『無』へ還る――

 【呪い】と共に消えた双子は、二度とこちらへ戻ることはなかった。


 国を護った英雄は、語り継がれる物語となる。【呪い】はなくなり平穏が訪れた。けれど史実はいつしか枝分かれし、捻じ曲げられた物語は闇色に染まる。陰で囁かれる流説。
『魔の化身、ゲリューオン。双子の手により導かれしそれは、ナラダを滅ぼさんとした。
 再び赤銅色の双子が産まれし時代、【呪い】は復活を遂げるだろう』
 年月は流れ、真実を見聞した者はいなくなり、色濃く残されたのは闇色の方で…。

 千年の時を経て、赤銅色の双子はこの世界に生を受けた。
 皇帝は恐れた。再来なのかと。葬るしかないのかと。
 占者は進言した。史実の真相に基づき、噂に惑乱されることなく、能力を見極めるべきだと。能力の目覚めを待つべきだと。
 どんな理由があれど、赤銅の瞳を不遇の因で失えば、連鎖は途切れ、その代は終わってしまうのだから。
 七年が過ぎ、双子は何も知らないまま宰相の子としてすくすくと成長していた。赤銅の瞳として産まれたからには剣に精通しなくてはならず、その期待に負けぬ強さで実力をつけていった。
 男女の違いはあっても、その外見は鏡に映した対のように、寸分の違いもなく、両親ですら間違えるほどだった。
 何も知らない純粋で無垢な二人。互いが大切で、絶対の存在。揺ぎ無い絆。
 ――それがいつの日にか崩壊するなど、知るわけもなく…。


 早朝の鍛錬を終えた双子は、朝食までの時間を中庭で過ごしていた。
 躯は起き上がるのも億劫なほど疲れ切っていたが、清々しい気分だった。乾いた土に水が染み込むように日増し吸収していく力。実感する度、欣快に満たされた。
 宰相の立場にある父は厳格だった。一切の妥協を許さず、七歳の子供に相対するには厳し過ぎるくらいで。気難しいのは生来の性格に職業柄が加わってのことだったのだが、特に双子には距離を置くことも少なくなかった。
 常がそうであり、他を知らぬ双子にとって、それは父のあるべき姿なのだと思っていた。心情の奥に、【呪い】と恐れられた双子を我が子に持ったという葛藤があることなど気づかずに。
「疲れたね」
「うん。でも、気持ちいい」
「楽しい?ハルは剣を振ってる時が一番楽しそう」
「ミウカが一緒なら、なんだって楽しいよ。きつい時もあるけど、頑張れる」
「そうだね。あたしも!」
 短く刈られた芝生に直接寝転がる双子。顔を寄せて八の字形に寝そべっていた。投げ出された手足。ミウカの右手とハルの左手が、指先だでけ触れ合っていた。無防備な表情。こんな時くらいが唯一、実年齢らしい顔つきになる。
「もうそろそろ行こうか。朝食の時間に遅れると怒られてしまう」
 火照った躯も汗と共にひいてきていた。どんよりと雲が垂れ込める空を見上げながら、ハルは上半身を起こした。
「雨降りそうだね。夕刻の鍛錬は勉強になるかも…」
「うえー。それはヤダ」
 あからさまに嫌そうな顔を作って立ち上がったハルは、お尻をポンと払った。ミウカの両手を掴んで引っ張り立たせると、そのまま手を繋いで城内へと向かって歩き出す。
「ハルってば、ほんとに嫌いだよね、勉強」
「面倒臭いんだもの。じっと座って文字を詰め込むのは耐えらんないんだよ。躯動かしてる方が断然いい」
「そんなとこ、第二皇子殿にそっくり」
「うるさいな。そういうミウカは勉強好きなのかよ?」
「どっちかって言えば苦手。でもハルほどじゃないもん」
 繋いだ手があたたかくて、二人で笑っていられる時間がとても大切で。ずっとずっと続くのだと、信じていた。
 朝食の後自室に戻った頃には土砂降りになっていた。
 寝台でハルは寝転がり、その傍らに膝立ちの格好でミウカは外を見ていた。風も強くなってきており、木々が大きく揺れている。
「花、大丈夫かな…」
 窓にへばりついたままで呟く。
「母様の?」
「うん、あんなに大事に育てていたんだもの。折れたりしたら可哀想」
 中庭の片隅に、小さな花壇がある。日当たりのいいその場所は、季節ごとに色とりどりの花を咲かせた。丹精込めて手入れされている。
「覆いを作りにいこっか」
 言いたいことも、相手の願うことも手に取るように伝わってくる。ミウカは顔色を明るくして大きく頷いた。
「僕はなにか被せるものを捜してくるよ」
「あたし、先に行ってるね!」
「了解!じゃあ、後で」

