数日の経過を待っても、目新しい情報は入ってこなかった。
 ミウカは確かに生来の能力――【赤銅】を失った。二度と【保護壁】を紡ぐことは出来ない。なのに、それの源となる“意識を集結させる”能力が残されていた。
 否、再び与えられていた。
 それは、あの瞬間、護らなければと願った瞬間に、少女の中へと舞い降りた。《聖珠》を護るのに必要なだけの、保護の力。
 連日《聖珠》を護るべく、意識を紡ぎ続けていた。二日も経つ頃には適切な加減を取得し、その分、当初の頃より己の活力が温存可能になっていた。日常生活を遣り過ごすには何ら支障も出ない。
 この数日間、少女はじっとなどしていられなかった。些細なことでも関連性が見えれば、自ら出向き調査した。書蔵庫に籠もりっきりになることもしばしばで。
 国内外を走り回り、だが闇夜の礫だった。
 欠かさずターニアの部屋へと足を運ぶ。彼女が占卜の最中にいれば隅でじっと待つ。ミウカも祈りを捧げる。日々がその繰り返しだった。
 今日もまた、進展のないまま一日が終わろうとしている時刻に差し掛かっていた。熱心に《透察眼》を機能させているターニアを遠巻きに見、胸の内で溜息を吐いた。
 自分にも同じものがあれば、今の彼を窺い知ることが可能だったろうか、などと益体無いことが頭をもたげる。
 一箇所から動き出せずにいる状況に、焦燥が募るばかりだ。
 こうしている間にも、何らかの変化に襲われているのかもしれない。《聖珠》が均衡を保っているからといって、莉哉が安全だということにはならない。
 ただ確実なのは、対策もないまま時間だけが流れていけば、“その時”は必ず訪れる。

 ――リイヤが消えてしまう。消滅してしまう。存在自体が、なくなる。
 どこかで生きているという事実だけでよかった。それが二度と逢えないということだとしても。無事でいてくれるのなら。なのに…。

 掌に包まれる《聖珠》に視線を落としていたミウカは、ターニアの呼びかけに、弾かれるようにして目を向けた。
「判ったのかっ?」
「《魂》の在処がみえました。漠然としていますが…」
 駆け寄るミウカに見せるターニアの表情は暗い。時間を掛けても確然たる詳報を導けなかったことに対する、申し訳ない気持ちからなのだろうか。
 逸る気持ちを抑え、ミウカは落ち着いた声で先を促した。
「構わない。些細なことでもいいんだ」
「…《魂》は、リイヤ様の世界にあります。おそらくご本人の傍…あるいは関連するところに」
「こちらには…残されていない?」
「はい。…残されたのは《魄》のみです」
 当然、自身の身に起きていることなど、莉哉には知る由もない。対となる《魂》と《魄》を戻さなければ消滅してしまうとは、露ほどにも思ってもいないだろう。
 別々の世界に存在するモノを、合わせる方法があるというのだろうか。例えなくとも、是が非でも見つけなければいけない。
「奇矯なこと、考えてるだろ」
 唐突に割り込んできた声に、身体が硬直した。知らずの内に緊迫状態になっていた二人にとって、突然の声で。扉口に立っていたのはタキだった。
「ノックしたけど、聞こえなかったみたいだね」
 莉哉が還った日以来の顔合わせだった。
 タキは終日終結、事後処理に追われ、次期後継者として、政に忙殺されている。心なしか憔悴しているように見えて、体調が心配になった。だから初めは、その所為で不機嫌なのかと思った。けれど、近づいてくる碧眼を見つめている内に、そうではないのだと確信した。
 先程の問い掛けを思い返せば明白だ。あの質問の指すところ――タキが深憂し、ミウカがまさに決意せんとしていたこと。
「僕は反対だからな。ターニアを疑うわけではないが、幻にすぎない。棄て置くべきだ」
 冷淡な抑揚のない言葉。深く沈んだ海底の碧色は、冷たく少女を見据える。
「そんなことを言う為に時間を割いているのか」
「重要なことだ」
 どこまでも冷たい。その口吻に僅かに驚き、だがすぐに少女は気を取り戻した。真っ直ぐに見つめ返し、かぶりを振った。
「自分は見たんだ。これに触れた瞬間に」
 全身が震えた。怖ろしかった。幻などではない。危惧する心が見せた、幻影などではないのだ。
「僕だったら、仮にそんなものを見たとしても、黙殺する。ただの幻影だ。現実に起こるとは限らない。不確かなものを信じられるか。ほっておけ」
「何故そんな風に言える?自分は、その不確かな『波紋を投げ掛ける者』の存在を信じて、彼は実在した。――この国を…ラスタールを救ってくれた」
 不確かで、あやふやでしかなかった存在は、確かに異世界に生きていた。呼応し、召喚に応じ、救世を遂げた。少女を解放へと導いてくれた。
 真摯な眼差しを向ける少女に、タキは辟易した様子で息を吐き出した。
「だとしても、だ。“そう”なることは運命だったんじゃないのか?アイツだって、一度は覚悟を決めた。結末が先延ばしになっただけのことだろう」
「違う!間に合うのに、変えられる運命なのに、みすみす見過ごせというのか!?」
「そうだ」
 にべもなく言い放つ。そして続けた。
「アイツはいない。ここに、いない。ミュウが救わなければいけない理由が、どこにある?『波紋を投げ掛ける者』は存在しないんだ」
 タキが非情に徹しようとする訳に、気づかないわけはない。かといって認めるわけにはいかなかった。
「目に見えないからって、存在がないってことではないだろう!?リイヤは確かに生きているんだ!この世界ではない、どこかで…!」

 “光の橋”が繋ぐ、向こう側で――

「僕には関係ない。僕にとって大事なのは、今、ここで、目の前に存在しているものだけだ。あんな奴どうなったって関係ない。優先すべきは他に沢山ある」
 床に向かって吐き捨てられた一語一句を、ミウカは静かに受け止めた。彼の本心ではない。欠片も本音は含まれていない。
 ゆるゆると首を振った。タキの腕に手を添え、向き直った碧眼を覗き込む。
「タキ…」
「どうなったっていい。僕は、あいつが嫌いだ――」
 ミウカの視線を振り切るように、再び逸らされた銀髪の少年に、少女は柔和に微笑みを向けた。
 タキも同じ気持ちでいることを確信していた。
 本当は駆け付けたい。方法があるというのなら、知りたい。だが彼にはナラダを護る宿命がある。枷に繋がれ、自由をもがれた身なのだ。
 ミウカは決意する。莉哉のいる世界へとゆける手段を捜し出すと。必ず莉哉を助けるのだと。


[短編掲載中]