放課後、こそこそと街中を進む莉哉の後ろを成澤は井塚と歩く。
 尾行なんて産まれて初めての行動に、子供みたいにワクワクしていたのは莉哉をつけている二人だけで。背後からでも充分伝わる落ち着きの無さだった。
「買物だっつって、これじゃまるっきりデートじゃないか」
 近づくと、莉哉の不満声が聞き取れた。
 学校を出てから距離を保ちつつ様子を窺っているのだが、一軒の店に入り、目当てはすぐ決まったようで買い物はものの十分で終了した。そのあとに二人は映画を観、帰るかと思えば並んで歩き、駅に向かう様子は皆無で今に至る。
 そっと背後に忍び寄り、おもむろに声を発した。莉哉の肩が僅かに揺れる。
「するってぇと、お前は、口煩い小姑とっこして、単なるストーカーだ」
 むっと眉を寄せるも、反論無し。大仰な溜息を無視して莉哉は偵察に戻る。
 成澤には理解不能だった。人並み以上の容姿があり、性格が悪いわけでもなく、ミウカの信頼もあり、なのに、だ。この余裕の無さはなんなのだ?
「大体、だ」
 いかにも納得いかない口振りで成澤は唇を尖らせた。
「なんで今だもってモテるのか判らん」
 元の、どこか一線引いて人と接していた時にはそれがいいといって騒がれ、ミウカが入学して以降、確実にそれは崩れているのに、しかも、どちらかといえばテンパっていることが目立つようになっているのに、それでも莉哉の人受けは不動だった。
 成澤の思考を推測して井塚が推量を述べた。
「母性本能くすぐられる、ってやつじゃないのか?女ってそーゆうのに弱いらしいからな」
「納得いかねーわ。世の中、不公平だ」と言いつつも、成澤はたいして頓着してない口調だった。
 ひがんだところでどうになる問題でもない。反発するより近くでからかってる方がよっぽど楽しめる。
 そうこうしているうちに、ターゲットの二人は立ち止まる。カフェの入口に立ち、顔を見合わせていた。
「お、動きあり」
 あまりにも陽気に聞こえたのか、すかさず莉哉のひと睨み。なかなか迫力ありだが、成澤はお構いなしだ。
「どうするよ?いつ出てくるか判らんから、とりあえず中入るべー」
 誰の賛同も待たずにさっさと進む。やれやれ、と息を吐いて井塚が続いた。




 店のレイアウトに助けられ、巧妙に身を隠し、聞き耳をたてる。集中さえしていれば充分聞き取り可能な位置に陣取ることができた。
 店内はほぼ満席だ。メニュー選びに夢中になっていたミウカは後続の莉哉達に気づいた様子は無かった。
 頭を低くし、ぱっと見、怪しい。しかめっ面のおかげで具合が悪い風にも見えなくはないのだが。
 成澤は携帯を取り出し、莉哉を被写体と定める。
「騒いでる女共も、こんな姿見たら幻滅すっかな」
 面白いから試してみっか、と笑った時、ミウカに向けられた告白が発せられた。
 莉哉の顔つきが更に険しくなる。
 以前のミウカならば、付き合ってという言葉をそのままの意味で捉えていた。それこそ、真顔で「買物?荷物持ちなら人手あったほうがいいよね。うん、付き合うよ」とか、普通に返したこともあるらしい。と莉哉から聞いたことがある。
 そのことで本人をからかうと真っ赤になって照れ入っていた。同じ言葉でも意味合いが違ってるんですね、などと天然発言の後、でももう大丈夫です、と自信満々に宣言したのだ。恋愛の意味だから断ればいいって莉哉に教えてもらいましたから、と。
 なんちゅーすり込みをしてんだ、と内心で突っ込んだのは記憶に鮮明に刻まれている。
姑息だと思ったりもしたが、一般的にモテる部類の人間の必死さを垣間見れて、可笑しかった。
 そんな莉哉が、唐突にがばっと起き上がり、現場に向かって「却下だっ!」と叫んでいた。
 後先考えてない言動に気づいたのは、言った後で。
 成澤と井塚は声を殺して笑い転げる。一方、叫びをぶつけられた方はといえば、莉哉を見上げ、ぽかん、だ。
 空気が固まり、凝固させた張本人は慌てて言い訳を捜しだす。流石の莉哉も咄嗟には無理で。困窮の果て、呻くだけだった。
