失礼しまーす、と会釈して店員が出て行くのを全員で見送って、防音扉が閉ざされた途端、申し合わせたように動き出す。選曲する者もいれば、届いたばかりの飲み物を配布する者、配布された途端に一口飲む者。
 普段と変わらない流れの中にあって、普段とは違う空気がある。
 本日の幹事である久保山は、さきほどから携帯電話を何度も見遣って落ち着かない。
「花音、どれくらいでくるかなぁ?」
 室内にいる数名の中でも、一番花音と一緒にいることの多い女友達が、誰ともなしに問い掛ける。誰もが答えを知らない問い掛けに、首を傾げるほかない。
「花音にはなんて言って誘ったの?」
 答えが返ってくるとは期待していなかったらしく、今度は矛先を定め、久保山に向ける。
「いつも通りのノリだけど?カラオケ行こうぜー、みたいな」
 後半は口調を変え、その言い方はよく口にするものだった。
「あんたにしては、ちゃんと気遣ってるじゃない」
「人を無粋人間みたいに言うなよ」
「中心はいつだって花音で、あたし達の予定は無視だったよね」
 不満げな口調をとるくせに、全く不満そうではなかった。久保山は花音の了承をとった後に他のメンバーを誘った。その時点ですでに、全員参加は決定事項だった。強引ではあるが、不満はない。
 花音が学校を休んでいた本当の理由を、ここにいる全員が知っている。久保山が言い出さなかったとしても、誰かが絶対同じような提案をしていただろう。
「そりゃそうだろう。重要なのは、花音が元気になることだ」
 悪びれた様子もなく、さらりと久保山は言う。文句が上がったとしても聞く耳は無いらしい。
 もとより、文句が出るとは久保山も思ってはいない。花音を心配する友人達はそういう者が集まっている。
「はいはい。別にいいんだけどね」
 継続したところで、目新しいこともない遣り取りが展開されるのは目に見えていて、引き際を定めた女友達は適当なふりをして受け流す。
 それに代わり、今度は男友達が横槍を入れた。
「基本やる気ねー野郎のくせに、花音のことになると必死だよな」
 聞き耳だけは立てていた他の者も同意の声をあげる。
 久保山は照れ入るどころか、ますます平然と口を開いた。
「当然だろ?好きな女には笑っててほしいじゃんか」
「俺ら相手にはさらっと言うくせに。めんどくせー奴だな。さっさと告っちまえよ」
「ばっ…、言えっかよ!」
 友人相手には堂々と宣言できるのに、本人相手となると急に怯む。顔で熱が弾けていた。
「自信、ないんだ?」
 ぼそり、と突っ込みがあがる。
「うっせ。ほっとけ」
 目の前にあったコップを鷲掴みにすると久保山は一気に飲み干した。
「はっきり声にしないとさ、花音、相当ニブチンだから一生気づかないよ?」
「ほんと、ほっとけっての」
 集中する自分への視線を振り切るように、久保山はテーブルに置いていた携帯電話をひったくるように取り、リダイヤルを検索する。
「あいつ、おっそいな。電話してみるわ」
 下手な誤魔化し方だと、本人を含むその場の全員が腹の底で思う。
 呼び出し音が二回と鳴らない内に相手が出て、それはそれでふためいた。
『もしもし、久保山?』
「おう。今どのへんよ。まだ大学、とか言わねぇよな?」
『あー、うん。大学は出たんだけどさ、』
「なした?」
『ごめん。帰る。みんなにも伝えて?』
「え、おいっ」
『ありがとね。また、明日』
 よもやの通話終了にしばらく電話を見つめてしまった。空しく機械音が漏れ聞こえる。
 礼を言うということは、内緒の趣旨を判ってるということで。それでも断りを述べるというのは、それまでの花音からでは考えられなかった。
 彼女を囲う負の感情が重い所為だと、想像は容易いけれど。
「花音、なんだって?」
 心配げに女友達が久保山を注視する。
「…帰るって。ごめん、ありがとって…」
 茫然と久保山は呟く。
「そっか。…だよね。全然元気なかったもん、あれ」
「講義中なんてあからさまに意識どっかに飛ばしてたしな」
 花音の近くに座っていた男友達は思い返して口にする。
「…仕方ないよ。大切な存在がいなくなったんだもん。ね、久保山はさ、会ったことあったんだっけ?」
「何回かな。あいつら、すっげー仲良かったな。しょっちゅう絵のモデルにしてたし」
「妬いた?」
「妬かねぇよ。次元、っての?違うじゃん、そーゆうの」
「だね。花音、すっごい大事にしてたからなぁ」
 口々に口にして、ぴたりと黙り込む。空気が沈んだのが目に見えるようだった。
「俺らがさ、暗い顔してたって駄目だべ」
 その空気を払拭するが如く、明るく発せられた。
「花音が来ないのはしゃーない。こうなったら俺らは時間まで歌いまくろう」
 隣にいた男友達は久保山の背中を容赦なくばんばん叩いた。


[短編掲載中]