どことなく余所余所しい。そのことに小さく苛立つ自分は、とてつもなく小さな人間に思えて、ますます苛立ちが募る。悪循環だ。
 気のせいだ、と言われればそれまでなのだが、一度引っ掛かると流すのは至難だった。しかも真実が明るみに出た後なのだ。無視できない。

 図書室の賑わいは試験終了と共に去り、静寂な空気に包まれていた。見慣れた顔ぶれだけが集い、おのおの時間を過ごしていく。
 どうにかこうにか、追試を免れるぎりぎりのラインで試験を終了させていたミウカは、今日もそこにいた。隣には莉哉がいて、呼ばれる時以外は洋書に目を通している。
 傍から見れば、少女はあの日以前と変わらない。莉哉だけが、微妙な変化を察知している。そして素知らぬ顔を決め込んだ。
 追及したくなかったのと、しても無駄だということを知っていたからだ。そうすることで、勝手に悪循環をぐるぐる巡っているのでは世話ないのだが。
 ミウカは自分の心情を悟っているかと懸念するも、触れたくない話柄で、口にはしなかった。
 テスト直後ということもあって、ミウカは間違い箇所の見直しをしていた。平均して全教科苦手なのだが、先ほどから数学と悪戦苦闘している。筆音も途絶えがちで。だがその間がやたらと長くあり、羅列する英文からつと隣を見遣る。
「判らないなら聞けよ?」
 困ってるわけでも不機嫌になってるわけでもない、ひどく真摯な瞳がじっとノートを見つめていた。解読に煮詰まったのではないと瞬時に判ってしまった。
「ミウカ?」
「うん…」
 逡巡し、言を捜している。間に流れる沈黙に身構えた。鼓動が少しずつ、早くなっていく。
 予感がする。少女がこれから伝えようとすることを。この直感が勘違いだと祈りながら、耳を塞いで逃げたくなる衝動を堪えた。
「必ず、見つけるから」
 静かな声だった。硬く決意を含んだ声。まるで宿命をまっとうせんとしていた頃と同じ。
 これは地雷だ。踏まれれば爆発してしまう。莉哉の中で止めていたものが、決壊してしまう。募る苛立ちが溢れてしまう。
 その事態を避けたくて詳細に触れずにきたのに。追及を避けてきたのに。
 続けないでくれ、回避してくれと、頭の中で懇願しているのだが、当然ミウカに聞こえるわけはなく。 強く光を宿して、ミウカは莉哉を直視した。
 思い出す。ナラダにいた頃を。何の力もない自分が、護られるだけだった頃を。彼女に負担だけを強いていた頃を。
 繰り返したくないと願ったのに、また彼女は一人背負い込もうとする。引責し、自分を責める。
 どことない余所余所しさは、そんな彼女の内情を顕著に知らしめていた。
 だから、苛立つ。
 頼れないのだと言われてる気がして、遣る瀬無くなる。
「莉哉を消滅させない」
 少女の気持ちは有難く、素直に嬉しい。だが一方で、一人で進もうとする少女に置いていかれる孤独感と虚しさが押し寄せる。
 横に並ぶのさえ拒絶されているみたいで。
 ミウカの隣にいられるのは、過去も今もこれからも、ただ一人しかいないのだと。それは莉哉ではないのだと、道破されている気分だ。
 頭の中に、今はなき影が鮮やかに蘇る。
「…すまない」
 聞きたいのはこんな言葉じゃない。――言わせているのは不甲斐無い俺なのか?
 自身の内に向かう憤りが、少女の謝罪の語によって地雷を踏んだ。――そうやって独りで、突き進もうとしてほしくないのに。
「謝るとか、なしだ」
 自分でも驚くくらい、静かで落ち着いた声だった。
「責任だとか恩義だとか、俺に使うな」
「けどっ…。召喚があったのは、」
「ミウカの所為だなんて一度だって思ったことはないし、それに腹が立ったことも、一度もない。むしろ必要とされたのだと、嬉しかったよ」
 見い出してくれた君に感謝している。
「俺はずっと、自分は中身のない人間だと思って生きてきたから」
 がたん、と席を立った。目を見開いたミウカが見上げている。思い出すのは周囲が少女に憂慮し続けたもの。
「俺は…君のそういうとこが、好きじゃない」
 自分の口が、自分のものではなかった。勝手に動き、勝手に発露した。けれど、全くの出鱈目とは、決め付けられないだろう。
 頼ってほしいのだと、自分が少女を助けたいのだと、並んで歩きたいのだと願うは、過誤なのだろうか。どんなに願っても、叶えられないものなのだろうか。
 ミウカをその場に置き去りに、一度も彼女を見ることなく、退室した。脳内で様々なことが渦巻いて、思考が一つもまとまらなかった。
 残るのは後悔だ。
 ひどい言い方をした。どうであれ、少女は莉哉を思って護ろうとしてくれているというのに。
 幾度も後悔ばかりしている。少しも成長していないと、己を嘲った。

 図書室をあとにして、目指すあてもなくとぼとぼと廊下を歩いていた。
 思い返せば返すほど、己に対する怒りは増殖する。真っ先に伝えたいことは、あんな言葉じゃなかった。
 馬鹿か、俺は。
 ピタリと立ち止まると横にあった壁を殴りつけた。痛みを残すのは自身の拳だけ。平然と構えている廊下の壁は何食わぬ顔をして、それが莉哉を嘲っているように見えた。
「器物破損は罪になるぞ」
 無闇に落ち着き払った声質は、苛立ちを余計際立たせた。語調が重なって聞こえる。莉哉には越えることのできない、銀色の影に。
「壊れてねぇよ」
 低く呻くように反発した。子供じみた返し方だ。声を掛けてきた人物が他であったら、取り繕うこともしていたのだろうが。
 背中に感じる視線に、あの澄んだ碧眼を思い出さずにはいられない。
「屁理屈こねんな。なにをそんなに苛立っている?」
「……別に…」
「俺には話したくない、か。それならそれで構わないが」
 立ち去ろうとする動きが空気の振動で伝ってきた。引き止めるべく、莉哉は口を開く。
「…家では、どうなんだ」
 主語などなくても、誰が話の中心になっているかは歴然だ。抑揚のない逸の声が背中に刺さる。
「これまで通りに振舞おうとして、失敗している。素直にヘコもうとはしていないな」
「そうか…。くそっ…」
 握り締めた拳が白く、力を込める。
 逸は閑寂たる口調を放った。
「素路。顔貸せ」


[短編掲載中]