ブレザーの少女は嫌悪感をあからさまに、掴まれた手首を剥がそうと躍起になっていた。少しも緩められない力に歪められた顔を、愉快顔で見下ろす男達。一人の少女を五人がかりで取り囲んでいた。
 その背後に人が立ったことに気づいたのは、大袈裟に吐き出された溜息があったからだった。
「どこにでもいるんだな。下衆な輩っていうのは」
 愛らしい声色だが、発せられた語調は不快感たっぷりだ。一斉に男達の視線が声のした方を向き、口々に難癖を付けようとした動きが、止まった。
 凄みを利かせていた顔が微妙に軟化する。中には少女の綺羅な見目に、すっかり魅了されている者もいた。
 いち早く恍惚から戻ったブレザーの少女の腕を掴んでいた男が、顔つきを持ち直しにじり寄る。
「んだよ、お前」
「嫌がってる。放してやってよ」
 見下ろされても囲まれても少女は怯まない。顎を引いたままで睨みつけるのが上目遣いとなって、余計男達の興を誘った。
「判った。放してやってもいい。ただし、お前が相手してくれんならな」
 卑しい顔を更に卑しく笑み崩し、対峙する少女は内心辟易していた。表面には柔和な笑みを浮かべていたけれど。
「判った。あたしが相手になる。だから放してあげて」
 にっこり笑顔に、後ろに立っていた男から「おお」という感嘆の声が洩れた。
 馬鹿か。心の中で毒づいた。依然表面だけは友好的に取り繕っていたのだが。
 男の手から解放されたブレザーの少女は半泣き状態で、けれど助けに入った少女と入れ違う時、心底案じた表情を見せた。
 大丈夫、と目配せする。後髪引かれるように道路へと向かったブレザーの少女が、無事逸に声を掛けられてるのを見届けてから、男達の方へと向き直った。何やら下世話な想像を各自勝手にしているようで、浮かんだ形相に吐き気がしそうだった。
 顔を作るのも面倒になったので、臨戦モードに切り替えた。と同時に、ぐいと腕を捕まれ、奥へと引っ張られた。容赦ない力加減だ。
 さっきの少女も同じようにされたのかと思うと無性に腹が立って、第一撃は手加減なしでいくことにした。引っ張られた勢いのまま、男の顔に飛び蹴りを繰り出す。しかも膝で、顔面直撃。
 がっ、と短く呻いて地面に落ちる。少女は軽やかに着地し、低態勢のまま近くにいた男の足を蹴った。脛にまともに入り、男はうずくまる。連続して、うずくまった男の隣に突っ立っていた男へ、下から顎を殴り上げた。
 あと二人!
 呆気に取られていた残りの男達も、応戦に切り替える。が一寸早く動いていた少女が目前に迫り、その拳を避けられず、それぞれ両側の壁に激突した。鈍い音がして、情けなくズルズルと崩れていく。
 開始から数秒後には、地面に延びた男達が転がっていた。少女は絶対零度の視線で一蹴し、身を翻した。
 ぱんぱん、と手を払いながら明処に姿を現した少女に、逸は軽く呆れた顔を見せる。
「警察呼んでおいたぞ。怪我は?…って、被害はあっちの方か」
 少女はふん、と鼻を鳴らし、現場に一瞥くれた。
「弱い輩に限って群れたがる」
 本気で怒った時の少女は、他の者を圧倒する雰囲気を纏う。憤怒の陽炎が見えそうだ、と逸は思う。自分にまで火の粉が飛んでくるのは厄介なので、余計なことは口にも表情にも出さないようにするのが得策だ。
 威圧感にも似た様相は少女に駆け寄る足音に拡散した。
「あのっ…。ありがとう、ございましたっ。大丈夫ですかっ?」
 救い出されたブレザーの少女だった。暗がりでも思ったのだが、明るい所だと更にその美貌は際立つ。不道徳な連中に絡まれても仕方ない容姿だ。
 一見するならどちらの少女も、男に対して対抗する術を持たない蒲柳の質に見えるのだけれど。
「あたしは平気です。それより手首痛くないですか?あいつら、全く加減なしだったでしょう」
 思い出すのも腹立たしいらしく、柳眉をひそめる。
 ブレザーの少女は大袈裟に顔の前で手を振って「大丈夫です」と繰り返した。少し赤くなっている手首が見えて、またぞろ眉間に皺を寄せる。
 もう一発ずつお見舞いしてこようか、と少女が睨み付けた時、サイレンの音が聞こえてきて、バタバタと足音が近づいてきた。
「面倒臭くなる前に退散しませんか?」
 少女は悪戯っぽく笑うとブレザーの少女の手を取り走り出す。急に引っ張られ、初めは戸惑っていたものの、そのうち一緒になって足並みを揃えた。その後に逸が続く。
「どこかへ向かう途中だったんですか?」
 手を引く少女は走りながら振り返り、後方へと話し掛ける。背後に出来た人だかりの中から連行されていく、情けない男達の姿が見えた。
「え、うん。人と待ち合わせしていて」
「じゃーそこまで送っていきます。また変なのに捕まったら遅れちゃいますから」
 でも、とブレザーの少女は遠慮する。「いいから、いいから」と半ば押し切り、駅まで送ることにした。
 待ち合わせ場所だというオブジェに着き、またひとしきりお礼を言われる。待ち合わせの相手が彼女の名を呼び、ブレザーの少女がそちらを向いている隙に、少女と逸はそっとその場を離れた。

 家へと向かう道すがら、逸と少女は並んで歩く。
 間延びした陰を自身の足が踏み進むのをなんとはなしに眺めていた。
「鞄持つか?」
 無言の中に、前触れなく逸は呟いた。
 少女はきょとんと逸を眺める。すでに逸の両手は購入物でふさがっていた。重量も相当なものと推測できる。
 訝しみを滲ませぬよう気を遣い、少女は惚けた風に「いいよ、平気。なんなら荷物持つけど、」言いながら手を出し、見つめていた逸の瞳に意図を見つけた。だとすれば、合点がいく。買物の最中も、今も、荷物持ちを一手に担おうとした訳を。
 途端、不満と感謝を入り混ぜたものを浮かべる。
「――問題無いよ。いたって良好」
「そうか。ならいい」
「うん。それより、逸兄。なにか聞きたそうな顔してる」
「お前は鋭いんだか鈍いんだか判んねぇ奴だな」逸は軽く笑う。「あの子、知り合いか?」
「うん…。や、向こうは知らないけどね。あたし、こっち来て間もないし」
 あの日――数ヶ月振りに訪れた懐かしいあの場所で、不思議な感覚と共に押し寄せた膨大な映像。記憶として逸に刻まれても、細部までは不明瞭だった。
 少女と話をしていると、そういう綻びが度々発生する。
 考えを先回りして逸は促す。
「向こうで?」
「一度だけ見せてもらったことがあるんだ。携帯電話の待受画面に写ってた。朝香さんって名前」
 画面の中の二人の笑顔。あの時は携帯電話自体が珍しく、印象強く記憶に残っている。
「あの子が着てた制服、今度行く学校のだったな」
「…だね」
 他に思いを馳せているようで、少女は生返事を返した。その原因を逸は知っている。
「近づいているな…彼に」
 逸の呟きに無言で頷いた少女の顔には、多種様々な色が浮かんでいた。


[短編掲載中]