ナラダで彼ほどの容姿を持っていれば、皇子という立場を抜きにしてもモテるものだ。それはたぶん、こちらの世界に存在していたとしても、同じだっただろう。
 彼と同じ容姿を持つ人物に、人を惹きつける魅力がないわけがない。赴任してその日の内に、逸のファンクラブが出来たとか出来ないとか。
 お年頃女子校生のリサーチ力たるや旭日昇天の勢いで。
 あっという間に逸のプライバシーは公となった。脚色された噂がついてまわるのも仕方のない流れだといえた。

「なんだって!?」
 ガタン、と椅子が倒れるのも構わずに、莉哉は立ち上がっていた。休憩時間のざわつく教室内で、彼らの周りが数秒静まった。注目が集まる。
「やっ…、顔怖いって!」
 胸倉を掴まれたじろぐ成澤を救い出そうと、井塚は凄む莉哉の身体を背後から羽交い絞めにした。
 最近特に自身の感情を実直に表わすようになった莉哉だが、それはとりわけ『ある人物』に関することに限定される。
 面白いネタ仕入れた、といつものように興じるのはいいのだが、(実際のところ井塚もその手の話にすぐに乗っかるのだが)内容は分別してもらわないと困る、と井塚は思う。
 どうどう、と莉哉を宥め、とりあえず椅子に座らせた。何でもないよ、と周りの注目を拡散させる配慮も忘れずに。
 常であれば成澤の『ネタ』に便乗してこない莉哉も、キーワード一つに顕著に反応する。しかも内容が内容なだけに、その反応も素早かった。
 莉哉の手から解放され、ネクタイを正しながら咳払いすると成澤も座り直す。莉哉の反応を楽しんでいる節が彼にはある。ポーカーフェイスを崩す絶好の機会なのだ。
 一年生の頃から知ってるだけに、ここ最近の莉哉の変化が面白いらしい。
「で?んなこと誰が言ってたんだよ?」
 少しだけトーンを落とす。不機嫌さは依然含まれたまま。
「だからぁ、顔怖いって。折角の色男が台無しだろぉ」
 成澤は臆することなく茶化す。凛冽な莉哉の視線さえ楽しんでしまっている。不機嫌な顔つきも意に介さず、意味深な笑みを続けていた。
 そんな二人の顔を交互に見ながら、井塚は(またか…)と呆れた。見ているだけでも面白いので、確率的には傍観していることが多いのだが。
「ノブは知ってたか?」
 いきなり矛先を向けられて一瞬詰まるも、井塚はかぶりを振った。莉哉の目が「こいつじゃいつ本題に入れるか判んねぇ」と訴えている。伊達に二年以上の付き合いではない。成澤に振り回されても引き際を心得てる。
「噂なんだろ?」
 とっかかっていきそうな莉哉を押し留めて、井塚は成澤に問い掛ける。
 こういう時に進行役を買って出るのは井塚である。まだからかえるのに、と若干不満そうな成澤だったが、首肯した。
「そ。あくまで噂。でも火のないところに煙は立たないってゆーしな」
 成澤は肩を竦め、莉哉は不興顔で黙っている。
「…ってことは、根拠ありってことか?」
「街を並んで歩いてたって目撃情報多数。病院に入っていく姿を見た奴もいて、妊娠してんじゃないのか、とかな」
 成澤はからかい口調で噂の根拠とやらを羅列していく。
「尾ひれつきすぎじゃね?」
 隙間を見つけて割り込んだ井塚は成澤に「もういいよ」と歯止めをかける。聞けば聞くほど呆れてモノが言えない状態に陥るだけだ。
「だな。まぁ、大半の奴らは面白がって好き勝手言ってるだけだろーよ」
「にしたって、愛人って…。昼ドラにでもはまってんのか?大体、香椎は独身だろ?」
「愛人はねーよな、流石に。けど、彼氏彼女の可能性はあるわけだ」
 つらっと言ってのけた成澤を慌てて小突くも、コンマ一秒が間に合わなかった。すぐさま見た莉哉はそっぽを向いて窓の外を睨みつけていた。その怜悧な横顔は完璧怒っている。
「もうちょっと言葉選べって」
 小さい声で井塚に咎められ、この時ばかりは成澤も苦虫を潰したような顔をする。けれどすぐに言い訳がましく「実際流れてる噂をそのまんま言っただけだろぉ」と不満気だ。
「と、とにかくだ。…そんなに気になるなら本人に確かめるのが一番だ。な、莉哉」
 成澤にこれ以上口を開かせても莉哉の機嫌が悪くなるだけなので、ここで打ち切りと言わんばかりに井塚は二人の間に割って入った。
 噂というものは、往々にしてあらぬ方向に膨らむものだ。餌食にされている二人が不憫なほどに。
 二人が二人とも注目を浴びる要素を持っているから尚更で。これはもう運が悪いとしか言いようがない。
 校内を駆け巡っている噂の所為で、ここ数日の莉哉の機嫌はよろしくない。
 今朝になって「愛人」なんて単語が飛び交っているものだから拍車をかける一方で、それでなくとも寝起きの良くない彼は、普段から朝のテンションは殊更低い。
 触らぬ何とやら、状態にも関わらず、成澤がそのポイントに見事触れたという次第だ。
 ――貴奈津ミウカは香椎逸の愛人(というか恋人?)らしい。
 常汪高校開校以来の美女と囁かれてはばからない少女と、これまたおよそ日本人離れした容姿の香椎逸の組み合わせだ。しかも教師(といっても保健教員だが)という要素も、騒ぎたくなる誘因の一つになっていた。




