成澤の行動を呆れながら見上げていた井塚の横に並んで、同じように視線を送る。その中にはほんの少し、井塚とは違う種類のものも含まれていた。
「ナル、」
 若干低く呼び掛けられずとも、言わんとする意図は充分伝わっているらしい。
 成澤は「へいへい」と溜息まじりに返事をして、ぽんと飛び降りた。視線の棘に気づいていないのは原因を作り出している張本人、ミウカだけで。
 無言の遣り取りに気を取られることなく、ミウカは縁ギリギリに手を掛けて前屈みになった。
「莉哉」
 ミウカの笑顔を受けて、莉哉もふと表情を緩める。
「機嫌でも悪い?」
 笑ってはいても、いたって真面目に問い掛ける。それくらいに莉哉の成澤に送る視線が厳しかった。
「全然。ところで、こんな所でなにしてんだ」
「うん、ちょっと。落ち着ける場所捜してたらここが開いてて」
 それはね、と得意満面の笑みで成澤が入ってきた。
「俺等ここに集合することになってたからだよ」
 すかさず「それじゃ判りづらいだろ」と井塚が突っ込む。
「ここって、普段鍵かかってますよね?」
 立ち入り禁止だと聞いてはいたのだが、その領域近辺であれば人気は無いのかなと踏んで来てみたのだった。
 饒舌の割に説明不足な成澤に代わって、井塚が後を引き継いだ。
「天文部がね、時々屋上で観測したりするんだ。で、誰が作ったか合鍵が存在してて、部活の遺産になってる。歴代の部長に継がれてるんだよね。つまり現部長の莉哉が鍵を管理してて、こっそり使用してるってわけ」
「要するに、やっちゃいけないことをやってるわけですね?」
「そーゆうこと!」
 成澤は悪びれた様子もなく言い切る。歴代引き継がれてきているというのならば、こんなことは通例なのだろう。
 笑い合う中、一人だけ思案顔をしていた莉哉はミウカを見上げた。神妙な声音が笑声に混ざる。
「なんかあったのか?」
 心配顔を向けられると気後れしてしまう。ミウカは慌てて手を振って「大袈裟なことじゃないよ」と笑ってみせた。
「なんかね、頻繁に声掛けられて。廊下もおちおち歩いてらんなくて…」
 数歩行く毎に誰かかれかに声を掛けられる。かといって、教室内にいても状況が変わるわけでもなかった。具体的に用事があって、とかではなく、たいていの場合他愛ない何気ない挨拶程度のもの。
 友達を作ろう、なんて理由が当てはまるような一年生ならばいざ知らず、思惑の読めない上級生も含まれているから不思議だった。そこに部活の勧誘が含まれているなら納得もいくのだが、そういうわけでもなくて。
「男?」
 莉哉の肩に腕を乗っけて、ずいと身体を前に出した成澤は、遠慮なく喰い付いてきた。そしてまた莉哉に一瞥くれられている。
「両方。なんだと思う?」
 ミウカは莉哉に向かって問い掛けたのだが、莉哉が考えている間に答えは成澤から返ってきた。
「そりゃー目当ては貴奈津さんでしょ。みんな興味あんだよ。んで、女からのはたぶん…」
 言葉尻をぼかしながら成澤は莉哉の首に腕をまわし押さえ込む。
「コイツだね!君を通してパイプを繋ごうって魂胆じゃない?」
「へ!?」と素っ頓狂な声を出したのはミウカと莉哉で、井塚までもが成澤と一緒になって頷いている。
「ないですよ、それ」
 ミウカは全く取り合わない。それが本当だとしても(なんだそのまわりくどい方法は)などと思ってしまう。
 ミウカのいた世界では――とりわけミウカの周囲では、そんな動きはなかった。少なくともミウカの知る範囲では、ということなのだが。
「女の子は特に、周りから攻める傾向があるからね」
「そうそう」
 井塚に賛同するのは成澤だけで、莉哉は首をひねっている。人の見方はそれぞれってことらしい。
「面倒くさいことすんだな」
 莉哉の表情は(俺には理解できない)と示していた。
「もてるくせに、女心が判らん奴だな」
 ぽんと肩を叩かれ、即刻振り払う。ほっとけ、と忘れずに付け足して。
「――あたし、行くね」
 元々は三人で集まる為に開けておいた場所だと言っていた。ミウカは侵入者となる。立ち上がりかけた少女を莉哉が制した。
「待って。丁度いいや、あとで行こうと思ってたから。…その前に、とりあえず降りてこないか?首痛い」
 首の後ろをとんとんと叩いて笑う。ミウカも笑い返して合意した。
