この展開は、なんなんだ。冗談じゃない!
 会場に足を踏み入れ数歩も進まぬ内に立ち止まった少女は、頭を抱え込みたいのをかろうじて押さえ込み、内心で毒づいた。
 両脇に立つ莉哉とタキのほくほくした笑顔が、ミウカの気分を更に沈ませる。煌びやかな光景を目の前に、立ちくらみしそうだった。
「場違いもはなはだしい。退室する!」
 愁眉をひそめっぱなしのミウカはそう断言すると、くるりと方向転換した。両腕をそれぞれに掴まれ捕獲される。
「そう言うなって。勿体無いよ。せっかく綺麗にしてもらったのに」
「可愛いよー、ミュウー」
 初めて意見の合った男二人にがっちり脇を抑えられ、その上、産まれて初めてのドレスを着ているとなると動きは大幅に制限されていた。
 着替えて以降、二人はひっきりなしに褒めてくるのだが、かえってそれが恥ずかしく、隠れてしまいたくなる。姫のような格好など、死んでもすることがないと思っていただけに。
 事の発端はスティアの一言だった。
 立ち去ろうとしたミウカに夜会への参加を申し渡したのだ。何かと理由を並べ立てて断ろうとするもことごとく阻止され、こうして会場に立たされる羽目となった。
 嬉々として支度を施してくるシェファーナを無下に出来ず、ごねることも出来ず、不承不承準備をしたものの、出来る限りの鈍重さで会場入りを遅らせた。夜会は中盤に差し掛かっており、そこここでお酒に酔いしれ上機嫌な者達で満ちていた。
 あからさまにうんざり顔をすることは出来なかったので平静を装っていたが、一刻も早く立ち去りたいのが本音だった。
 こういう場面に溶け込むなど、一生かかっても無理だと思った。
「ミュウー、ダンスでもどう?」
 紳士の仕草で手を差し出すタキ。皇族ともなれば礼儀作法はもとより、ありとあらゆる英才教育を施されている。各国の夜会への参加を視野に入れてのことだ。舞踏などは朝飯前だった。
「するわけないだろ」
 身も蓋もなく言い放つミウカの手を強引に取り、中央へと連れていこうとする。
「はーなーせっ」
「可愛い格好してるんだから、見せびらかさなきゃ!」
 ぐいぐいと引っ張るタキに対して必死に抵抗する。少女に本来あるべき子供っぽさを垣間見れて、あまりにも可愛くて見ていたかったのだが、ふと素朴な疑問が口をついた。
「ミウカって、踊れんのか?」
 首を横に振る。送ってくる視線が縋るようにも見えて、思わずタキから奪還したくなる。咄嗟に自分を叱咤した。
「踊れるだろ。小さい頃はよく練習に付き合ってくれたじゃないか」
 なに言ってんのさ、と呆れ顔のタキを目線で一蹴する。
「そんなのとうに忘れた。リイヤ、なんとかしてくれ」
 ミウカが会場に現れてからずっと、タキは上機嫌だった。飲酒したわけではないのだが、そこに漂う香りだけで酔っ払ってしまったかのように。
 過去を知っているからこそ。
 彼女が背負ってきたものの重みを知っているからこそ。
 ずっと傍で、彼女を見てきたからこそ。
 嬉しかったのだろう。
 宿命に囚われるだけの人生ならば、少女らしいことが一度とてある筈はなかったのだから。
 タキの想いはミウカに伝わっていた。それが判っているから、莉哉としてもあまり強くは出られなかった。
 それでもミウカが本気で嫌がっているのも判っているだけに、何とか場を収拾させようと間に入って押し問答をしていると、会場内の喧騒が不意に途切れた。
 異変に素早く反応し会場内に視線を巡らせ、一点を見つけ、三人の動きが一斉に硬直した。
 会場の奥に設けられた場。小劇場の舞台ほどの広さにコウキとスティアの姿があった。傍らにはフィーゴスの皇帝と皇后が立ち、袖には衛兵が固めている。
 皆が静まり注目する中で、舞台の中央に立つ二人が唇を重ねていた。
 それまでの経緯や進行を気にも留めていなかったミウカ達にとって、それは全くの不意打ちで。通常で考えればごく自然なことなのだ。二人は婚約しているのだから。おおかた皇帝が囃し立てたのだろう。
 だからといって、それは見たくなかった光景。
 盛大な拍手が鳴り続ける中、ミウカはそっと会場を抜け出した。