 放課後を待って、ミウカを訪ねようとしていた莉哉は、終礼のチャイムと共にサッカー部員に捕まっていた。
 すっかり失念していたのだが、近々ある練習試合の助っ人を頼まれていて、今日より練習に参加することになっていたのだ。
 両脇を抱えられ強制連行中、
「急用があるんだっ。明日からで――」慌てて口を開くも、
「駄目だ。通用しない。そもそもギリギリまで延ばしてやったんだ。これ以上は無理」と一刀両断。
 まったくもってごもっともなのだが、往生際悪く粘ってみたりする。
 このまま連れ去られてしまったら明日までミウカを捕まえることが出来なくなる。何の為に放課後まで我慢したと思ってんだ、と勝手に怒っても仕方がない。
 ゆっくり時間をとって話をしたかったのが仇になった。ナラダにいた頃はそれなりに対面してられる時間も多くあったのだが、こちらの世界で学生なんてものをしていると、更に学年が違えば予定を作らなければ顔を合わさない日が容易に発生したりする。
 今思えば、あの頃は何て贅沢だったのだろう、などと思ってしまう。
「じゃ、じゃあ!せめて遅れていくのでは――」
「却下!」
 けんもほろろだ。
 約束をしたのは自分なのだし暴れるわけにもいかず、されるがままに屋外へと連れていかれた。

「あー…、そういや、今日からだったな」
 あまりの軽口に、思わず莉哉の柳眉がピクリと動いた。
「ナル…。まさかとは思うが、わざとじゃないよな」
「まっさかぁ。俺もすっかり忘れていたよ」
 当人に直接問えばいいという井塚の提案に賛同し、放課後にすると宣言した時、確かに成澤もそこにいた。うんうん大袈裟なくらい頷いて同意していた。
 二年間同じクラスとはいえ、稀薄な付き合いはしてこなかった。だから、今の返事が嘘かどうかは見分けがつく。成澤も本気で忘れていたのだ。
 だが、
「いってぇ!なにすんだよ」
 成澤の表情が癪に障って、気づいたら頭をはたいていた。ちなみに莉哉が突っ込みを入れる時はたいてい手がつく。日常茶飯事と言ってしまえば、それまでなのだが。
「にやけんな。キャプテンならちゃんと覚えとけ。つか、お前のその笑顔がむかつく」
 軽く八つ当たりに近いことはこの際無視する。
「莉哉だって忘れてたんだろーが。あ、さては、」
 またからかうネタを発見しました、という目をしている。何も考えてないように見せていても、意外に成澤は鋭い。
 斜に睨みつけてから「練習すっぞ。キャプテン!」と身を翻した。

 練習開始から一時間。引き受けた以上妥協は絶対にしたくない性分で、余計なことを考えないためにも練習に打ち込んだ。対抗ミニゲームを終え、休憩するか、という時だった。ふと送った視線の先に保健室があった。机に座り何やら書き物をしている姿が目に入る。
 遠目とはいえ、改めて見てもやはりよく似ている。双子じゃないのかと疑うほどに。まるで生き写しだ。
 一度は無くなっていた筈の、言い表しようのない感情がふつふつと湧いてきてしまう。
 どうにもあの顔立ちには反発してしまうらしい。噂とはいえ、ミウカの相手になっているのがよりにもよってコウキと同じ容姿とは。何かの悪戯としか言いようが無い。
 つくづく有り難くも無い縁だ。
 と、視界の端にとある姿が入った。
 保健室の隣には図書室があり、校庭からも室内がよく見える。ドアを開けて入室した影に、視線の矛先を変えた。
 出入口のすぐ脇に備え付けられたカウンター内にいる司書係の生徒と、一言二言交わし笑っている。懐かしいような、心をくすぐる笑顔だ。
 莉哉の足は本人の意識が働く前に、動き出していた。

 その数分後。
「成澤先輩!素路先輩知りませんか?」
 校庭の端、日陰に逃げ込み休息していた成澤に、数名の二年生が駆け寄ってきた。
「あん?」
 タオルで顔を拭く動作を止め、一巡り見渡す。捜している影を見つける代わりに、夕暮れ色に染まった図書室の閲覧コーナーに座る少女を発見した。そのまま納得顔。口元に苦笑が浮かんだ成澤を見て、後輩は首を傾げる。
「なにか用だったのか?」
「教えてほしかったことがあって…」
「サッカーのことか?」
「はい!」
 と元気よく返事をして、はっと気づく。周りも肘で突いて諌めているがもう遅い。成澤はわざとらしく怒顔を作って仁王立ちする。
「だったら俺に聞けってんだっ!お前ら罰として校庭五十周の刑に処す」
 うええ、と不満な声を出す後輩の背中を足蹴にした。
「それが終わったらすぐに基礎トレやっぞ。さっさと完了させろよーっ」
 意地悪な笑顔で追い討ちをかける。またぞろ首を絞めた時のような不満声を出す後輩達に手を振った。


[短編掲載中]