例えばここで、颯爽と格好よく、間に入って救出したとして、あの子は自分に感謝するだろう。するだろうが、これまでの関係以上は絶対にありえない。いや、別にそれを望んでいるわけではない。これは本心だ。
 あの子をネタにアイツをからかうのは心底楽しい。あの子と仲良くしようとしたのは、そこから始まった。今ではそれを抜きにしても、あの子と話してるのは楽しいのだけれど。
 楽しけりゃ、何でもいい。
 アイツの大切なあの子と仲良くしていたいだけ。友情ってのを壊す気は毛頭無い。壊さずして楽しいネタ作りをする。だからこの場は割って入るが得策。
 ――なんてことを、通りすがりに見掛けた光景に足止めしてから数秒のうちに、成澤の思考経路は結論づけた。
 アイツの“特別な存在”が、自分の目の前で困窮していた。これが違う子であっても成澤は助けに入っただろうが、あの子となれば俄然やる気が倍増する。
 救い出したのが自分じゃないと、悔しがるアイツの顔が目に浮かぶから。

 成澤は鼻歌混じりに軽やかな足取りで、現場へ近づいて行った。近づいていくとやり取りが聞き取れるようになる。予想通りの中身だった。
「あの、申し訳ないんですけど、誰ともお付き合いする気はなくて、」
「それって可能性はあるってことだよね?お試しでいいから付き合おうよ。なんならまずは友達でもいーし」
 おそらく同じ問答をずっと繰り返しているのだろう。少女の頬に僅かな疲弊が見えた。かなりしつこそうなのを相手に、邪険にしないのは褒めるべきところだろう。
「ですから、その、ごめんなさい」
 ぺこりと頭を下げた少女の横に並び、成澤は乾いた声を出した。
「完璧拒否られてんじゃん。そのへんにしとけば?」
「ナル先輩!?」
 がば、と顔をあげた少女は、驚き半分、安堵半分。
 一人の男子生徒にからまれていた少女――ミウカは、相手から解放されるという喜色を滲ませた。
「諦め悪いと嫌われんぜ?」
 呆気に取られていて、遅れてむっとした相手は、成澤を標的に定める。まずは邪魔者の廃除だ、と。
「あんたには関係ないだろ!?」
 成澤とは同学年と判ると途端に強気全開だ。
「そうでもないんだな、これが。大体、この子、好きな奴いんだぜ?」
「え!?」
 素っ頓狂な声を同時にあげたのは、成澤以外で。
「ミウカちゃんまで驚いてちゃ駄目でしょうが」
 耳打ちされて、救出作戦の一貫なのだと合点がいったようだ。
「そ、そうなんですっ。だから、」慌てて話を揃えようとする。
「さっきは言ってなかっただろ」相手はむっと口を尖らせる。
 愛想のいい顔は成澤の出現と同時に掻き消えた。ミウカは言葉に詰まり、成澤よりも一歩分後ろに下がった。馬鹿正直に話してしまっていたのだな、と呆れつつも微笑ましくもある。
「あんまりにも鬼気迫ってくるから怯えさせちゃったんじゃねーの?」
 成澤の揶揄口調に、相手は益々不機嫌を上乗せさせた。
「ま。なんにせよ、君と付き合う気には永遠にならないってことだから。以上!」
 ミウカの手をとり、満面の笑みを向ける。受ける側の心持ち次第では小馬鹿にされてる気分になる笑みだ。
 相手の返答も抗議も待たずに成澤はとっとと歩き出す。強引で優しい引力に引かれ、たたらを踏みながら、顔だけでミウカは振り返った。
「あのっ、ごめんなさい。そーゆうことなのでっ」
 そんなミウカの謝罪に応えたのは成澤だった。「いーよ、いーよ。気にしない、気にしない」
 まるっきり他人事然とした言い方で笑い飛ばす。
 置き去りにされた方はポカンと佇んでいた。姿が完全に見えなくなる位置まで移動したところで歩調を緩める。依然ミウカを引っ張っている成澤は鼻歌を奏でてさえいた。
 進行方向に逆らってミウカが力を加え、ようやと立ち止まる。
「すみません。助かりました」
「うん。にしてもさ、ミウカちゃんって手ちっこいね。背もちっこいから当たり前か」
 俺おっさん臭いこと言っちゃってる?やべー、などと一人突っ込みをしてる成澤を余所に、ミウカの顔にみるみる熱が上昇した。
「ああああ、ごめんなさいっ」
 慌てて離れようとする。
「こっちとしては大歓迎だけどねー。ま、奴に怒られんのは勘弁だしね?」
 ぱっと放し、にぱっと笑った。
「ときにミウカちゃんさ、実際のところどうなん。好きな奴いないの?」
 基本、成澤は人をからかうのを趣味にしている。節がある。
 悪趣味極まりないと、主に標的にされがちな莉哉は批難するのだが、当人は軽く流すだけ。無自覚なふりを決め込んでいる。
 成澤の中ではミウカもその対象で、赤面がこれ以上にないくらい赤く染め上がる予測通りの反応を楽しんでいた。
 返すべき返答に困窮し、詰まっているミウカを成澤は覗き込む。
「その様子だと、いないって解釈が正しいのかな?」
 ミウカは肯定も否定もせず口ごもる。流石に莉哉を不憫に思ってしまう。が、表面には出さず続けた。
「さっきみたいな輩の、さっきみたいな内容だったら、断る口実に使っとけばいーんだよ」
「え、でも、嘘はよくないです」
 やっぱりまだ誰も彼女の恋愛対象にはなっていないということか。莉哉はいい線いってると思ってたが、単なる思い違いか?それとも、この子の無自覚か。
「必要嘘というものはあるのだ」判った風な口調をとる。
 ここに莉哉か井塚がいたならば、絶対突っ込まれているところだ。ミウカは小首を傾げ、その場面を想定しているようだ。
 この少女は何でも素直に吸収してしまうところがある。それを危惧して、莉哉は自分のいないところで成澤とミウカが話すことにいい顔をしない。実に失礼な話だ、と成澤が抗議すれば井塚も莉哉に同意する。
「必要な嘘、ですか。判断が難しそうですね」真剣に考えている。
 無意識にこんな風に愛らしさを出すものだから、周りがほっておかない。
 ミウカは決して無知なわけではないのだが、時折、小学生でも知ってるようなことを知らなくて、それを教えてあげるのが至高に楽しい。莉哉より先回りで可能だった場合、二乗となる。
「莉哉は?」
「え?」
 想定の世界から舞い戻り、成澤の言葉を反芻する。その上で更に疑問符を濃くした。
「ああ、ごめんね。話を少し戻してみました。ミウカちゃんにとって莉哉ってどんな存在なのかな、と」
「好きですよ。大切な人です」さらっと言う。「いつも助けてもらうばっかで、」
 無自覚が当たってるな、と判断する。そこでムクムクと成澤の悪い癖が叩き起こされてしまった。
「お返ししたい?」あとを引き継ぎ問い掛けると、途端に顔色を明るくした。
「方法、あるんですか?」
 充分幸せモンだな、アイツ。
「あるよ。いい方法が、ね」
 成澤の笑みに隠された裏を、ミウカが気付くわけはなく。


