ピクリと漆黒の魔獣が反応した。内の奥底に、ミウカの求めた意識が呼応する。失われてはいない。完全に消滅してはいない。
 大切な者が戻ってきた事実を、ハルは感じていた。
 互いに通じ合った心。互いの想いが通い合う。
 ミウカが名を叫ぶ。ハルが呼応する。全面に出た魔の化身が消滅させようとする力に、内から抗う。
 …だが、巧くいかない。永く共存しすぎた代償だった。一度はその囁きに、完全に呑まれそうになったこともある。解放された魔を押さえ込む術はない。暴走するのを、傍観するだけ。
 ハル…。
 姿形は違えど、ハルの存在を感じられる。目の前にいるのは確かにハルだ。
 取り戻したい…!力を、貸して!
 ぐっと息を飲み、魔獣を見上げた。
 ハルを、返してもらうっ!
 シアとリーテが近くにいる。力を貸してくれる。まだ動ける。
 飛び掛っていくさまは、本来なら動けぬほどの怪我をしているとは思えないものだった。軽やかに舞い、鮮やかに斬撃を繰り出す。その身を真っ赤に染めて。
 ハルの抵抗をものともせず、ゲリューオンは向かってくる赤銅と銀の影を攻撃する。
「ゲリューオンには触れるな!」
 痛みはない。冷感も消えた。血が流れ続けていても、今までと変わらず動ける。
 史実を見たミウカは的確に指示を出していく。闘い方を知っているのは彼女と莉哉だけなのだ。
「ミュウ!君は下がってろっ」
 闘いながらミウカの身を案ずる。動いてはいけない。動かしてはいけない。けれどミウカの戦力は必須だった。半身しかなくとも、魔獣の力は強大だった。
 止められるのは、ミウカしかいないのかもしれない。
「油断するな!こっちは構わなくていい。集中しろ!」
 心配してくれる周囲の気持ちは伝わっている。だからといって甘んじて傍観するわけにはいかない。
 魔獣は感じているのだろうか。残りの半身が己に向かってきていることを。攻撃の対象をミウカだけに絞っている。取り込んで完全になろうとしている。
 タキはそれに気づいていた。真っ先に護らなければいけない対象が狙われている。ミウカが【呪い】に取り込まれることがあってはならない。世界の崩壊を招かせてはならない。
 だがそれ以上に、大切な者を失いたくなかった。幼き頃から想い続けた彼女を、失いたくない。
 振りかざされた魔獣の前足に、一瞬タキの反応が遅れた。
 目的を取り込む為に小賢しく動く者を一掃しようとするゲリューオンの動きをミウカは見逃さなかった。
「タキッ…!!」
 銀髪の少年を突き飛ばし、代わりにミウカの躯が横殴りに飛ばされた。砂煙を巻き上げ肩から着地する。口の中に鉄の味が広がった。
 無事着地しすぐさま駆け寄ろうとしたタキを、透明な壁が遮った。
「ミュウッ…!なにしてんだ!?」
 壁越しに見えるミウカはゆっくりと躯を起こす。横腹を殴られ、更に勢いを増した流血に眩暈がした。それでも、ミウカはタキへ口端を持ち上げてみせた。
 まだだ…。
 立ち上がり、よろめいて持ち直し、強固に【保護壁】を紡ぎ続けた。次に壁がなくなる時は、ミウカに最期が訪れた時なのだと。
 ミウカとゲリューオン以外を護る壁。彼女の覚悟は痛いほど伝わってくるのだけれど…。
「一人で行くな!僕も闘うっ」
 背筋を伸ばし、魔獣と対峙する真紅の瞳。迷いは微塵もない。
「使命を忘れるな」
「ミュウ!?」
「この国を護るのは、タキの役目だ」
 そして、ハルを止めるのが自分の使命。自身の何を犠牲にしても、やらなければならない。

 莉哉は重視し続けていた。束縛を解けないのなら、時機を待つしかない。どこかで抜ける道はある。彼女の覚悟を貫かせたりしない。そんな覚悟など、この手で阻止してやると。

 ――我を、解放せよ。

 莉哉とミウカ、聞こえてきた声に同時に反応した。空耳ではない。初めて聞いた声ではない。
 ミウカだけに囁かれる声。魔の囁き。幾度となく彼女を翻弄しようとした声。莉哉はそれを《透察眼》で、彼女と同じ体験をしてきた。双子の苦悩を、内なる闘いを同調してきた。
 この囁きから彼女を解放したいと願ってきた。
「駄目だ。聞くな、ミウカ!」

 ――解放せよ。お前たちの愁悶を解き放ってやろう。


[短編掲載中]