自警隊より放たれた矢。狙いを確実に捕らえ、貫いた。
 ミウカの背中からハルの胸を貫通し、矢先は彼の背中の向こうに見えていた。血を滴らせて。
 少女の躯がずるりとずれた。ハルの腕がかろうじて受け止める。見開かれた彼の瞳。手に入れた瞬間に急速に遠のいていこうとする妹を見つめた。

「ミウカ――――ッ!!」
 駆け出そうとした莉哉をラコスの手が引き止めた。振りほどこうとしても頑として動かない。
「離せっ!ふざけんな!!」
 ラコスは引かない。彼等にとって莉哉は救世主なのだ。このラスタールを救える、【呪い】の双子から解放する唯一の存在なのだ。
「リイヤ殿は下がっておいで下さい!双子は忌むべき存在なのです!!今こそ我らの手でっ…」
「ふざけてんじゃねぇ!ばかやろうっっ!!ミウカー!!」
 羽交い絞めにされても少女に駆け寄ろうとする莉哉の力は、三人がかりでやっと押さえ込めるほどだった。
 莉哉の叫び声はすでに、ミウカの耳には遠いものになりつつあった。意識は朦朧として、ハルによる支えがなければとっくに地に堕ちていた。
 胸を貫かれ大量の血が砂に吸い込まれる。大切な妹を腕に抱くハルは憤怒に震えた。声は呟く音量にしかならなかった。だがそれは徐々に抑えきれぬ怒りと共に、怒号へと変わる。
「愚かだ、ミウカ。…お前は愚かだった。こんな奴らに命を掛けてまで護る必要が、どこにあった!? お前がしてきたことの報いは、こんな形で返されるのが妥当だというのか!?滅びてしかるべきは俺達じゃない!」
 吐き出しながら矢を抜いていく。彼の瞳に映るのは、何だというのか。
 抜き去った矢を投げ棄て、激しく震える手を押さえた。柔和で優しい動作でミウカを静かに横たえる。立ち上がろうとするハルの腕を引力が邪魔をした。
「離せ、ミウカ」
 すでに目線はミウカにはなかった。ハルの目に入るものは、何もかもが敵だった。
「ハ、ル…。駄目…」
 裾を掴む手に、残った微かな力を集中させる。離してはいけない。この手を。二度と…離してはいけない。
「ふ…たり、で…いこう。ハル…。お、願い…」
 血を見るのは、もう沢山だ。霞む視界でハルを見上げる。視線を感じて尚、ハルは振り切った。ミウカの手に自分のそれを重ね、優しくはがす。
 臨戦態勢の自警隊に、ハルは攻撃態勢で対峙した。

 莉哉の声が必死にミウカの名を呼び続ける。彼方から聞こえるそれがなければ、とうに意識を手放していただろう。
 水面下で微かに残る意識の残滓は、周りを囲む者達の目に、その存在を認識されずにいた。
 蒼白した顔。ぴくりとも動かない躯。誰もが彼女の『死』をその目に映す。――認める認めないに構わずに。
 それはハルにとっても、同じことで。
 激昂の炎がハルの背後に立ち昇る。
 血まみれの手が、躊躇うことなくバングルを外した。最後の片方――万全なる【呪い】の解放。総てを破壊し、総てを消滅させる。
「ミウカがいないのであれば、この世界を存続させる意味などない!」
 呻き声が低く地を揺るがした。自身を抱くように二の腕を鷲掴みにし、爪先から頭まで全身をさざめかせた。内側から発生する瘴霧がハルを包んでいく。黒く、漆黒へと変化する。
 赤い瞳孔。裂けんばかりの口から覗く鋭い牙。白い砂地に食い込む爪。記憶の中に風化していった魔獣の姿が現れる。古の【呪い】の化身――ゲリューオン。
 咆哮が天を切り裂き、漆黒の瘴霧が四方八方に放たれた。


 ――…目を、開けて…。
「誰?」
 ――早く、戻って。こちらに来てはいけない。貴女は戻らなければ…。
 真っ白だった。視界を埋め尽くすのは純白。虚無の空間。浮かんでいる。触れるものはない。天も地も、風も音も温度も。…何も、ない。
 あるのはただ、耳に直接響く声。幼子の紡ぐ、しっかりとした語調。
「ここは…どこだ?」
 誰もいない。けれど語りかける二つの声は交互に紡がれ、ミウカに向けられている。
 ――ここは、『無』
「自分は…死んだのか?」
 ――そうじゃない。死後の世界じゃないの。
「誰なんだ」
 ――ごめんなさい。僕達ではかのモノを消し去ることは出来なかった。
 ここは『無』
 かつてゲリューオンと対峙した者。…それは、古の双子。ミウカの中でパズルが綺麗にはまった。
「ハルを連れて、ここへ来るべきだったのに。自分達に穿たれた【呪い】を消滅させる方法が見つけられなかった」
 どうしようもない感情に苛まれる。次代へ引き継ぐべきものではないと判っていたのに。何も出来なかった。
 ――違うよ。
「…なにが?自分はなにも出来なかった!ハルを止めることも、ハルを取り戻すことも。失ってばかりだ。自分だけがここに来ても、意味は無いじゃないかっ!」
 ――まだ間に合う。戻って。貴女に、総てを託す。
「待って!どうしたらいい!?教えてくれっ…やはり貴方達と同じ路を辿る他ないのか!?」
 声は消えていく。言葉が届かない。遠くなっていく…。
 意識が元の場所へと還っていく…。


[短編掲載中]