学期末テストを控え、学校内の図書室も普段にはない賑わいをみせていた。とはいっても、実際には、喧しくしている者がいる「賑わい」ではなく、そこはやはり静かにする場所としての位置づけは護られている。人口密度が増している「賑わい」と表現するのが正しい。
 テスト前だの後だの無関係に図書室に通うことが多いミウカにとって、人が増えることに何となく落ち着きがなくなってしまうのだが、勉強を開始すれば持ち前の集中力が功を成す。莉哉の講師のおかげもあって、前回の中間では平均点がとれた。
 自分も受験生で勉強するついでだからと、莉哉の積極的な心遣いに甘え、このところ毎日揃って図書室にいた。どちらか早い方が席取りをしていて、今日はミウカが先だった。
 先に始めていたのだが、休憩を、と筆記具を置きっぱなしに廊下に出る。
 窓を開け放ち、風を全身で感じる。差し込む光の眩しさに目を細めた。毛先が頬にあたり、そっと払い除けた。

 廊下に佇み、空を仰ぐ少女。殆どの人間がその見目に視線を奪われ、至近距離で対峙すれば、心音が跳ね踊る。羨望や憧憬。妬みと嫉み。本人の意図しないところで向けられるそれらに、少女は気づいていない様子で。
 近づきたいと想う影は数多あれど、少女は一人になることが滅多になかった。主に傍にいる人物は、大抵の者では太刀打ち出来ない容姿を持っていた。どうしても引けを感じてしまう。
 今もその相手を待っているのだと想像がつく面持ちをしていた。
 その少女が今、図書室前の廊下に一人で立っていた。目蓋を降ろし、風に吹かれるままになっている。
 知り合いになるきっかけには絶好の好機とばかりに、どちらが声を掛けるかひそひそと話し合う影が二つ。少女から少し離れた位置に立ち、様子を窺いながら内談を開始していた。
 そんな男子生徒二人を冷ややかに見下ろす影が背後に立つ。――莉哉だ。
 少女が一人でいることに昂ぶっていた所為で、少女に視線を送る二人組は背後の気配に全く気づかないでいた。おかげでミウカには聞こえないであろう音量でも、真後ろに立つ莉哉には洩れず聞こえてくる。
「噂はデマだったらしーな」
「彼氏、いないんだってよ」
「まじかよ。確かな情報?」
「直に聞いた奴がいるみたい」
「俺らにもチャンスありってことか!?」
「お前じゃ無理だろっ」
「うるせーな。俺達じゃ、だろ。近くにあんな格好いいイトコがいるんだ。理想も高くなっちまうんじゃねーの?」
 軽快な言葉の遣り取りに、莉哉はむっと眉をひそめた。好き勝手言いやがって、と文句の一つも投げ付けたいところだが、ふと不審感がもたげた。
 ナラダにいた頃には有り得ない様相だ。少女は全身がアンテナのように敏感だった。
 合宿時の数々の訝しい点。
 少女から【赤銅】がなくなったという事実だけで、説明がつけられるものではない。培った体術や感覚まで失われるわけはないのだ。
 訊ねたところで誤魔化されるだけだよな。
 諦めを含む溜息を吐いたのと同時に、それまでの莉哉の思考を払拭するように、ミウカが何かに反応し、ゆっくりと莉哉の方を振り返った。
 視線上にいた男子生徒二人組は「こっち見たぞ」と慌てるも、視座が別にあると気づき、そろりと振り返った。
 斜め後ろにピリとした空気を背負った莉哉の姿を確認するや、そそくさとその場を去っていった。退散する背中にまで睨みをきかせ、それからミウカへと視線を戻す。
 きょとんとしたつぶらな瞳が莉哉の双眸と合った瞬間に、柔和に緩められる。当然莉哉の内心は嬉しさで満たされるも、表面には出さないよう冷静を装った。
「どうした?席とれなかったのか?」
 歩み寄り、ミウカの頭に手を添え移動を促す。ミウカは素直に従って歩き出した。

 『普通』の定義は環境や育ってきた生活の中身で異なってくる。まして、莉哉とミウカでは住む世界自体が異なっていた。それが違っているのが当然で。
 ナラダでの彼女は強く、凛として、一人でも生きていけるのだと示唆するように、背筋を伸ばし立っていた。
 だが今、こうして莉哉の隣を歩く彼女は、ナラダの騎士であった威厳も強固さも、身につけてきただろう力の総てが一掃された、こちらの世界の『普通』の少女になっている。
 戸惑わないわけではない。
 それだけ【赤銅】を背負っていた頃の少女は、鮮烈に記憶に刻まれている。だけど、嬉しくもある。
 召喚され、ミウカに見つけてもらってからの莉哉は、少しも役に立てず、それどころか足を引っ張るだけの存在で、助けられ支えられるばかりだった。
 悔しかった。情けなかった。何一つ、まともに動けたことはなかった。
 だが、ここなら。
ミウカを助けられる場面がある。自分はそれをまっとう出来る筈で。

 図書室の扉を開け、ミウカを先に通す。少し気恥ずかしそうに入室していくミウカに、疑問がついて出た。
「さっき空見てなんか考えてた?」
 特に怪訝になるでもなく、さらりと答えは返ってくる。
「思い出してた。向こうのこと」
 ナラダの空を想う。莉哉がナラダで想っていたのと同じように。
 席へと進んでいくミウカに誘導されながら、莉哉は背中に話し掛けた。
「タキと、喧嘩した?」
 肩がピクンと反応し、驚いた顔が振り返る。だがすぐに口元を綻ばせた。
 ここだと指し示した席には、二人分の場所取りがしてあった。ミウカ愛用のペンケースやノート、教科書等が二席分広げて置いてある。初日の失敗を元に、以降は隣同士で座るようになっていた。
 着席し、莉哉の目の前に置いてあった教科書を自分の方へと引き寄せた。その所作の流れの一環だというように、問いの答えが返ってきた。
「うん。でも、判ってくれてる」
 そう言って笑う少女は、懐かしそうに目を細めた。


[短編掲載中]