◇◇◇


 打って響く早さで、予想通りの反応が返ってくるというのは、小気味いい。
 目の前にずいっと迫った莉哉の怒顔を見ながら、内心でほくそ笑む。
 今回の件の内容を聞いて、勝手にしろ、と呆れた井塚は、成澤が話題を持ち出した瞬間に何食わぬ顔を作り、莉哉と揃えて驚き、掴み掛からん勢いの莉哉を宥めに取り掛かっていた。
 なんとなく、協力態勢ではある。
「もいっぺん、言うか?」
 莉哉の苛立ちに頓着しない軽さで成澤は言う。数瞬迷い、ばんっと机を叩いた。
「本人に確かめてくる」
 言うが早いか、颯爽と教室を飛び出して行った。向かうは一年生の――あの子がいる教室だ。
 普段鋭い莉哉でも、芝居がかった物言いが気にならなくなるのは、ことあの子に関する話題になったら、だ。
 顔を合わせるや開口一番、成澤はこう言ったのだ。
「ミウカちゃん、クラスの奴に付き合うって言ったらしいぞ」
 肩を怒らせてずんずん突き進んで行く莉哉の背中を、成澤は井塚と並んで追い掛けた。同じ速度で進んでいても纏う空気は天と地ほども違う。
 成澤はのんびりと背中に話し掛ける。
「お前さぁ、あんま干渉しすぎはよくねーぞ?誰に付き合おうが、ミウカちゃんの自由ってもんだ」
「判ってる。干渉してるつもりはねぇよ」振り向かず吐き出す。
 誰と、ではなく、誰に、と成澤が言ったことに、加えてわざとらしい口調だったにも関わらず、莉哉は全く気づいていない。
「彼氏じゃないんだし」成澤は煽る。
「…っ!」莉哉は一瞬詰まり、声をはった。「判ってる!」
 勢いよく振り返り睨まれているというのに成澤は少しも動じていない。ふうん、と含みのある顔を返しただけだ。
 成澤の凄いところは恐れ知らずで莉哉が怒ることを平気でやらかすところだ。と井塚は口癖のように言う。
 彼の中で境界線が引かれているのかどうかを、少なくとも井塚は発見したことはない。らしい。
 成澤にしても、一応「ある」とは返しているが、実際のところ自覚したことはあまりない。




