合宿当日。晴れ渡った蒼穹にはおよそ似つかわしくない顔をした逸に引率され(実際細かく立ち動いていたのは部長である莉哉で、逸はそこにいただけなのだが)昼過ぎには宿泊施設に到着した。
 少しの休憩時間の後、女子部員は夕食の準備、男子部員は外で観測の準備を始めた。
「諒先輩?少しは手伝ったらどうなんすか」
 ずっと傍観している諒に向かって、莉哉は大袈裟に溜息を吐いた。面倒なことはしないぞオーラを放っている。ように見える。
「手伝わなくとも、滞りなくことは進んでいるように見えるが?」
 ほぼおっしゃる通りなのだが、人としてどうなのだろう。四苦八苦して機材組立てをしている部員を前に、眺めているだけなのだ。おかげで扱い方を覚えるという話にもなるけれど。
 果たして諒がそこまで考えて、敢えてそうしているのかは定かではない。
「もう終わるな。んじゃー俺は晩飯が出来るまで中にいるわ」
 言うが早いか、ひらひらと手を振ってさっさと建物へ向かって歩き出す。
 諒の背中にまた一つ溜息を吐き、周囲を見渡した。ほとんど完了しており、手伝いは不要な状態だ。諒の名誉の為に、傍観を決め込んだ理由を後者にしておこう。




 鼻唄混じりに廊下を進み、諒は自分に割り当てられた部屋へと向かった。
 廊下に充満する夕食の匂いに、胃袋が反応して鳴く。誰に聞かれたわけでもないのだが、気恥ずかしさを誤魔化すようについと目線を泳がせた。その視線の先に、ガラス張りになっている調理室があった。こちらも終盤に近づいているらしい様子が窺える。
 その中の一点で、巡らせていた視線の矛先が停止した。
 出入り口の扉は開けっ放しになっているので室内の喧騒は廊下まで流れ出ているのだが、賑やか過ぎて個々の会話は聞き取れない。しかも諒が見つけた『そこ』いる塊は、廊下から離れた場所だ。だが、その内の“一人”を取り囲む周りの表情で、よろしくないことが起きているのだと判断した。
 OBの立場で口出しするのもいかがなものかと考え、さて置こうかとも考えたのだが、不意に見えた姿に踏み止まった。
 取り囲まれても俯きもせず、真っ直ぐに前を見据えている少女。その少女の強い眼差しに――諒からは取り囲んでいる連中の背中が向いているので見えないが――数で優っていても黙然と直視され、たじろいでいるのが判る。
 囲まれているのは、素路莉哉が自然と目で追ってしまう人物。気づけば少女を捜していることを、本人は自覚がないらしい。諒が指摘し揶揄すると、あのポーカーフェイスで通っていた莉哉が珍しく赤面した。諒にしてみれば面白いネタ発見、といったところだ。
 諒は咳払いし、声の調子を上げるイメージを描いて、戸口に立った。
「夕食の献立ってなに」
 陽気な声と共に入室してきた人物に、皆の目が奪われる。今年の卒業生で前部長――麻居諒が立っていた。
 現部長の素路莉哉とは仲が良く、二人が並ぶと絵になる。そして近寄りがたいと思わせるほどの雰囲気を纏う。それほどに整いすぎた二人だった。
 視線が扉の方へと集中して、少女を取り囲んでいた輪も早々に分散した。
 一瞬だけ諒と少女の瞳がかち合ったが、それもすぐに逸らされた。何もなかった顔をしている。
 莉哉が惹かれるのも判るな。
 外見だけではない、芯にあるものを莉哉は感じているのだろう。
 初めは莉哉が気にかけている子だから気になった。だがこの瞬間からは、別の意味も加わってしまった。莉哉に話すべきか迷い、それは無しだと決めた。

