少女が学校に着いたのは、昼休みが終わる直前だった。教室へは鞄を置きに立ち寄っただけで、すぐさま保健室へ向かった。
 目覚めた時、リビングのテーブルの上に書き置きが残されていた。
『学校は休め。連絡はしておく。逸』
 ご丁寧に、目覚し時計が止められていたおかげで、遅い起床になってしまった。時刻を見て慌てて起きたところに、端的なメモが残されていたという次第だ。がっくりと脱力したのはいうまでもない。
 改めて見上げたリビングの時計に(行っても仕方ないか)と思うも、内側に蠢く心地の悪い感触に気づいてしまっては登校することしか頭になくなってしまった。

 登校するなり勇ましい歩みで廊下を進み、目的の扉を勢いよく開ける。
 昼休みの保健室はたいてい女子生徒で溢れかえっていると聞いていたので、予想に反して閑散としていた室内に、勢いを削がれてしまった。
「あ…れ、莉哉だ。どうしたんだ」
 逸は莉哉の手首に湿布をあてているところだった。手を止め、呆れ顔をあからさまにしている。
「来たのか」
 軽く怒っている。ミウカもそれは覚悟の上だ。
 昨日の夕方に気を失ってから、少女は時折うなされながら眠り続け、朝を迎えた。陽が昇る頃には落ち着いたものの、登校の必要はないと逸は判断したのだ。
「ちょっと待ってろ。お前の相手は後だ」
 手当てを再開していた逸は静かに言い放つ。少女は怯まなかった。逸の感情も理解出来るがこっちにも言い分はある。それを伝える為にここに来たのだから。
 けれど今は、そんなことよりも莉哉の状態に気を取られた。
「怪我、したのか?」
「昨日部活の時にな。湿布忘れてきたからもらいにきたんだ。コケた時に手を強くついちゃっただけだからすぐ治るよ」
 あっけらかんと言う莉哉に対して、ミウカの思考は別のところへ彷徨い出ていた。莉哉が部活をしていた時、自分はスーパーで意識を失った。
 ――気が途切れた時、だ。
 連想するなと、逸は怒るだろう。根拠も証拠もないのだと。その悪い癖を直せと。コウキが無言でそうしたのと、同じように。
「痛むか?」
 莉哉に寄り添い、しゃがみ込んだ。腫れてはいない。彼の言う通り、たいしたことはないと見て取れても、少女の憂え顔は消えなかった。
「平気だって。そんなに心配されると、情けなくなるだろ?ドジくせーもんな」
 照れ臭そうに笑う莉哉に向けるには、あまりにも真面目すぎる表情。勘ぐって下さい、と言ってるようなものだ。
 強制終了させる為に逸は割り込んだ。
「ほれ、完了だ。二日間は部活休めよ?」
「了解です。ありがとうございました。ミウカ、またな」
 戸口に向かう莉哉の足取りを目線で追う。教室まで送ろうかと後を追い掛けかけた時、
「お前はちょっと残れ」と逸に止められた。
「…うん」
 戸口まで行くと莉哉は振り返り、再度礼を述べ、ミウカに手を上げてから去っていった。
 扉が閉まると重量感のある空気が落ちた。

 机のすぐ傍にあるベッドに座るように促され、ミウカは素直に従った。数秒置いてから逸は息を吐く。頬杖をついて送られる逸の視線には、咎める色が見えた。
「なにを言うつもりだったんだ」
 完全に見透かされている。ミウカはついと視線を斜め下に落とした。
「謝りたいのか」
 平坦な声色に怒気はない。諭すような響きだ。ミウカが閉口していると逸は遠慮なく続けた。
「隠し通したいなら、余計な事は言うな。素路は…鋭い奴なんだろ?不審に思う」
「けどっ…」
「そもそも、なんの関連性もないことだろーが。勝手にドジ踏んだだけだ。お前が気に病んでどうする。そーゆうのを余計なお世話っつーんだよ」
 本当に悪い癖だ。追い討ちを掛けたいわけではないが逸は続けた。黙って見守るだけなど、性に合わないのだ。そこは銀髪兄弟とは異なる点だった。
「いいな?気にすんな。辛気臭ぇ顔してんじゃねえよ」
 言うだけ言ってさっさと話題を打ち切ると、手で払う仕草をする。教室に戻れと示唆している。
 続けたところで平行線なのは明白。正論に返す言葉はない。ミウカは立ち上がった。
「放課後待ってろよ。先に帰んな」
 相変わらずのぶっきらぼうな言い方だが、心配は伝わってくる。
「ん。判った」

 よくないことだと、自覚がないわけじゃない。だがどうしても、引責せずにはいられない。あまりにもタイミングが合いすぎる。関係ないと、全くないと、言い切れない。
 もっと巧く隠せていた筈なんだけどな。
 取り出した《聖珠》には、新たにヒビが走っていた。とにかく、二度はない。同じことは繰り返さない。絶対に。
 その為にはこれまで以上に強固に意識を紡ぎ続けなければいけない。だが、ここの環境下では、清純な力を集結させるのが困難だった。ナラダに比べ、自然のあらゆる力自体が弱いのだ。
 それが、どうした…!?
 きゅっと唇を引き結んだ。まっとうせずして、こちらに来た意味がない。
 例えこの生命を削るのも厭わない。必ず、今度こそ護る。


[短編掲載中]