 商業国フィーゴス。
 各地の商人や行商人が集い、人と物が溢れかえる。活気に満ちているのは昼間だけのことではない。夜になっても寝静まらない、それがこの国の特徴だった。
 城の高みに登れば街の様子が伺えた。日が暮れても明るい街。眠らない街。様々な灯かりが地上を照らし、建物を照らし、人の笑顔がそこにある。
 そんな喧騒を遠くに見遣りながら、ミウカは佇んでいた。城の上層部に設けられたエントランスに出て、何年か振りに見下ろす街は変わらぬ顔を見せている。空を照らし上げるほどの明るさがあっても、太陽の熱があるわけではない。夜気は肌に冷たく纏う。ゆっくりと吐き出した息は少し白かった。
「…!?」
 唐突に、ふわりと被せられた温もりに、思考の陰に追い遣られていた意識が一気に戻ってきた。あまりにも突然で、混乱し、防御の体勢をとりつつ、ある筈のない剣を取ろうと背中に手がいった。当然その手は虚しく空を切る。
 相手を確認し、きまり悪い顔になった。
「悪い…」
 ぼそりと街の方を見ながら呟くさまは照れているだけなのだ。
 莉哉は両手を胸のあたりに持ち上げて降参ポーズで固まっていた。が、すぐに笑み零すとミウカの肩から滑り落ちた上着を拾って再び掛け直す。
「気配に気づかないこともあるんだな」
 気を抜いていただけか、あるいは何かに没頭していたか。思考を支配した原因を、素知らぬふりをする。自分の勘の良さに嫌気がした。
「寒くはない」
 そう言って上着を返そうとする。
「いいから着てろって。そんな格好の時くらい素直に従ってよ」
 突っ返された上着を広げミウカの背中に掛けようとして、風が吹いた。細く艶やかな赤銅色の長い髪が流れた。ミウカの着ているドレスは大きく背中のあいたデザインで、少女の絹肌が月光に照らし出された。
 そこに穿たれた紋様に、動きの総てが氷結した。
「それは…」
 莉哉が何を見つけ、何を思ったかを悟り、ミウカはゆるやかに笑った。消え入りそうな笑顔だった。
「リイヤも見ただろ?【呪い】の紋様だ」
「……そんな…」
 能力の目覚めと共に穿たれた紋様。なぞらえる史実。繰り返される。
 冷淡な表情は諦めなのか、強がりなのか。
 不意に、再び、グニャリと渦巻いた。ミウカが歪み、純色の白が弾けた。
 また…!?
 何度か経験すれば冷静に捉えられるようになっていた。《透察眼》が見せるもの。…だが次の瞬間、薄茶翠眼は見開かれた。
 己の掌に降りてきた感触。産まれて初めて味わった感覚。驚いて、慌てて手を持ち上げる。滴り落ちるほどの血が、彼の手を染めていた。
 なん…だ、これ…。
 視界の端に影が動いて、ばっと顔を上げた。
 長い髪の佳人が、胸から血を流し、傾いだ。そこに突き立てられた刃がゆっくりと抜け落ちていく。
 これ、は…っ。
 ミウカの瞳が、かつて見た光景。少女の手に落ちた感覚。彼女の――咎。
 こんなもの見せるな!俺にどうしろというんだ!?
 逸らしてしまいたいのに彼の《眼》は容赦なく続ける。幼き頃のミウカの声が――泣き叫ぶ声が    耳をつんざいた。
 心が砕け散ってしまう…!
 ぷつりと少女の声が途切れた。
 うずくまる華奢な躯。自身を掻き抱く手が白く力を込め、ガタガタと震えている。雷に照らし出され怯えたミウカを連想させた。
 手を伸ばし掛けて、彼女がばっと耳を塞いだ。唐突な動きに手を引っ込めた時、莉哉の耳にも彼女に聞こえていたモノが飛び込んできた。
 囁く、蠢くような声。魔の、呪いの声。
 ミウカに綴る。取引せよと、囁き続ける。甘い誘惑。
 宿命がなければ、平穏が手に入る。
 宿命がなければ、ずっと一緒にいられた。
 重きを背負うことなく、安穏を求められる。――赤銅さえ、なかったなら…。
 ――我を解放せよ。
 ――我が主らの願いを、望みを、叶えてやる。
 ――赤銅の宿命を、消し去ってやる。
 幾度も、繰り返されただろう声。
 どこまで彼女を苦しめるというのか。
 背中の【呪い】が穿たれている限り、彼女は永遠に苦しみ続けるのだ。


[短編掲載中]