぐ知らされた状況に、みな首をひねったことを。魔物の出現頻度及び数を考慮すれば、そんな程度で済むわけがなかったのに、と。
「俺が魔物を操れると示威できればよかった。ミウカなら、判る筈だ」
 ナラダの周囲にも広まっている、これまでとは異なる不穏な空気。今回のフィーゴスの件。それらが目の前にいる少年の仕業と知れば、容易く連想できる。
 被害が無いのは“そうしているから”であって、今後も“そうである”とは限らないのだと。
 つまり、彼の力は今や、一国を潰すことくらい造作ないほどに、膨れ上がっているということで。
 唐突に直面した現実の襲来に、頭が混乱を極める。
 古と同じ色。双子。能力。魔物。攻撃。
 今この時に集中すべきは、状況を潜り抜けなければいけないということ。
 じり、と地面をずって下がる。
 莉哉の動きに少年は少しも動じない。余裕の瞳を晒し、立っているだけだ。だが、醸し出されるものは、あからさまな殺気。
「貴様は使い捨ての道具にすぎない。選ばれた駒だ。ミウカに利用される為だけに存在している」
 否定と共に湧く憤怒の奥で、確実に引っ掛かる。
 召喚は、ミウカによるものだと、タキは言った。
 あの状況で嘘を吐くとは考えにくく、この少年の言うことが真実であるならば、ミウカが莉哉に接してきた総てが、虚偽のものということになる。
 彼女自身を信じていたいのに、簡単に揺さぶられる。
 一貫して信じ抜けられる強さがほしいのに。――同じ色が、莉哉を惑わす。
「波紋は投げられたのか?」
「なんの、ことだよ」
「役割を判ってないようだな。そいつは都合がいい。余計なことをしてくれる前に、排除させて戴こう」
 澄んだ音を響かせて、抜かれた剣が月明かりに映えた。
 動け…!動け!動け!!
 剣を抜けばいい。右手の中にある柄を握って、抜けばいいのだ。威圧的な雰囲気に呑まれているわけではない。みすみすやられるつもりもない。
 違うと判っていても、出来る訳がなかった。目の前にいるのはミウカじゃない。同じ色を宿していても、目の前の人物は彼女ではない。
 だけど…!
 否応なしに、古の双子の姿がだぶる。二人の笑顔が、思い出される。
 月を背にした少年の剣が怪しく閃光を放った。
 気持ちだけでも負けまいとする莉哉の視線が突き刺す。それさえも心地いいというかのように、赤銅の瞳は微笑んだ。

「さよなら、リイヤ」


[短編掲載中]