 教室にたどり着き、普段ならば戸口でクラスメイトに呼び出しを依頼しているところなのだが、今はとにかく早く真意を確かめたいといったところだろう。段階を省いて真っ直ぐにミウカを目指す。ミウカは隣の席の男子生徒と談笑していた。
 莉哉の姿を見つけ、笑顔を向けられ、ほんの少し冷静を取り戻したのか、歩調が緩まった。
 ミウカの出現により、莉哉がこれまで被ってきた平淡の仮面は剥がれがちだ。
 粗方のことはそつなくこなす器用さと、見目を惹く容姿。たいていの人間ならそれを鼻にかけれど、莉哉は真逆だった。どこか一歩引いて、自己を主張せず、をモットーにしてきた。
 周りと同等であるのだと、そこに溶け込むことにこそ、執着している感じで。
 彼なりの決意の元での振る舞いなのだろうし、そのへんの過去の事情とやらを成澤は尋ねたことがない。話すというなら聞くけどな、というスタイルをとってきた。
 悪く言えば、面倒事が含まれていたら厄介なのでほっておいた、だ。面白ければ無関係という説もあるのだが。
 要するに、どんな彼でも、成澤自身が楽しければいいのだ。

 ミウカは莉哉が正面に立つのに合わせて立ち上がった。
「急用でもあった?」
 表情からそう判断してミウカは問う。些細なことでも判るといったところだろうか。傍から見てれば、もっと莉哉は大様に構えてても問題ないと考えられるけれど。
 ま、今回は内容が内容だもんな。
 成澤は戸口で足を止め、見学体勢をとる。
「急用っつーか、聞きたいことがあって」
「うん?」
「その、付き合うことにしたって。や、別に報告義務があるとか言うつもりは全く無いんだ。ただ、」
 散々異性に騒がれ、うまく立ち回る術を知ってる莉哉でも、それらはミウカの前では綺麗に霧散する。
 いい男が台なしだ、と成澤は思うのだが意外に周囲の反応は違っていた。そんな反応が、面白くもあり、面白くなかったりする。
「付き合う…?」
 ミウカは小首を傾げる。
 莉哉が「やっぱいい!!」と言おうとしたのと、ミウカの「あっ!」という合点顔が重なった。
「うん、そう!買物に付き合うんだ」
 へ?と惜しみない莉哉の間抜け面に、戸口にいたのにも関わらず成澤は盛大に吹き出した。
「か、買物!?」
「うん!…ね?森原くん」
 顔の向きを移して、ミウカは隣の席のクラスメイトに同意を求めた。座ったまま経緯を見上げていた森原がコクリと頷く。
「あ、そう……。買物、ね」
 一気に脱力している。追い掛けて(なんでそんな流れになったんだ?)と疑問が浮かんだが慌てて飲み込んだのが容易に見て取れた。成澤は傍観してるだけで楽しめていたのだけれど、そこは性分で。
 近づき、莉哉の肩に手を置く。
「いつ行くの?」
 ひょいと莉哉の背後から顔を出した成澤にもミウカは笑顔をくれる。
「今日の放課後に。ノートとってくれたお礼、なんだよね?」
 同意を都度求める動きも気に入らないらしく、むっとしている。子供かよ、と内心で突っ込みつつ「おら、戻っぞ」と促した。
「気、済んだろ?誤解でよかった、よかった」
「元はといえば、お前がっ、」
「はいはい。もどろーなぁ」くるりと方向転換させ背中を押す。
 顔だけで振り返り、「じゃーねー」と言い、一年坊二人に目配せした。


[短編掲載中]