二つに分裂していた【呪い】は今、元の完全体へと変化する。双子の心を最奥へと封じ込め【魔】を最大に。
 一つに戻った巨大な漆黒。元来の大きさを取り戻した。
 その姿を目の当たりにし、最早逃げ出す者も立ち向かう者も、いなくなった。


 ――ハル?まだいる?
 返事は無い。語りかける。心の声で。一度は通じた。まだハルがいるのなら、応えてくる筈だ。
 ――ハル?ハル、いないのか?頼む。返事を…。
 ――…ウカ?
 ――っ。…よかった。
 ――すまない。俺は…。
 ――謝る必要はない。ハル…、この闘いを止めたい。一つだけ方法があるんだ。
 ――…ああ、知っている。古の双子が辿った路。それは彼を巻き込まない為の方法でもあるのだろう。いいよ。ミウカが望むなら…。
 ミウカと一緒にいられる世界を創りたかった。それが一番の望みだった。だから、世界を手に入れたかった。
 ――ハルッ…!あたしは、宿命を恨んだこともあった。赤銅の瞳を持ったことを憎んだこともあった。だけどっ…一度だってハルと双子であったことを嫌忌したことはない!
 ――知っていた。…ミウカ。…償いをすべきは、俺だけで充分だ。
 ――ハル?なに言って…!?
 ――……。
 ――ハル!?


 天も地も、森の緑も陽の色も、総てが一瞬の純白に染められた。
 莉哉の躯から発せられた光は線を成し、今や完全体の魔獣へと変わった塊へ向けて、その肢体を貫いた。


 たゆたわれている感覚。とても心地よく、安らかだった。
 指先に何かが当たる。そっと目蓋を持ち上げて、そちらを見た。右手に触れる、もう一つの指先。
「ハル…」
 ミウカの右手とハルの左手。指先だけが触れ合って、二人は寝転がっていた。顔を寄せて、足を投げ出し、無防備なまでの格好で。
 幼き頃の回想ではなかった。今確かに、十五歳の二人がここに存在していた。
 呼び掛けに反応してハルはゆっくりと顔を向けた。瞳が柔和に細められる。
 ハルはミウカの手をとって立ち上がった。
「ここは?一体どうなって…」
 兄は妹を引き寄せ、優しく抱き締める。
 互いに感じる温もりを、愛しく想う。静かにゆっくりと沁み込んでいく。
 だがその時間は短く、ハルは耳元で囁いた。かつてないほどの優しい声音で。
「ミウカ…、さよならだ」
「ハル?」
「俺はゲリューオンと永く共鳴しすぎた。元には戻れない。奴の取引はあながち嘘でもないようだ。自分のしでかしたことの始末は、自分でつける。お前まで罪を受ける必要はない」
「ハルッ?なに…!?」
「魔の囁きに負けた、俺の過ちだ」
 ミウカと平穏に生きていきたかった。その為に【赤銅】が邪魔だった。この色があったから、俺達は引き裂かれたのだ。
 ゲリューオンは囁いた。甘美な取引。【赤銅】を無くそう。我を解放しろ。代わりに赤銅の宿命を消し去ろう。我が総て取り除くと。連鎖を断ち切ってやると。
 魔の力を調教できれば容易く世界を手にすることも可能だった。従うふりをして欺こうなど、浅はかな考えだった。
「…愚かな選択だった。勿論、真に受けていたわけじゃない。あんなものを解放したらこの世界が滅ぶのは目に見えていた。奴の言う通り赤銅を消せるとしても、そんなことが出来るのならば、奴がその能力を取り入れる力を持っているとしたら…?俺達の力を手に入れたら、それこそ何が起こるか…。宿命から解放されたところで、生きる地を失っては意味がない」
 ハルの表情が、ゆっくりと切ない色に染まった。
「けど…欠片の希望でもいい、持っていたかった…」
 例えその希望が単なる幻だったとしても。それでも少しの望みに縋っていたかった。理性と感情が葛藤する孤独な闘いを、ハルはずっとし続けてきたのだ。
「普通の、なんの能力もしがらみもない――普通の人間になって、ミウカがいれば…それだけが望みだった」
 根底にある単純で純粋な願いはもう、ずっと変わらない。そのたった一つの願いを叶えたいだけだったのに、ずいぶんと時間がかかってしまった。けれど、だから、同じ気持ちでいてくれただけで満たされたのだ。その想いだけで、充分だと。
「なにを言ってるか判らん!【呪い】はあたしの中にもあるんだっ。自分達が消えなければっ…」
「案ずるな」
 ハルは微笑み、ミウカの背中――呪いの紋様を鷲掴みにした。獣の咆哮が耳をつんざく。


[短編掲載中]