 目を庇いながら風に負けないように雨の中を進んだ。小さな体躯には強風過ぎて、少しでも気を抜けば飛ばされてしまいそうだった。いくら鍛えているとはいえ、まだ七歳の少女なのだ。
 どうにか辿り着いた花壇の中の花達はまだ蕾のものが多く、風に煽られながらも懸命に耐え忍んでいた。丈夫そうな枝を集めハルを待つ。
 しばらく経って必要なだけ枝が集まってもハルは現れない。どうしたんだろう、と訝しげに顔を上げ、近づいてくる痩身の影を見つける。
「ミウカ様!?どうされたのですか?」
 珍しく素っ頓狂な声だった。国専属の占者として従事してきたターニアはその立場故、常に冷静でいることが多かった。決して無愛想ではないし、特に双子には親しみを込めて接してくれる貴重な一人だった。
「花がね、折れてしまわないように覆いを作ろうと思ったんだけど…」
「お気持ちは判りますがこのままでは体調を壊されますよ?庭師を手配しておきますので。さ、行きましょう」
 でも、と踏みとどまろうとする。
「ハルがすぐ来る筈なんだよね」
「では、その前にハル様を見つけましょう」
「うん…」
 後ろ髪引かれる思いで一度だけ振り返った。まだ負けないよう頑張っている花を見遣る。
 負けないで。ちゃんと花を咲かせてね。
 母親の綻ぶ顔が好きで、花を愛でる顔が好きで、慈しむ優しい視線が好きで。笑っててくれたら、それだけで嬉しくなれた。
 大好きな母が好きな花達。護りたい。強く華麗に花弁を広げるその日まで。護りたい――!
「…え…?」
 ずぶ濡れになって立ち尽くす二つの影。
 弾かれる雫を呆然と見つめた。激しさを増す雨から、横殴りに吹き付ける風から、花壇の花達だけが護られていた。
「なに、これ」
 先に口を開いたのはミウカだった。護りたいと、そこだけに意識を集中した途端、透明なドーム型のものが形を成した。
 ターニアから離れ、花壇を覆うそれをつついてみた。指先で弾いてみた。軽やかな音を立てて硬質な感触があたる。
 しゃがみ込んで横から見たり、上から見たり。ミウカは観察に夢中になっていた。その背後に立つターニアの顔が、かつてないほどに険しいことに気づかずに。
 これは…!リーテ様と同じ【保護壁】!?ではもし、ハル様がシア様と同じ能力を開花させたとしたなら。排除されるべきなのはっ…!
 ターニアは苦いものを口に入れている気分だった。とうとう訪れた能力の目覚め。願わくば、赤銅の能力が目覚めなければと、占者らしからぬ思考が常にあった。
 何故赤銅を背負い、双子であったからといって、辿る運命をなぞらえると決めつけられなければならないのか。
 硬直していた彼女の意識を引き戻したのは、突然呻いたミウカの悲鳴だった。
「どうしたのですかっ!?」
 駆け寄り覗き込んだ顔に深く刻まれた苦悶の色。
「せ、なか…がっ…!」
 ターニアの腕を掴む爪先が食い込んだ。
 背中が焼け爛れる感覚。それでいて突き抜ける痛み。皮膚の下で突き破ろうと蠢く。焼ける、溶ける、喰い破られる。
 しなやかな肢体を大きく痙攣させ、ミウカはターニアの腕の中に倒れ込んだ。
「ミウカ様!」