 そんな気まずい空気を軽々解いたのはミウカの破顔だ。
「莉哉、今日は何日?」
「へ?」
 対策を脳内で練っていた莉哉としては唐突の質問に疑問を浮かべる隙は無く、直結解答を返す。
「四月一日、だよな」
「正解」
「あ、」
 ミウカが続ける前に言わんとしていることが判ったらしい。
「もしかして、エイプリールフール…か?」
「正解っ」無邪気に綻ぶ。
 がっくりと拍子抜けしたのは莉哉だけだった。
 更に無邪気にミウカは続けた。「嘘をついてもいい日、だろう?」
「一般的には、な。嘘にも、ついていいものとそうじゃないものがある」
 莉哉はあっという間に態勢を立て直し、教えを諭す兄の面構えになる。
 向けられた方のミウカはといえば、けろっと「それくらい判ってる」
「誰に聞いた?」
 ミウカの歳で、誰に教えられて知るものでもないだろうに、と思う。だがこの少女の場合愚問ではないのだ。バレンタインも同様だった。なので、あえて突っ込みは無しだ。
 成澤の中でミウカは非常に天然という認定になっていたりする。
 若干の咎めるような莉哉の質問にミウカは「ダメだった?」とまぜっ返し、怒ってる?と窺う瞳で見上げた。
 これで詰まらない男がいたらお目に掛かりたいものだ、とその場にいた男共は思う。
 悪気は欠片も無い。ご多分に漏れず、莉哉も一瞬詰まったのだが、根性で再び態勢を直す。
 同時にミウカは「莉哉が楽しくなるって聞いた」と追撃を加えた。
 堪らず逸らした視線を氷点下まで落とし、成澤と井塚に据えた。
「つまりは、こいつらの計画なんだな?」
 素知らぬ顔を作ればもう一段階温度は下がる。いくらミウカには見えないようにしているからといって、あまりにも遠慮無さすぎだ。
「余計なこと吹き込むな。つか」ミウカを見遣り「コイツらの言うこと真に受けなくていい。なんならもう、話さなくていいよ、メリット零だから」
「あ、ひっでぇ」
 あっさり切り棄てられた両名の反感と、ミウカの反論が重なる。
「そんなの、聞けない」
 莉哉を見上げる顔色が変わった。むっとしている。
「莉哉には助けてもらってばっかりで、お返ししたかった。成澤先輩に相談したら莉哉を楽しませてあげられる計画があるからって」
 本当に親身だったんだ、と続ける。悔しそうにも見えた。
「莉哉の言うことは正しいことばっかだけど、それは間違ってる。だから、聞かない」
 きっぱり断言だ。
 拒絶を匂わせるほどの勢いに押され気味の莉哉が若干不憫に思えたけれど、容易に友情を棄てようとしたのとおあいこだ、と勝手に相殺する。
「と、とにかく、こんなことしなくても俺は楽しんでるから。わざわざなんかしてくんなくてもいいから」
「それでは気が咎める」
「ほんと、気にしなくていい。ミウカは今のまんまでいーんだよ。――なんにせよ、直接言ってくれればよかったんだ」
 だったらこんな風に、ミウカが軽く騙されることもなかっただろうに、とは口にしなかったが、思っているに違いない。代わりに成澤と井塚を睨み上げてくる。
 そもそも計画を立てたのは成澤の独断だった。黙殺していたとはいえ、井塚はとばっちりもいいところだ。どうであれ、双方どこ吹く風状態。睥睨など軽く受け流す。
「まぁ、かりかりしなさんな。お前に内緒でしたかったってミウカちゃんの気持ち、汲んでやれよ?」成澤はつらっとのたまう。
 結局、楽しい思いをしたのは諸悪の根源のみなのだが、ミウカがそれを知る由はなく。
 この少女は根っから純粋だ。と成澤は思っている。疑うことを知らない。というか、知っていても、疑うなら騙される方を選択するタイプの人間だ。しかも、無意識のうちに。
 彼女のよさでもあるから変える必要を唱える気は毛頭ないけれど、いつもいつもが平和でいられるとも限らない。たいてい痛い目をみるのは、信じ易い性質の人間だ。
「嘘を吐いていけないことに吐くのは駄目だけど、先輩達はそんなことしない」
 莉哉の友達なんだし、と付け足す。