 夕食が済めば観測の時間帯となる。一斉に「いただきます」をして開始した食事も、一時間と経たない内に終了の兆しをみせていた。完食していった部員が次々と席を立っていく。
「諒先輩?どうかしたんすか?」
「あん?」
 空になった皿にスプーンが置かれるのを待ってから、莉哉は気になっていた疑問を口にした。食事中、時折諒の視線が泳いでいた。隣に座っていて気づかないわけはなく、だが諒からは空とぼけた表情を返される。
「気難しい顔してますよ。不味かったとか?」
「カレーに不味いも何もないと思うけどな。変顔してたか?」
「めっちゃ考え込んでる顔してましたけど」
「渋かった?」
 莉哉の心配を余所に、諒は表情を作ってみせている。渋い、の表現なのだろうか、と内心呆れつつ息を吐いた。
「渋くなりたいんですか」
「お。呆れてるな?」
「当然です。食べ終わったなら、片しますね」
 ついでだからと、諒の皿も一緒にさげる。背中越しに「サンキュー」と聞こえた。
 はぐらかされた感たっぷりだったが、諒は口を割らない時は絶対に割らない。問答するだけ時間の無駄ということを、今までの経験で嫌というほど味わってきている。なので、こんな時は引くに限る。
 必要とあらば、諒はちゃんと話してくれる人間だ。それを待つことにした。




 観測時間という名の自由時間。一応全員が外に出てはいるが、真面目に望遠鏡を覗いている者は少ない。そして時の経過に合わせて人数が減っていくのは必至だった。
 誰も咎めたりしないし、それが通例だった。
 諒が入部した頃から変わっていない。顔ぶれは変わってしまったが、そんなまったりした流れに、懐かしさを覚えずにはいられない。
 食事の間中、諒はミウカの様子と周囲を窺っていた。とりあえず大きな動きは見当たらなかった。人目は一応気にしているということなのだろう。僻みやっかみの類なのだろうが、やっぱりどこにでもあるんだな、と妙な感心をしてしまう。
 気に留めている所為か、目が少女を追いかけていた。軽い挙動不審を莉哉に指摘され、受け流しておいたが、誤解を生まないように気をつけないといけない。
 と考えてる矢先に、少女の姿を見失っていた。
 全体を見渡せる位置で、幹にもたれ掛かっていたのだが、凝視しているわけにもいかず、ちょっと目を離した隙にいなくなっていた。加えて、調理室でミウカに絡んでいた連中もいない。
 まずった…!
 舌打ちし、すぐにさらぬ顔を作って諒は建物の中へと急いだ。

 外の喧騒が嘘のように、建物内は静まり返っている。観測の妨げになるからと、灯りは最低限しか点けていない。暗所に気後れはないのだが心地いいものでもない。耳を澄ませ、方向を定めずに歩き出した。
 あても無く彷徨い歩いて数分、ぼそぼそと話す声が耳に届いた。複数だ。姿の確認はできないが、そう離れてもいない。慎重な足取りで音を立てずに歩を進めた。使用されていない一室にいるようだった。
 ぎりぎりまで近づいて壁に背をつけ、聴覚だけを頼りに様子を窺った。声のトーンを落としているが、伝わる空気で険悪だと判る。タイミングを見計ろうとした矢先、ばん、と大きな音がした。
 勝手に身体が反応し、飛び出していた。
「誰かいるのか?」
 できるだけ、冷静な声色を作った。素知らぬ顔もつけて。
 他に言葉は不要だった。第三者の登場によって、いとも簡単に囲いは崩れた。想像通りの場面に苦笑が洩れる。慌ててバタバタと分散していくさまを辟易として見送った。
 一人取り残される形となっている少女に目を向ける。諒の存在をないもののように、向きもせず、微動だにせず、宙を眺めていた。疲弊した様子だけれど、怪我している感じではない。
 安堵したのも数瞬、唐突に華奢な身体がぐらりと傾いた。少女を支える腕は近くにない。少女にも、重力に抵抗しようと動く意思は見えなかった。
 諒には到底届く距離ではなく。
 虚を見つめ、無気力で無抵抗で、そのまま床に落ちていった。
「貴奈津さん!?」
 駆け寄り肩を揺り動かすも、目蓋は閉じられたままだった。


[短編掲載中]