 時を同じくして、ハルもまた倒れた。胸を押さえ、うずくまる彼の躯から発動された圧は、傍に寄っていた騎士達を次々と弾き飛ばした。
 本人の意図するところではなく、その威力に圧倒されているのはハル自身で。制御も何も効かない。己から発せられる力に恐怖し動けない。

 双子が産まれた当初、入り乱れた色によりターニアの《透察眼》は何も読み取ることはなかった。そして数年後、ナラダに不要とされる能力は明らかにされていた。
 ターニアはその顔立ちに似合わぬ深い皺を眉間に刻んだ。
 倒れると同時に高熱にうなされた双子は別々の部屋でその苦しみと闘った。息苦しさの合間をぬって堕ちた夢の中で、何度も何度も同じ世界を見ていた。けれどその記憶は、目が覚めると共に消え去り、内容の一切を思い出すことができなかった。
 そうして苦しみ続けて一週間後。ようやと全快し起きてもいいと典医の許可が下りた日、ハルが死んだと聞かされた。
 母の動く唇も、発せられた音も、総てが嘘に思えた。
「冗談は…止めて下さい」
 本当は判っていた。それでも言わずにはいられなかった。自身の頬を伝う熱い涙は、何よりも語る。
 もう一度繰り返した。何度も、繰り返した。
 俯いてしまった母の次に、縋るように見上げた姉は、立っているのもやっとの状態で。
「嘘、でしょう?」
 信じたくない。信じない。
「嘘だ!」
 叫んだ声が頭の中でこだまする。芯が弾けて熱い。

 ハルが…死んだ。
 ミウカの半身が、もがれた。


 葬儀は粛静な空気の中で行なわれた。
 小さな棺が土に埋められる流れを、赤銅の瞳は黙視していた。だがそこに彼女の魂はなく、虚ろに濁った色が形としてあるだけだった。
 空っぽの棺。形だけの葬儀。――そのことを、少女は知らない。
 感染による病気で亡き後、早急に荼毘に付す必要があったのだと教えられた。最後に、ハルの顔を見なかった所為だろうか。実感がまるで湧かなかった。
 どんなに捜しても、どんなに名を叫んでも、ハルはいない。どこにもいなかった。その事実だけがミウカの精神を遠いどこかへ追い遣っていた。
 ハルが消えた後も、魂の抜け落ちた状態は続いた。
 それでも、表面を取り繕おうと必死になっていた。残された自分はハルの分まで生きて、この国を護るという宿命を全うするのだと、全面に押し出して。
 だがそれは、あくまで彼女がそう見せようとしていただけで、周りの目に映る彼女はひどく痛ましかった。七年の人生経験では完璧に取り繕うなど到底無理で。


 流れる雲はゆったりとして、自分の時間さえも止めてしまったかのようだった。いっそ止まればいいのにと、心をよぎる。
 いつもの日常。いつもの風景。いつもの変わらぬ鼓動を刻み続ける心臓。素知らぬ顔で過ぎていく時間。――けれど、いない。
 こうして鍛練が終わった後の背中にあたる草の感触も、覆いつくす空の大きさも同じなのに。
 そこに息遣いはない。温もりがない。もう一人の自分が、いない。
 剣を振るっている時間はまだよかった。無でいられたから。空っぽの頭でいられたから。一人になると、動いていない時間があると、どうしようもなく虚に襲われた。

ハルがいない。ハルがいない。ハルがいない――!

 両腕を交差させて顔の上に乗せる。押さえ付けていれば涙は流れない。油断すれば、ほんの一瞬で涙腺は弛んでしまう。泣かないように、強くなるために、涙は捨てると、決めた。
 ぐっと唇を引き結ぶ。わななく唇を抑え付けた。


[短編掲載中]