「この自分を、哀れと思うか?」
 引き戻された意識の目の前に、澄んだ赤銅の瞳があった。
 真っ直ぐに、莉哉を見つめている。今、ここに生きている少女の瞳。
「えっ…?あ、ごめんっ」
 ラスタールにきてからというものの、どれだけさらぬ顔が下手になったかを思い知らされる。
「謝るな。気にしてない。初めて見たのだし、無理はない」
 揶揄する趣さえ見えた。こんな風になれるまで、彼女はどれだけの思いを握り潰してきたのだろう。それは決して褒められる努力ではないのだけれど。
「にしても、父様には参ったな」
「え?」
「ああ、そうか。リイヤは知らないか。スティア姫と対面してた時に割り込んできたのが父親なんだ」
「誰の?」
「……自分のだが?」
 あの頑固そうなのが?と口にしそうになって、慌てて飲み込んだ。
 きょとんとして、それからミウカは吹き出した。
「似てないか?…うん、似てないかもな。正直者だな。顔に出てるぞ」
 声を押さえて笑う。彼女が笑ってくれるのは大いに嬉しいのだけれど…。
「横暴だよな、あの態度」
 思い出すだけで顔つきを険しくした莉哉の腕を二・三度軽く叩いた。
「仕方ないんだ」
「なにがだよ?」
 燻った声になってしまった。
「父様は自分を…、自分達を嫌ってる。……ともすれば、恨んでるから」
 真摯な瞳が莉哉を見上げている。二人の間を静かに風が吹き抜けた。淡々と、ミウカは続ける。
「赤銅の双子を我が子に持ち、【呪い】が穿たれた。そのことで随分辛い思いをしたらしい。双子でなかったなら、赤銅色の瞳だけであったなら、一生安泰であった筈だから」
「でもそれはっ、ミウカの所為ではないだろ!?」
 思わず大きくなってしまった声。目の前でか細く微笑む顔に、即座に後悔した。
 総ては【呪い】が元凶なのだ。
 いくら理屈を捏ねたところで現実は変わらない。頭で考えることと、心で受けることは違うから。誰の所為でなかったとしても、向けられる視線に含まれる感情を敏感に感じ取ってしまう。そして彼女は、無窮に引責してしまうのだ。
 父親さえも忌み嫌う蛇蝎の存在。
 望まれて生を受けた筈なのに、望まれない生命を継続しなければならなかった苦しみ。圧し掛かる重圧。積み重ねられていく悲しみ。
 それでも彼女は、差し伸べられる手を取ろうとはしない。巻き込むのを畏れて。
 自らを傷つけ、血を流そうとするのは、【赤銅】を消し去ってしまいたいから…?宿命を葬り去りたいのだと望んでのことだと?
 宿命に絡め取られた彼女は言った。――殺めなければならない相手がいると。それは、敵対するグラザンの長ではなくて、自分自身のことだろうか。
 どこまでも、いつまでも、その生命が己の中にある限り、宿命がある限り、少女は独りで往こうとする。独りだけで、逝こうとする。
「――ハルは、ナラダを棄てた。だろ?」ミウカの怪訝な顔を、見えないふりをした。「宿命を放棄した。奴に許されて、ミウカに許されないなんてことがあるかよ」
 何故、ミウカの守護の元にいる国民から虐げられなければいけないのか。理不尽なことでも、引責しなければいけないのか。それを少女が甘んじて受けなければいけないのか。
「ナラダの国民から受ける仕打ちに、耐える必要なんてないだろ!?」
「ハルは、」声を荒げがちな莉哉を鎮めるようなトーンでミウカは綴る。達観したような瞳で。「棄てたんじゃない。ナラダに棄てられたんだ。牙を向けてもいいだけの理由はある。勿論正しいことではないけどな」
 少女はあくまで冷静だった。
「宿命の所為で辛い思いをしてきたんだろ?」莉哉が見たのは、氷山の一角でしかない。「そうまでしてやる義理なんてねぇよ!」
 昂ぶる憤怒を抑えられずにいた。少女の静かな語調とは、ひどく対照的だ。
「生きる存在意義をもらえたってことなんだ。感謝して然るべきだ」
「周囲から疎まれても、恨まれても?」
「護る力を与えられた。その力を発揮できる地位も貰えた。名誉だと思ってるよ」
 同じ台詞を聞くのは、二度目だ。これが、彼女の本心。
 こうまで清々しく、いっそ潔く断言されてしまえば、莉哉に反発できるだけの、ミウカの想いを変えるだけの言は見つけられない。
「できれば…。コウキがナラダを治めている時代に産まれたかった。そうしたら…」
 どんなにみっともなくても、どんなカタチでも、生き永らえてやろうと思う。…彼女の心がそう続けたように、莉哉には聞こえた。
 チクリと胸に痛みが走った。ぐっと飲み込んで、莉哉は瞳を見つめた。
「コウキが皇帝になり、生涯を終えるまで…傍にいればいいじゃないか」
 気持ちの上で口にはしたくなかった。つっかけるように吐き出すように言う。ミウカはゆっくりとかぶりを振った。
「自分達、赤銅をもつ者は短命だ。何年か後に皇位継承したとしても、次代を護り抜き、全うするその時まで、自分は生きていられない」
「そんなのっ…決め付けんなよ!」
 ムキになってる自分がいた。言いたくないと思う反面、彼女に笑ってほしくて、笑えなくてもせめて、こんな顔をしてほしくなくて。
 ミウカはそっと微笑んだ。あまりにそれは細く儚く、夜気に紛れてしまいそうな錯覚に全身で恐怖を感じた。
 こんな宿命を背負わなければ、未来は違っていただろう。
 互いのこと、身近な人の幸せだけを願って生きても、誰も咎めなかっただろう。そんなささやかなことさえも、許されないというのか。
「リイヤは、優しいな」
 言葉を打ち切ると、押し黙ってフィーゴスの街並みへと視線を戻した。これ以上は何も話す必要はないと拒絶されてるようで。
 引き下がれない、と半ば意地の感情がふつふつと湧いてくる。胸の奥で疼くモヤモヤしたものを拭い去りたかった。
 古の事実を共有したことが、莉哉を突き動かす。
 この世界への召喚には必ず、何かの意味があるのだ。莉哉が選ばれたのには絶対の意味がある。
 その意味を知らなければと、知りたいと、願う。
 “光の橋”で待っていたのが彼女だったらいいと…。
 口にしたくて出来なかったこと。答えを聞くのが怖くて、言葉に出来なかったこと。
 やめておけばいいのにと制止を叫ぶもう一人の自分と、衝動に流されるままになれと急きたてる自分が、せめぎ合っていた。
 予測していた通りの答えが返ってきたならば、自身の心がどうなるかくらい、容易に想像がつくというのに…。
 葛藤の結論が出る前に、口が勝手に動いていた。
「コウキが…好きなのか?」
 彼女は逡巡し、柔らかく微笑んだ。月の光がミウカを仄かに照らす。


[短編掲載中]