 成澤と井塚を回れ右――梯子を下る時の配慮――させようとして、男三人が身体を動かす前に、少女が舞った。
 呆然と動向を見守り、可憐な動きに目を奪われていた。莉哉だけが、かつての赤銅を思い浮かべる。
「おー、すげぇ。身軽だねぇ」
 ひゅうと口笛を鳴らし感心している井塚の声で覚醒した莉哉は、思わず声が大きくなってしまった。
「飛び降りんなっ。危ないだろ!」
 言ってしまってから気づく。成澤、井塚両名の顔は揶揄色に歪んでいた。声を殺して笑い、堪えている。
「おとーさんかよ」ぼそり突っ込まれた。
 込み上げる羞恥心を飲み下す。
「あ、そっか。つい…」
 などと照れ笑いする少女。はにかんだ顔だけで即刻許す方向に莉哉の気持ちは動いていた。
「それで、なに?」
「…っと、だな。部活、決めた?」
 なんとか意識の舵を執り直しつつだったので、しどろもどろに返している。少女と向き合う時、どうしても調子がナラダにいた頃になる傾向があるらしい。
 成澤達にすればその『はずれ調子』に慌てる莉哉が面白いらしいのだが。かっこうのネタになっていた。
「ううん。特には。帰宅部でもいいかなー、とか思ったりもしてる」
 放課後だって暇なわけじゃない。居候することに気を遣うなと、逸は最初に釘を刺しているのだが、ミウカ的に甘んじていられるわけはなく。家の中ですることはいくらでもあるし、ルイのお見舞いも含めれば決して暇とは言い難い。
「天文部に入らないか?そんなに忙しくないし、参加自由型」
「というか、ほぼ暇」と成澤。
「というか、活動してんのなんて年に数回じゃね?」と井塚が更にのたまう。
「…お前ら。うるせー」
 茶々入れする二人に軽く蹴りをお見舞いしている莉哉の背中を見て、ミウカは吹き出した。
「二人も部活、同じなんですか?」
「一応在籍してるよ。メインは他に入ってるけどね」
「兼部?」
「そう。合宿だけには参加してんの。莉哉は俺等の逆パターンだな。天文部がメイン。他、多々運動系の部に顔を出してるな」
「俺は兼部じゃねーよ。ただの助っ人だ」
「似たようなもんだろ。こいつね、運動神経だけは抜群だから、あちこちからオファーくんの」
「ああ。それは、判ります」
 合点顔のミウカが少し大人びて見えて、男三人はまじまじと少女を見つめた。
「二人は前からの知り合いなんだよね?どうやって知り合ったの?」
 莉哉に聞いてもちゃんと答えてくんなくてさ、と井塚は不満げに口を尖らせる。
「どうだっていいだろ。お前らには関係ない」
 切り捨てるように言う莉哉を押し退け、井塚は一歩ミウカに近づいた。
 口裏合わせはしていない。どんな事柄を作れば尤もらしくなるのか思案する。
「仲良いよね?ほら、呼び捨てだしさ」
「えーっと…。あ、やっぱ先輩とか付けた方がいい?」
 ずずいっと迫ってくる井塚の視線から強制逃避し、莉哉の顔を見る。困却の表情で小首を傾げられ、その天然の仕草をまともに見てしまった男共は、努力空しく一気に顔面で熱が弾けた。
「この愛くるしさにやられたか、莉哉」と、成澤。井塚も興を見つけた表情で頷いている。
「それもいいかも、とか思ってるだろ。おやじだな」
 ニヤリと両肩にそれぞれの腕を乗せられ、莉哉は慌てて図星な思惟を振り払う。
「別に構わないよ。そのまんまでいい」
 両脇に立つ成澤と井塚のニヤケ顔が莉哉の両頬に突き刺さる。
「時に、」
 がらりと変えた温度の低い声色。それぞれ斜に目を向けられてようやと、ちょっと度を越してしまったかと両名は気づく。が、後の祭で。
「課題ってもんは、一人でやるもんだよなぁ?な、ナル?そして、井塚?」
「り、莉哉?」
「所詮俺は、運動神経だけだしな」
 だけ、を強調して冷ややかな視線を送る。
「わわわ悪かったって。んな本気で怒るなよ」
 莉哉は成績も優秀だ。二人共ほとんどの宿題を丸写ししている。
 慌てふためく二人と、絶対零度の表情を作る莉哉を眺めて、ミウカは微笑んだ。
 同じ学校の制服を着ているのが何とも不思議で、心地いいむず痒さをミウカは感じる。
「相変わらず、揚げ足取りしてるんだな」
 少女はくすくす笑う。言葉遣いがナラダにいた頃に戻っていたことに、気づかずに。


[短編掲載中]