 良い方向で解釈をするなら、自分が信を置いている人の友人だから、無条件で信じてもいい対象でしょう?と言われているも同然だ。
 あまりにも実直すぎる眼差しに、罪悪感がチクリと疼く。
「そうとも限らない」莉哉はあっさり否定した。
 少女は小さく、え、と漏らす。ミウカの中の方程式が崩れ、真剣に戸惑っているのを目の当たりにしてしまうと、思わず口元が緩む。こんなところが、この子のいいところなのだ。
 莉哉は掌をミウカに向け、少女の思考に制止をかけた。
「いや。まぁ、いい。それはいいとしてだ。ほんとーに、気にする必要ないからな?俺には『してやってる』的な感覚は全く無い」
 むしろ、傍にいられるのは至上の喜びってやつだろう。
「な?」少女に向き合い、他には見せたことのないような笑顔を見せている。
「う、ん…」
「よし」
 不承不承気味の返しでも満足気だ。
 ほんっと、締まりのない顔になんのな。
 こんな状態をからかうのが一番楽しいのだけど、今日はこの辺で止めておこう。やりすぎは禁物。

 莉哉をからかうために、成澤は部活の後輩である森原を仕掛人に選んだ。前に一度、ミウカと出掛けたいという話をしていたのもあって、話を持ち掛けた時は二つ返事だった。
 ミウカにおいては、こうしてやれば莉哉は楽しいから、という成澤の嘘をまるっきり信じている。自分のことのように嬉しそうにして。おかげで、大成功だ。
 頭をワシワシと撫でられてくすぐったそうにしている少女は「でも、」と口ごもり、莉哉の手を掴んだ。やはり納得いってないのだと、浮かない顔をしている。
「ここにくる前の自分を知っているのは莉哉だけだし、それを知っていても傍にいてくれるのも莉哉だ」
 凜と瞳を向け、宣言するかのように明朗とした声を放つ。
 時々、二人にしか判らない会話がある。それは二人にある共通の時間があってこそで。莉哉が『その時間』を大切にしているのは明白だった。
 共通の過去が語られる時、莉哉は本当に柔和に綻ぶ。莉哉にこんな表情をさせられるのはミウカ以外に、成澤は知らない。
「限られた世界を広げてくれたのは莉哉だ。感謝してるんだ、本当に」
 真っ直ぐすぎる言葉に嬉しさ半分照れ臭さ半分といったところか。頬のあたりで熱が上昇していた。
「それに、」ようやと莉哉から視線を剥がして成澤達を見る。「先輩達と話しているのは楽しい。莉哉だって、だから一緒にいるんじゃないのか?」
「俺は支障ないから」
 流石と褒めるべきか、明確にするとこははっきりさせる。確かに、素直に吸収するスポンジみたいなミウカとでは扱いも天と地ほども違う。
「もっと、多くを知りたい。きっかけを作ってくれた莉哉に、恩返ししたいんだ」
 話をむせっ返すミウカに観念し、莉哉は息を吐いた。
「とりあえず、言い分は判った。じゃあ、ろくでもないことを教える可能性があるから、知り得たことは俺にも教えてくれよな?」
「俺らは人でなしかよ」成澤は唇を尖らす。
「成澤はともかく、俺を同類扱いにすんな」井塚は不満げだ。
 数瞬の視線の交わし合いの後、一斉に吹き出す。笑いが収まり、成澤は「森原、お疲れ。さんきゅーな」と手をあげた。もう帰っていーぞ、と無言で促す。
「仕掛人まで用意してたのか!?」莉哉は驚いて、呆れた。
 何故か成澤は得意げで、「部活の後輩だ」軽くふんぞり反る。
 森原は去り際に一瞬躊躇い、じゃあ、と軽くお辞儀をして踵を返した。が、すぐ立ち止まり振り返る。戻ってミウカの真正面に立った。
「あ、あのさっ」顔が赤くなっている。「今日だとエイプリールにとられちゃうから、明日改めて告っていい?」
 本気になっちまったか?成澤は息を吐く。
 本気になったか。可哀相に。井塚は心の中で合掌する。
 呆気にとられたのも束の間、莉哉は即刻「却下!」またぞろ叫んだ。
 きょとんとして、笑み崩れて、少女は小さい子供に諭す柔和さで言った。
「エイプリールフールだってば、莉哉」

 おっかしいの、と笑うミウカだけが、森原の本気に気づいていなかった。




[短編掲載中]